第8話 後編「罪と赦しの彼方に」

「――軍法会議にかけられた」


カフェの空気が静まり返る中、エリカはまるで誰かの罪を語るように、己の過去を口にした。


「当然のことだ。日頃の振る舞いが下劣だった報いだった。部下を“男”としてしか見ず、職権を笠に着て軽い接触を繰り返した。

……気にしていないと思い込んでいた。だが、本当は…私が一番、彼らの尊厳を傷つけていた」


それは、どんな謝罪よりも静かで、どんな叫びよりも苦しい告白だった。


「……“犯されかけた”あの時、ようやくわかった。他者から“性の対象”として見られる怖さがどういうものか。

身体が凍りつき、声が出ず、ただひたすら――死ぬより怖かった」


言葉が詰まり、エリカは視線を落とす。


「私の欲望は、人間としての根本を踏みにじっていた。祖国の規律を、誇りを、踏みにじっていた。

その日を境に…私は自分が何者かもわからなくなった。弁明する気にもなれず、そのまま追放され、祖国を離れ、食うにも困って、日本へ流れ着いた。

“組織”に拾われたのは、私のような人間にしては、出来すぎた救いだったよ」


ふっと笑うエリカの表情は、皮肉に見えながらどこか――死んだようだった。


「リングで男たちに殴られ、這いつくばり、犯される。

それが…私なりの“償い”だ。自分が傷つけた男たちに、身を捧げて許しを乞う、歪んだ贖罪だ」


それを聞いていたエレンは、そっと椅子を引いて座った。


「でも…誤解は解けました。上官殿。

ゲリラの生き残りがその後捕まりました。きちんと自供してます。

部下たちも今では、もう一度…あなたと向き合いたいと願っています」


エリカの目が揺れた。


「……遅すぎた」


「遅くなんてありません。祖国は、今食糧危機に瀕しています。兵站が崩れ、優秀な指揮官が必要なんです。

あなたは“必要な人”なんです、上官殿」


「……だが、私は“組織”に拾われた身だ。食えぬ私に手を差し伸べてくれた恩人を…裏切れない」


その言葉に、私は黙って立ち上がり――エリカの腹に、本気のボディブローを叩き込んだ。


「っぐ……っ!?」


椅子が軋み、エリカが両腕を腹に添えながらも必死で堪える。倒れない。膝もつかない。


「私のボディブローで、膝をつかなかった女は今まで一人もいなかったよ。

そんなに鍛え上げてまで――“異国の地下リングで浪費する”のが、祖国に対する忠誠ってわけ?」


息が詰まったような沈黙。


「……自分の力を、求めてくれる人ために使って。それが一番の“贖罪”だよ」


エリカの肩が震える。声にならない嗚咽が洩れた。


「わたしは……ずっと、怖かったんだ……犯されるのが……嫌で……!怖くてたまらなかったのに……やめられなかった……!」


軍人口調が崩れる。エレンが慌てて手を伸ばす。


「上官殿、誠に勝手ながら、一試合拝見しました。あんなことされたら、怖くて当然です!」


だがエリカは、泣き顔のままふと顔を上げて――


「……殴られるのは、割と気持ちよかったけど」


「おい!!」


思わず全員が声を上げ、ソウタが盛大にコーヒーを噴き出す。


「それはそれで問題だろ!!」


エレンがずっこけ、私は頭を抱えた。


「……まったく、不器用な奴」


そう呟くと、エリカは小さく笑った。どこか、肩の荷を下ろしたように。


「帰るよ。祖国に。もう一度、私を必要としてくれるなら――もう一度、自分の手で償うために」


---


【ソウタ視点】


カフェを出た帰り道、俺は空を仰いだ。


罪は、こんなにも人を壊すのか。赦しを求めるのに、ここまで血を流さないといけないのか。


エリカの涙は、どこか自分と重なった。


“マヤさんに勝って、好きにする”


その言葉が、胸の奥で音を立てて崩れる。


……違う。俺は“マヤさんに勝ちたい”。ただ、それだけだ。


憧れて、追いかけて、あの背中に追いつきたい。


そのためなら、もっと強くなれる気がした――


そのとき、背後で靴音が止まった。


「ソウタくん、ですね?」


振り向くと、黒衣の女が立っていた。フードで顔は見えない。けれど、目は明らかに笑っていない。


その指先が、黒いドレスの袖の奥で、静かに握られるのが見えた。


直感が警告を鳴らす。


(やばい――)


闇が、また一つ近づいていた。


(つづく)

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