第36話 軍人の仮面
宿前を離れて、僕たちはアーシェスタの街を少し歩く。
日はすっかり真上にたどり着き、午後へ向かう空気に変わりつつある。
大通りを抜けると、石造りの建物が整然と並ぶ一角に出た。
そこは、アーシェスタス家の兵士たちが詰めている区画だった。
ここは、街で揉め事が起きたときに町人が駆け込んだり、仲裁を求めたりするための場所でもある。
つまり、ガルデスくんとサリティさんたちの職場ってわけだね。
詰め所の奥には、広々とした訓練場が整えられていた。
地面は固く踏み固められ、木製の人形や標的が並び、僕らが到着した時は勇ましい掛け声と木剣がぶつかり合う乾いた音が響いていた。
兵士たちが常日頃から鍛錬を積んでいるのがわかる。
ガルデスくんはここの最高指揮官のひとりということらしい。
なので、訓練場の使用は自由だった。
僕たちが入ると、周囲の兵士たちがざわりと視線を向けてきた。
「ガルデス殿が模擬戦……?」
「珍しいな。相手は……あの線の細いご麗人か?」
そんな声が小さく漏れ、興味半分、緊張半分といった空気が広がる。
どうやら、ガルデスくんが模擬戦とはいえ外部のものと戦う姿は、兵士たちにとっても貴重らしい。
そのざわめきの大きさからも、彼の強さと信頼の厚さが伝わってきた。
そんな相手が僕ということで、ちょっぴり侮りの視線や心配の視線が混じっている。
失礼しちゃうなぁ。
まあ、見た目がこんな風だし、エルフを見たことない人もいるみたいだ。
それなら、その心配は仕方ないよね。
……度肝抜いてやるからな。
訓練場の中央に立ち、僕は軽く身体を伸ばして準備運動をしていた。
そこへ、訓練着に着替えたガルデスくんが姿を現す。
「あ、アルトゥス様。その恰好は……?」
彼は僕の姿を見た瞬間、目を見開いて固まった。
「ああ、これ?僕の出身地の戦闘訓練のときに着る服だよ。」
僕が着ているのは、この辺りの国ではまず見かけないタイプの装備だ。
基本の素材は、世界樹の線維を細かく編み込んだ特殊布。
薄手なのに驚くほど丈夫で、軽く引っ張った程度ではびくともしない。
触れればしっとりと吸い付くような質感で、まるで絹のような手触りの素材で全身を覆っている。
身体のラインがそのまま浮き上がるほど密着しているのに、動きは一切阻害されない。
むしろ、纏った瞬間に身体が軽くなるような感覚すらある。
森の木々を飛び回り、機動力を最大限に引き出すための、僕の出身地特有の戦闘服だ。
全体は黒を基調としているが、胸元から腰、腕や脚にかけて赤いラインが走っている。
そのラインはただの装飾ではなく、動きに合わせて光を反射し、軌跡を描く。
これは森の動物からは視認されにくいが、エルフの眼にはその場所を認識させることができる特殊な迷彩だ。
これで仲間と連携しやすくするんだね。
さらに、各関節部には、世界樹の森に棲む甲虫の外殻が薄く加工されて埋め込まれている。
軽量でありながら鉄より硬く、衝撃を分散する性質を持つ。
弱点になりやすい箇所を守りつつ、可動域は一切損なわない。
全身を覆う黒と赤の戦闘服。軽く、強く、しなやかで、そして――どこか世界に馴染まないほどに先鋭化したエルフの戦闘服。
ガルデスくんが目を見開いたのも無理はない。
この世界の戦士が着るどんな鎧とも違う、異質な戦闘服なのだから。
ガルデスくんはしばらく僕の戦闘服を観察する。
視線が僕の全身をゆっくりと上下し、自分たちの防具とは違う特徴を認めるたびに眉がわずかに動く。
「……頑丈そうな部品が少ないですね。
各種急所と関節部以外は肌に密着させているのですか。
質感も凄い。まるで、第二の皮膚のようですね。
こんな装備を拝見したのは初めてです。」
「求められる要件と設計のコンセプト、なにより素材が違うからね。
エルフの戦闘服は、とにかく動きやすさ重視なんだよ。」
「しかし、防具としてはどうなのでしょうか?
身を守るという意味ではかなり防御力に不安がありそうに見えますが。」
「そこらへんは大丈夫。
ほら、見て。関節は鉄より柔軟性はあるけど剛体の素材でちゃんと守ってるし、布のほうも生半可な刃じゃ通らないよ。」
僕が軽く肘を曲げて見せると、甲虫の外殻がわずかに光を反射した。
刃物も通さないと語ると、ガルデスくんはその息を呑む。
「……なるほど。軽装に見えて、急所はしっかり補っているのですね。耐衝撃も?」
「衝撃はエルフだからね。身体強化術で補う前提なのさ。」
僕とガルデスくんが戦闘服について意見を交わしていると、サリティさんがひょいと僕の後ろから顔を出した。
今まで見たことのない僕の恰好に目をキラキラさせている。
が、その瞳の光が、徐々に失われていく。
頬がぷくーっと膨らみ、耳がぴくぴくと不機嫌を主張し始める。
あからさまに怒ってるぞという文字が顔に張り付いた表情だ。
「アルトゥス様。その服、私の模擬戦の時なんで着なかった?」
あ、まずい。
最初に模擬戦したときは平服での対戦だったから、本気じゃなかったことを責めているようだ。
明らかに手を抜かれていたのかもしれないという疑念が不満となって、彼女の全身から滲み出ている。
「まってまって!違うから!あの時の決まり事を思い出して!
