penguin
@yujiyok
第1話
私が最初にそれを見たのは、電車の中だった。
午後からの講義に出るため、電車で10分程の大学に向かっている途中だった。
前の晩に友達とカラオケに行って、朝まで飲みながら歌っていたので、たいして寝てないしお酒も完全には抜けていなかったが、いつもの車両のいつも座るあたりのシートに、身体に染み付いた習慣をなぞるようにのろのろと座った。
軽くため息をつき、ふと前を見ると、閉まっていく扉の前にペンギンが立っていた。
手すりの脇でこちらに背を向けて。私の膝くらいの高さだろうか。
何ペンギンかは私はわからないが、テレビでよく見る普通のペンギンだ。本物を最後に見たのはいつだっただろう。
私はそのペンギンをじっと見た。どう見ても本物だ。
誰かがペットを連れて来たのだろうか。しかしそばに人はいないし、今の時間車内はガラガラでこの車両には数人しかいない。
どこかから逃げてきて、訳もわからずここに入ってしまったのだろうか。
電車は動き出し、ペンギンはかすかに揺れながらもじっと立っていた。
いつからいたのだろう。私が乗った時いただろうか。思い出せない。小さすぎて気付かなかったのかもしれない。あるいは私のあとから乗ってきた?
じっとペンギンを見つめながら、ぼーっとした頭であれこれ考えていると、電車が隣の駅に着いた。
扉が開くとペンギンはひょこひょこ歩き、ぴょんとホームに降りたった。
電車を待っていた人が1人その脇から乗ってきた。その人はペンギンなど気にもせず、見ようともしなかった。
扉が閉まるとペンギンは見えなくなった。
電車が動き出し、私は窓からペンギンの姿を探した。流れていくホームでペンギンはひょこひょこ歩いている。
その姿はだんだん小さくなっていく。すぐに流れる景色に変わった。
「ペンギン?」
同じ講義を受けている同じ学科の友達に話すと、彼女はたいして驚きもせず聞き返した。
彼女も昨日一緒に飲んだのでやはり眠そうだ。
「そう、ペンギン」
「ありえない。何かのキャンペーンじゃない?」
「誰かが連れてきたわけじゃないし、1匹だけだったんだよ。あ、1羽?…っていうかキャンペーンやってないし」
「だって改札通れないでしょ。きっとどっかの動物園とかから逃げてきて、駅に潜り込んだのよ」
「そっかぁ」
「あ、来た来た」
彼女は、いつも斜め前に座る私のお気に入りの男の子を指差した。
彼はゆっくりと私達の方に向かって来て、いつもの席に座った。
同じ講義を受けているが別の学科で、話したことは一度もない。でも私は彼の持つ雰囲気が好きで、近くにいるのが好きなのだ。
「今度カラオケとか誘おっか」
「どうやって?あんたが誘ってくれるならいいけど」
「何かきっかけがあればいいんだよなぁ」
他の学科の知り合いだとか、友達の友達を探すとか、適当なことを話しているうちに、ペンギンの事など忘れてしまっていた。
その講義が終わると、1コマ空いて次の講義なのでヒマな時間ができる。
図書館に行って寝るか、一度家に帰るか迷ったが、家に帰ったらもう外には出られないだろうと思い、友達と別れて図書館へ向かった。
敷地内にある図書館は3階建てになっていて、本棚の他に1階には10人くらい座れる長机がいくつかあり、2階には隣との仕切りがある1人用の机がずらっと何ブロックかある。3階には本棚ばかりが並び、全面ガラス張りの窓になった壁沿いに、長いスツールや椅子が置いてある。
そこからは裏にある大きな池が見渡せて私は好きなのだが、とにかく寝るために2階へ行くことに決めていた。
相変わらずぼーっとした頭で図書館に向かって歩いていると、入口にペンギンがいるのが見えた。
「あ」
私は立ち止まり、目をこらして見つめた。ペンギンが、あのひょこひょこした歩きで図書館へ入って行く。
電車で見たやつと同じペンギンだろうか。私は図書館へ足を早めた。
