福岡城の謎
黒船屋
第1話 福岡城 潮見櫓棟札の謎
福岡城潮見櫓は今年(令和7年)春に復元が完成しました。かって福岡城内の北西にあった櫓です。この潮見櫓は明治時代に黒田家の菩提寺の一つの崇福寺に移築され仏殿として使用されていました。調査の結果、明治時代に移築した際の棟札が発見され、それには「福岡城潮見櫓」と明記されていてこの櫓が潮見櫓と確定しました。
かって潮見櫓と思われていた下之橋御門の側の伝潮見櫓はなぜ潮見櫓と思われていたのかと言うと、明治以降に福岡藩の重臣3軒分(浦上、吉田、野村)の下屋敷跡の敷地を黒田家の別邸として使いました。福岡城から黒田家別邸に移築された太鼓櫓が潮見櫓と間違えられたのには理由があります。別邸が海沿いにあり、櫓も海側に建てられていたせいで誰が見ても潮見櫓と思われていました。
潮見櫓には明治41年に崇福寺に移築の際の棟札と令和の棟札が2階天井部分に掲げてあります。左の棟札には高島市長以下、福岡市役所の課長の名前が記されています。市民の税金で建てたとすれば私の名前も入れてほしいです。右の明治時代の棟札の黄色線で囲っているところに「福岡城潮見櫓」とあります。また最後の文中の一文「国家安康是所祈願也」読みは「国家安康これ祈願する所也」まさかの方向寺鐘銘事件の一言「国家安康」が記載されています。崇福寺の玄外宗訥謹誌とあり、この方は大徳寺の住職も務めた知識人です。徳川幕府はこの時点でもとうの昔に倒れていますので徳川幕府に対する呪詛は考えられません。それとも明治新政府を徳川家康になぞらえたのか、遊び心で入れたのかわかりませんが知らずに入れたとは考えにくいです。
棟札の銘文の最後に、作者名の頭に前大徳とあります、大徳寺の住職を務めた事のある人物として前大徳と記されます。また大徳寺と方向寺は歩いても1時間くらいの位置にあります。大徳寺は豊臣秀吉が織田信長を弔った由緒ある臨済宗の寺です。利休切腹の原因となった金毛閣事件はあまりにも有名です。崇福寺は寺領301石を貰っていて、明治維新後は廃仏毀釈、上知令で困窮したかと思いますが、玄外宗訥は何が言いたかったのでしょうか。
潮見櫓銘文 数字は行 黒ずんで不明の部分は□
①當山者慶長九年大壇越筑前国主黒田長政所建立之大伽藍而山門佛殿方丈鐘楼□傑詭麗極其壮□
②及明治初年新制出堂宇門楼為帰廢毀今茲明治四十一年得信徒之浄財購□福岡城潮見櫓再建之於佛殿之古址安□
③以本尊釋迦佛文殊普賢両菩薩土堂護法天神祖師堂初祖大士百文臨濟之三祖伏望〇上正遍之功
④徳□賜真福今天下泰平国家安康所祈願也
⑤明治四十二年龍集十二月如意日
⑥前大徳現住横嶽勅萬年崇福禅寺玄外宗訥謹誌
玄外宗訥(げんがいそうとつ)
大徳寺487代住職
崇福寺97代住職
潮見櫓復元の歩み
ふくおか歴史文化遺産ウィーク2025
天木詠子(復元潮見櫓設計者)
歴史講座より抜粋
【潮見櫓の略歴】
寛政11年7月(1799年)に建てられた潮見櫓の古材
1907年 市民の要請で花見櫓と潮見櫓の崇福寺への払い下げを、第12師団より陸軍大臣寺内正毅に依頼し許可が降りる。崇福寺に払い下げ、仏殿に改造して使用。払い下げ前はシロアリ被害でボロボロだった。
1955年県の有形文化財に指定
1990年福岡市が買取(解体して保管)
2016年専門家による復元の調査、検討
2025年三の丸北西に復元完成
【崇福寺仏殿時代】
崇福寺に在った時の連結した仏殿。左側が拝殿に使用されていた花見櫓、右側が仏殿に使用されていた今年2025年に福岡城に復元された潮見櫓(当時は月見櫓と思われていた)。崇福寺では改修され仏殿で使用され、花見櫓が拝殿になり、高さを低くして、床がなくなりタタキになっていました。また潮見櫓は付櫓がなくなり、ニ階の床がなくなり吹き抜けになっていました。
【解体後の部材の保管】
福岡市が崇福寺仏殿を買い取ったのが1990年で、復元するまで舞鶴中学の体育館に二棟ともに保管してありました。復元に手を付けるまで25年経っていて、花見櫓と潮見櫓を識別する青とピンクのビニールひもの色が落ちていてどちらの部材がわからなくなっていました。切り込んだ溝や釘穴、木材のねじれ等でどちらの櫓でどこにあった部材か判断しました。花見櫓はまだ保管しています。
【部材の調査】
木材は崇福寺の改修で明治時代の新材で改造されているの元の形に戻すために、明治と江戸の木材を特定します。鍛冶屋さんが作る角釘、和釘を使用していたり、手斧の使い方で見分け特定します。梁は松、床は杉、柱は旧材はヒノキ(一部ヒバかも)が使われていました。一階には明治時代の黒い柱が一つ使われています。
【石垣の補修】
石垣はまず3段くらいなくなっていて、3段分継ぎ足して石垣の高さを補強しました。令和3年に石垣整備復元工事が完了しました。
【耐圧版と鉄骨による基礎】
櫓は本来はギリギリまで石垣の上に建てますが、現代工法を使い見た目は石垣に完全にのっているように見せます。コンクリで耐圧盤を作り、その上に鉄骨を乗せボルトで固定します、その上に鉛板をはさみ、さらに上に土台の木材を乗せていきます。この工法で櫓を浮かせて重さを鉄骨と耐圧盤で吸収し石垣には負担をかけません。
【大壁下地・小舞掻き】
壁は日本の伝統的な技法を使っています。壁の芯の部分の竹組は3cmの丸竹、割竹に白縄を巻き、壁土は藁と土と水で1年寝かせます。荒壁の下塗りから中塗り、最後の漆喰仕上げは左官さん10人くらいで一気に仕上げます。腰下見板は柿渋と炭を使い黒く仕上げます。
【瓦と屋根】
屋根は杉のヘギ板で土井葺で、瓦は花見か潮見かどちらか全くわからず、崇福寺で順次付け替えされたのもあり、状態の良いものを使いました。また令和六年の瓦も新たに作製し使用されています。瓦の上の部分に令和六年の刻印が見えます。
【その他】
総工費は調査等は除いて4億円
特注品の和釘だけで200万円
シャチは祈念櫓を参考に新品
瓦の角に雨漏りを防ぐ丸い留蓋
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