やるのはお互いの力量を計る、約束組手だったでしょ!?」
「むっ。」
サリティさんの頬がさらに膨らむ。
でも、事実は覆せないよ。
そう、別に僕はサリティさんに対して手を抜いたわけじゃない。
互いの技術や対応力、何より基本を確認する目的の、いわば型を見せ合うという目的で始めた手合わせだった。
……結果的にサリティさんは型というよりはこちらの力量を試すような奇手を繰り出し、自然と模擬戦になってしまったけどね。
「今回の目的は一手教授……。
つまり、前回と違って模擬戦とはいえ挑戦を申し込まれたんだ。
それなら、僕だって敬意をもってそれを受ける必要がある。
それこそが『戦士』の嗜みだろう?」
僕は戦士という言葉を強調する。
今回はあの時と違ってガルデスくんが挑戦者として僕に挑んできているんだ。
それなら、恰好からしてその挑戦を侮るようなものでは相手に失礼である。
それを強調すれば、サリティさんだってわかってくれる。
だって、彼女は紛れもない戦士だもんね。
「……ん。でもなんか納得いかない。だから……」
ブンっとこぶしを僕の鼻先に突き付けて、彼女は宣言した。
「隊長の次は、私。約束して。」
「……だってさ、ガルデスくん?心外だよねぇ?」
僕はそういって首だけ振り返り、にやりとガルデスくんに笑いかけた。
ガルデスくんはそれをみて、ふっと短く笑って頭を掻く。
「……まったく、不遜な部下ですな。
……
お、雰囲気が変わった。
丁寧で、気配りを欠かさない『軍人』の顔が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。
代わりに現れたのは、荒野を駆ける獣のような、研ぎ澄まされた『戦士』の気配。
声の低さ、言葉の選び方、立ち姿。
どれもが、さっきまでとは違う。
これが、ガルデス=ミックハイラという男の本来の姿というわけか。
「お、ようやく隊長が化けの皮を破ったのか。
正直、今までの口調は気持ち悪かった。」
「テメエ、本当にしつけが成ってねえな。
上官に対してそれは……まあ、今はいい。それに、お前にゃ悪いが……」
そう言って彼は僕に視線をぶつける。
そこにはいつもの相手を立てる温度は一切ない。
そう、獲物を見定めた視線。
燃えるような瞳の奥に、確かな闘志の炎が宿っている。
「俺の後だからな。エルフ様もさぞお疲れになっているだろうよ。」
「……あっ!ま、まて隊長!それはズルいぞ!」
ハッハッハと楽しそうに笑いながら、彼は向かい側の定位置へ向かった。
振り返ったときに僕たちが見たのは、獰猛な本能に従う獣のような戦士の笑み。
まるで、これから愛しの君との逢瀬が待っているかのような、そんな嬉々とした激情がそこにあった。
「……アルトゥス様。
隊長のアレは、油断しちゃだめ。本当に楽しそうだし、何より「倒してやりてえ」という本来の闘争心に溢れている。」
サリティさんはボソっと僕に耳打ちをする。
僕は無言で頷いた。
彼女はそれだけ言うと、素早くその場を後にした。
僕はそのとき、ちょっとだけ彼女の顔を観察し、その表情の在り方に暖かい気持ちを抱いた。
ガルデスくんを見る彼女の眼には、どこか穏やかな安堵のようなものが湛えられていた。
……きっと、ガルデスくんはここで一番強いのだろうね。
だからこそ、彼が全力で戦える状況が生まれたことに、彼女は喜んでいるのだろう。
そして、出会ったときのことを思い出す。
『やっぱり隊長も組手したくなったか?』
アレは彼を揶揄していたわけではなかったんだ。
本気で、僕なら彼と立ち向かえる相手だと思うぞという彼女なりの気配りの気持ち。
だからこそ、あの時彼は「今ではありませんな」と応えたのであろう。
それはあの時に芽吹いた、彼の闘争心の双葉。
そして、僕の戦闘服。積み重なった様々な出来事が今、彼の中で花開いた。
「感情の花は美しいね。
それが、冬という辛い季節を乗り越えた先に咲く花なら、その感動はひとしおだ。」
僕は一振りの訓練用の短棒に【
ヴェルドラ術式【
術式による武器強化ではあるが、攻撃に対するものじゃない。
これは折れないようにするためだけの強化。
僕はこれから全てを受け止める。
彼の闘争の喜びを。
僕は見せる。
彼にこの先の人生で至れる極致の一端を。
そして願わくば――彼に
それこそが、彼の『閉塞感』を打ち破れるヒントになってくれるだろうから。
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