入口から入ると中をさっと見渡した。が、ペンギンの姿は見えない。
カウンターにいる司書の人は、特に変わった様子もなく何か書き物をしている。
私は1階をぐるっと回りペンギンを探した。本を探している学生も、座ってレポートを書いたりしている学生も、いつもと何ら変わりがない。ペンギンがいるのを見たら、ちょっとした騒ぎになってもおかしくない。
2階に行ったのだろうか。でもあの足で階段を上れるとは思えない。
そう思いながらも私は2階へ上った。
書架の間はもちろん、仕切りのある席をひとつひとつ見て回った。
どこにもペンギンはいない。
3階?私は眠ることも忘れ3階へ行った。本棚の間を見終わってスツールの方へ行くと、大きなガラス張りの窓の前に、ペンギンは立っていた。立ったまま外を見ている。
周りには誰もいない。誰にも気付かれなかったのだろうか。私はゆっくりと静かに歩み寄った。
スツールを隔てて3mぐらいの所まで来ると、ペンギンが首だけをこちらに向けた。
目が合った。本物のペンギンだ。無表情、というか感情が読み取れない。当たり前ではあるが何を考えているのか全くわからない。確かにかわいい生き物だが、何故か違和感を覚える。
ここは図書館なのだ。ペンギンがいるわけがない。
私は誰かに教えたくて、近くに人がいないか見回した。ちょうど階段を上ってくる男子学生がいた。知らない人だったが私は呼び止めた。
「すみません」
男はさっと周りを見て、自分が声を掛けられたことを確認してから立ち止まった。
「はい」
「あの、あそこにペンギンが…」
手招きし、男を来させてから振り向いて窓の方を指差すと、そこには何もいなかった。
男はきょとんとした顔で窓と私の顔を交互に見た。
「あ、あれ?…」
「ペンギン?」男は眉をひそめる。
「あ、いや、さっきそこに…」
いつの間に移動したのだ。私は周りを探した。スツールのかげ、椅子の下。
男をほったらかしにして本棚へ駆け寄る。すると本棚の間をペンギンがひょこひょこ歩いている。
「いた!」
私は急いでさっきの男を呼びに戻った。
男はいなかった。きっと私を危ない人だと思って逃げたのだろう。
3階には他に人はいない。いつもは常に何人かはいるのに。下まで誰かを呼びに行こうか。でもまたペンギンはどこかに行ってしまうに違いない。
いっそのことつかまえてしまおう。私が戻るとペンギンはもうそこにはいなかった。
私は再び3階を探し回ったが見付けられなかった。2階にも1階にもいなかった。
足の速いやつめ。今度見付けたら絶対つかまえてやる。
私はそう心に決め、図書館を後にした。
歩きながら、図書館に眠りに行ったのだったことを思い出したが、頭がぼうっとしてきたので、そのまま家に帰ることにした。
きっと講義はサボることになるだろう。
私はまたふらふらと、習慣化された動きで帰りの電車に乗った。何も考えずにいつもの辺りに座り、軽くため息をつくと、ペンギンのことを思い出した。
あれは本物に違いないが、なぜ図書館になんかいたんだろう。なんで移動が速いのだろう。なんで誰にも気付かれないのだろう。
とりとめもなく考えていると、まぶたがだんだん重くなり、私は電車に揺られいつの間にか眠ってしまった。
夢を見た。私は電車に乗っていてぼーっとしている。周りを見ると乗客はみんなペンギン。私は眉をひそめ、電車を降り街へ出る。街中ペンギンだらけ。人々がみんなペンギンになっているのだ。私は1人だけ人間で、ペンギンの間をゆっくり歩く。誰も私のことなど気に留めていない。私なんかいないかのように、みんなそれぞれ動いている。
そうか、街はペンギンに乗っ取られたんだ。私は思う。みんなゆくゆくはペンギンになってしまうんだ。
私は、私が本当は人間ではなく、ペンギンなのかもしれないと思い、ショーウィンドウに自分の姿をうつす。光の加減なのか私は自分の姿がよく見えない。
とんとん。ねぇ。私は肩を叩かれる。
誰?
