ネバーグリーン・ライト

陽炎

序章

 人気のない静謐とした森で、弱々しい声が空気を揺した。


 その声は震えていて、ふっと息をかければどこかへ消えてしまいそうだった。


 そんな声の女が願うことはただ一つ。


「希望」


 人生の窮地に立たされたものが、震える手を必死に繋ぎ合わせて、祈りを唱える。


 ただ淡々と、己の願望を、救いを乞う。


 この森には古からの巷説があった。


 初めに、細くありながらも力強く、天から地へと音を叩きつける滝を前に跪く。


 次に、罪で汚れた震える手を繋ぐ。


 終いに、音に掠れる僅かな声で祈る。


 すると瞬く間に、一筋の光が罪人を導き、救い主エルピスが手を差し伸べ、希望を与えるという。



 罪で穢れた人の身を持つ者が

 自己の形振りから目を逸らし

 我田引水に、赦しを神に乞う



 今日もまた、愚かな命が噂話を鵜呑みにし、女は希望を求めた。


 明けぬ夜はないと先人は言ったが、夜がないとは言わなかった。


 つまりは、エルピスは現れない。

 苦しみに悶える夜は永く続く。


 ポツリ、と女の涙が、滝溜まりの水を弾いた。


 響き渡る音は女の号哭と滝の音。

 希望とは絶望の淵に立たされた者が、現実逃避をする最後の術、つまりは絶望の象徴であった。


 皆が救われないと知っていながらも希望を求める。まだ救われると信じて己の絶望から逃げている。



 そんな絶望から目を逸らす者を目前に、エルピスは嘲るように、ケラケラと笑っていた。

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