「ちょっと、あんた何やってるの?」
目の前に友達が立っている。
電車の中だ。私が乗った学校最寄りの駅。ずっと眠り続けて戻ってきてしまったようだ。
「講義サボってこんなとこで寝て」
友達は隣に座った。
「図書館に行ったんじゃないの?」
「あ、そうだ。また出たの」
「何が?」
「ペンギン」
「また?」
「図書館にいたの」
「まさか。夢でも見てたんじゃないの?」
夢?確かに夢は見たけど…。
「寝ぼけてないで、ちゃんと降りなさいよ。私も眠いから帰って寝るわ」
友達はあくびをすると、そのまま目を閉じてしまった。
ぼんやりした頭で何も考えずにいると、降りる駅に着いた。
友達は寝たままなので、黙って電車を降りた。彼女はさらに3つ先の駅だ。
ホームに降り立つと、少し離れた前の方にペンギンがいた。
「あ」
私は友達に見せたかったが、電車は動き出し、寝ている彼女を連れ去った。
周りの誰ひとり気にも留めていない。なぜだろう。ひょっとして私にしか見えていないのだろうか。幻覚なのだろうか。
私は早歩きでペンギンを追った。1mくらいの所まで追いつめた時、ペンギンが急に止まった。私も足を止めた。
しばらくそのまま動かなかった。電車を降りた人達は改札へ行き、ホームには次の電車を待つ人が数人いるだけだ。
何をしようとしているのだろう。私はじっとペンギンの背中を見つめていた。
すると、ペンギンがくるっと振り向いた。
表情の読めないペンギンの顔。私達はしばらく見つめ合った。
「次の電車に乗るといい」
ペンギンがしゃべった。
私は何が起きたか理解できずに、何の反応もできなかった。
ペンギンはぺたぺたと再び歩き出した。
ペンギンがしゃべった。
私は立ち止まったまま、離れていくペンギンを見ていた。
まもなく電車がやって来た。
次の電車に乗るといい、と言った。
何がいいのだろう。
私はその電車に乗ってみることにした。
車内はいつもと変わらない風景だ。学校に行くのとは逆方向だから、外の景色は若干違うけど。
何があるというのだ。ペンギンに、いたずらで乗せられているのだろうか。
私はとりあえず、中を歩いてみることにした。
乗った車両から一旦先頭車両まで行って、後ろまで戻ろうと決め、先頭車両まで歩いた。
すると、一番端の席にお気に入りの彼が座っていた。講義でいつも斜め前に座る彼だ。
私はラッキーと思い、彼の正面の席に座った。彼は目を閉じている。
いつも後ろから見ているので、正面から見るなんてちょっと緊張してしまう。
寝ているのをいいことに、まじまじと見つめてしまった。
同じ路線だったんだ。きっと学校帰りだよね。どこに住んでるんだろう。学校以外でこんなに近くにいるなんて嬉しすぎる。思わずにやけてしまう。
次の駅の名前がアナウンスで流れると、彼が目を開けた。私はさっと目をそらし外を見た。
電車が駅に近付き速度を緩めると、彼は立ち上がり扉の前まで行った。
ここか。私も立ち上がり、彼の少し後ろに立った。隣の駅だったんだ。
嬉しくなり自然と口元がほころんだ。
到着して扉が開き、彼が降りる。私も続いて降りる。
彼はまっすぐ改札へ向かう。私もあとをつける。彼が改札を抜け私も通ろうとすると、バタンと拒否られ赤いランプがついた。恥ずかしくなり足りない分を払いに行った。
そうだ、定期は1つ前の駅までだった。窓口に先に並んでいる人がいて少し待ったが、改札を抜け急いであとを追った。彼の姿はもうなかった。何故ICカードと一緒にしなかったのだろう。
私は駅の西側へ行こうか東側へ行こうか迷い、大きな通りがある西側へ行ってみることにした。
ふと視線をゆるめると、駅と歩道の境界線上にペンギンがいた。
私の方を見ている。私はまっすぐペンギンの前まで行った。
「あっち」ペンギンは私から見て左側を指した。
ペンギンは彼の行方を知っているのだ。
私はペンギンを置いて左へ進んだ。早足で歩くと彼の後ろ姿を見付けた。
いつも見ている背中だ。間違いない。少し近付いて、彼の後ろを歩いた。
きっと家に帰るのだろう。私は特に目的もなくついて行った。何がしたいわけでもない。
少し歩くと、彼はコンビニに入った。外で待とうか一瞬迷ったが、あとについて入った。何か飲み物でも買おう。
彼は従業員が使う扉を開け、中に入っていった。彼はここで働いていたのだ。
そうか。じゃ、この辺に住んでいるのではないのかもしれない。
雑誌を立ち読みするふりをして、彼が現れるのを待ってみた。
割とすぐに、彼はコンビニのユニフォーム姿でレジに入った。
私はそれを確認すると、ペットボトルのお茶を手にレジへ向かった。
客が3人並んでいて2つのレジで対応していたが、彼じゃない方が早く、次にお待ちのお客様と呼ばれ、私はそっちに行くはめになった。
私は無言で会計を済ませ、彼をちらっと見たが、彼は下を向いてバーコードを読み取っている。
そこにいるわけにもいかず、何となくもやもやとしたまま私は店を出た。
妙な気分で電車で1駅戻り、家に向かった。
駅から10分程の距離で、古い商店街を通る。商店街の途中にある細い脇道を少し歩くと、私の部屋がある。
商店街を歩き始めて、ふと後ろを振り返るとペンギンにいた。道の真ん中に。
私が立ち止まるとペンギンも止まった。私をつけているのだろうか。
通りを行く人々はペンギンに気付きもしない。やはり私にしか見えないのだ。
私は無視して商店街を進み、脇道へ入った。走って家まで行こうか少し迷ったが、脇道から商店街をのぞいて見るとペンギンはいなかった。
たまたま近くにいただけなのか。再び、帰ろうと振り返ると目の前にペンギンがいた。
「あんた何なの?」
私は無表情で私を見ているペンギンに言った。
「いいことあった」ペンギンが言った。
「いいこと?あぁ、確かに彼には会えたけど…」
ペンギンに言われて電車に乗ったのだ。それで彼が働くコンビニまで行った。それもペンギンが教えてくれたようなものだ。
でもなんでだろう。なぜペンギンは私にそんな事を。そもそもなぜペンギンなのだ。
「あんた、何なの?」
私は再び聞いた。
ペンギンはくるりと後ろを向き、ぺたぺたと歩き出した。
「あ、ちょっと」
私はペンギンのあとをつけて行った。
この道はゆるやかな下り坂になっていて、突き当たりが横に伸びる別の細い道につながっている。
ペンギンはその突き当たりの道の真ん中まで来ると、くるっと振り返った。
私は立ち止まった。
「どっち」
ペンギンは無表情な丸い目で言った。
「どっちって何が?」
「右、左」
「何があるの?どっちでもいいわよ」
そう答えるとペンギンは少し首をかしげた。
考えているのだろうか。困っているのだろうか。何を表しているのだろう。
ペンギンはそのままの状態で動かなかった。
私がどっちか答えるのを待っているに違いない。
ならば選んでやる。右か左か。右に行くと大きな通りにぶつかる。左に行くと細い道がずっと続いて、別の商店街につながる。何かが待っているとしたらどっちだろう。
彼がいるのだろうか。交通量が多い大通りよりも、商店街の方が出会えそうだ。
「左」
私は静止したままのペンギンに言った。
ペンギンはかしげた首を戻し、こくりと頷いた。しかし、その後ペンギンは全く動かなかった。
何なんだ。今度は私が首をかしげる番だ。ペンギンは前を向いたまま。
私は後ろを振り返ってみた。何かがいるのだろうか。
少し遠くに商店街があるだけだ。誰もいない。
前を向くとペンギンはいなかった。
私はまたもやもやした気分で立っていた。
左に進んで行けばいいのだろうか。一体これは何なのだ。何だあのペンギンは。
私は考えるのが面倒になって、路地を戻り家に帰ることにした。
ペンギンに振り回されてたまるか。
その日は結局帰ってすぐ寝てしまい、朝まで起きなかった。
ずいぶん長く寝てしまい、全てが夢かと思ったくらいだ。
次の日学校へ行き友達に会い講義に出ると、あの彼がいつもの席にいた。
週に4回は会える。その講義だけは私はサボったりしない。たとえ眠くてもだ。
彼の姿を見ているだけで心が温かくなれる。
「ねぇ、そういえば彼、私んちの隣の駅のコンビニでバイトしてるんだよ」
彼に聞こえないように、小さな声で彼女に教えてあげると、彼女は驚いた顔で私を見た。
「何で知ってるの?」
私はペンギンについては言わないでおくことにした。
「んー、偶然見かけたっていうか…」
「だってあんた電車であっち側行かないじゃん」
「たまたまよ。ほら、寝ちゃったりしてさ」
「ふうん、ま、一周してたもんね」
寝たとしても隣の駅で降りることはないだろう。不自然だとは思ったが、彼女につっこまれなかったので、まあいい。
「あんた、通うつもり?」
「まさか。コンビニ行くのにわざわざ隣の駅になんか行かないよ」
「そうだよね」
「彼、そこに住んでるのかな」
「さぁ。でも自分の駅のコンビニでなんか働きたくなくない?」
「そうかなぁ。便利じゃん。でも簡単に休めないか。ズル休みしてもばれそうだし。やっぱ働くなら学校までの定期が使える、家と学校の間か」
「彼の家知ってどうすんの?」
「え?別にどうもしないよ。行くわけじゃないし」
「そうだよね」
「こうやって見てるだけでいいの。何も求めてないわ」
「ふうん。健気っていうか、欲がないっていうか。めずらしいよ。今どき中学生だってすごいんだよ」
「あんたとは違うのよ。何人も男騙して遊んでるんでしょ」
「騙してないわよ。勝手に向こうから来るだけだもん」
「かわいそう」
「何よ」
確かに彼女はかわいいし、サバサバしているところもあって同性にも好かれる。
男の子からモテるのもわかる。
彼女とは同じ学科で、学生番号が前後だったことで入学した時から近くにいて、話をするようになり仲良くしている。
私は地味だが、グループでべったりというのがあまり好きではないため、お互い干渉しすぎないところで気が合っているのだと思う。もちろん一緒にごはんを食べたり、何人かで遊ぶこともある。
いつもと変わることなく講義を受け、夕方になり、彼女はレポートを書くと言って図書館へ行き、私はひとり帰ることにした。
そういえば今日はペンギンを見なかった。
電車に乗りながらそう思った。やはり幻だったのだろうか。しかしペンギンのおかげで、彼に少しだけ近付けたのだ。
彼は今日もコンビニにいるだろうか。ヒマだし行ってみようかな。
顔を見て癒されて帰ればいい。
結局、私は自分の降りる駅を見送り、次の駅で降りた。
前回と同じルートでコンビニに行った。彼はいるだろうか。
入りながらレジを見ると、若い男と女が中にいたが彼はいなかった。
とりあえずお茶を買おうとガラスの扉を開けると、奥の方からペットボトルがガタガタと前に飛び出してきて、私はあわてて手で押さえた。
「あ、すみません」と中から店員の声がして、横の方から急いで出て来た。
彼だった。
「すみません、大丈夫ですか?」
彼は私が支えているお茶を奥へ押し込んだ。少し手が触れ、私はドキッとした。
「失礼しました」
なんて爽やかなんだろう。教室で彼が彼の友達と話すのは聞いているが、こんな近くで私に向けて話す声なんて初めてだ。
「あ、いえ、大丈夫です」
私はぎこちなく微笑んだ。
彼は軽く頭を下げると、また裏側に戻った。
ヤバい。どきどきしている。好きになってしまった。
いや、もともと好きではあったが、こんな、胸が苦しいほどではなかった。
私は何となくお茶を取りにくくなって、店の中をぐるっと回った。そして雑誌のコーナーで立ち読みすることにした。特に読みたいものもなかったが。
このまま帰るのもなんだし、もう一度彼の顔を見ようと思った。
休日の日帰り小旅行デートに最適なコース、なんてのを何となく見ていると、外から知ってる顔が歩いて来た。図書館に行くと言った彼女だ。なぜ彼女がこんな所にいるのだ。家はもっと先の駅のはず。
もしかして、彼女も私の話を聞いて彼に会いに来たのだろうか。
私は雑誌で顔を隠しながら、彼女が店に入ってくるのを見ていた。
彼女はまっすぐレジに向かった。店員と何か話している。
彼女がドリンクの方へ行く。私は雑誌で顔を半分隠しながらあとを追う。
彼女は脇のドアをノックした。すると中から彼が現れた。
二人は笑いながら何か話をしている。どういうことだ。とても仲良さげに話をしている。
知り合いだったの?少しでも話が聞きたくて、近付くために足をゆっくり動かすと、彼が「じゃ」と手をあげた。私はさっと陳列棚に隠れた。
「じゃ、あとで行くね。メールして」
彼女も片手をあげ振り返ると、すたすたと出て行った。
あとで行く?メール?
私は雑誌で顔を隠したまま立ちつくしていた。ふと、店員が変な目で見ているのに気付き、私はあわててその雑誌を買った。
彼はすぐにドリンクの裏側に戻っていったので見られずにすんだが、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。
彼女に追いつかないようにゆっくりと駅に向かった。
それにしても、彼女は彼のことを知っていたらしい。そんなそぶり全然見せなかったのに。
なぜ私に黙っていたのだろう。二人が付き合ってるから?あとで行くねって彼の家にってこと?普通に深い仲ってことだ。私が彼のこと好きなの知ってて、私をからかってたんだ。彼も私のこと知ってたってこと?二人で私を笑ってたんだ。ばかみたい、私。後ろ姿見てにやにやして。手が触れて好きだなんて思ったりして。何も知らずに。
駅に着く頃には、もうすっかり暗くなっていた。
彼女に問いただしてみよう。彼女の家には1回行ったことがある。入学したての頃に、お互いの家に呼んだのだ。うろ覚えだが、近くに行けば思い出すだろう。
私は電車に乗り、彼女の家がある駅に降りた。
そこにはペンギンがいた。
無表情な顔で私を見つめるペンギンを、私は無表情で見つめた。
何よ。
ペンギンはくるりと向きを変え、歩き出した。
ついて来いってこと?私は速度を合わせついていった。
ゆっくり歩きながら私は怒りがこみ上げてくるのを感じた。彼女に対して。彼に対して。ペンギンに対して。自分に対して。
ペンギンは十字路やT字路にあたると、右、左と首を動かしてどちらかに進んだ。
だんだんイライラしてきた。だいたいこいつのおかげでこんな目に合っているんじゃないか。何も知らなければ、こんな嫌な気持ちになることもなかった。
でも本当に知らないままで良かったのか。悪いのはペンギンではない。あいつらだ。
私にずっと嘘をついて笑いものにして、許せない。
歩きながら、嫉妬やら猜疑心やら恥ずかしさやらが、どんどんふくらんでいった。
突然ペンギンが止まった。
私はペンギンに追いついた。ペンギンを上から見下ろすと、ペンギンの前に何やら液体の入った小さなビンがぽつんと置いてあった。目薬よりひと回り大きいくらいだ。
「何それ」
私は頭上からペンギンに聞いた。
ペンギンは頭を真上にあげ、私を見た。しばらく見上げたあと、左右に首を振りまた歩き出した。
私は残されたビンを手に取ってみた。透明なガラス瓶に透明な液体が入っている。
何だろう。薬だろうか。彼女を殺すための毒薬だろうか。
私はそれをポケットにつっこみ、ペンギンのあとを追った。
一体どこに行くつもりなのだろう。結構歩いた気がすると思ったら、少し前に歩いた風景が見えてきた。
「ちょっと、どこ行くの?周ってるだけ?」
ペンギンはT字路の突き当たりで立ち止まり、くるっと振り向いた。
「どっち」
「どっちって…」
左に行ったら駅に向かう方向だ。右は確か彼女の家に行く方向だ。
選択を迫られた。彼女を追及するか、帰るか。右か左か。
私は家の近くで左と答えたのを思い出した。左。
ペンギンは首をかしげた。
決めなきゃ。右か左か。帰るべきか。でもここに来た意味は?私の屈辱は?
「右」私はつぶやいた。
ペンギンは首を戻すと、手を右側へ差し出した。
どうぞと言わんばかりに。
行け、ということだろうか。
そのままの状態で動かなかったので、私は右側へ歩き出した。少し行って振り向くとペンギンはいなかった。
気付いたら彼女の家の前にいた。2階建てのアパートだ。2階の一番奥の部屋のはず。
私は何も考えず扉の前まで来た。いないかもしれない。そう思いながらチャイムを押す。
少し間があってからガチャガチャとカギが開き、彼女が顔を出した。
「どうしたの?突然」
「うん、ちょっと近くまで来たから…」
「入る?」
一瞬迷ったが、私はうなずいた。
狭いキッチンを通って奥の部屋に入る。綺麗に片付いている。物が少ない印象を受ける。
「座って。何か飲む?」
返事を待たず、彼女は冷蔵庫を開ける。
「午後ティーしかないけど」
ペットボトルからグラスに注ぎ、戻ってくる。
さて、何から切り出そう。
「急に来るなんて珍しいじゃない。どうした?何かあった?」
「…見ちゃったの、…コンビニで」
「え?」
「あの人といるとこ」
「あぁ…、そうなんだ…」
沈黙。
「別に隠すつもりはなかったんだけど、言いづらくてさ」
知らないフリして。彼を誘おうみたいなこと言って。
「バレちゃったか。ごめんね。でもこれで一緒に遊べるじゃん」
付き合ってるんじゃないの?遊びなの?
「何か一方的に向こうからさ、言い寄ってきてさ。かわいいけど、それ以上ではないの」
彼女はひとりでしゃべり続ける。
「あなたの方が、彼には合ってるかもね。私のことは気にしないで。好きなんでしょ」
簡単なんだ。いらないから私にあげるってこと?
「あっでも、日帰りで旅行に行く約束しちゃったんだ。場所はまだ決まってなくてさ。どこかいいとこ知らない?」
その時、彼女の携帯が鳴る。
「あ、ごめん、ちょっと待ってて」
彼女は立ち上がり、キッチンに向かい、相手と話し始める。
どっちにする?
え?
右か左か。
私は心の中で問いかける。
右のポケットには、さっき道で拾った小さなビンが入っている。
左手にはコンビニで買ってしまった雑誌がある。日帰り旅行のコースがのっているやつだ。
どっち
右か左か
選ばなきゃ
「右」私は小さくつぶやく。
ポケットからビンを取り出し、彼女のグラスに数滴たらす。
彼女の笑い声が部屋中に響きわたる。
外にペンギンが立っている。首をかしげて無表情のまま。
しばらくしてペンギンはくるりと振り向いて歩き出す。
やがて路地の暗闇に紛れ、見えなくなる。
penguin @yujiyok
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます