第2話:どこまで続くよ。日常は

どうも皆様、こんにちは。

この歳になると、独り言が増えてくる。危機感はあるが、まあ、喋らなきゃやってられないのも事実だ。


現在、午前六時。

世間の大半は満員電車に押し込まれている時間だろう。俺はといえば、事務所の狭い台所で、あいつら馬鹿どもの朝飯を作っている。


今日のメニューは、ベーコンを卵で閉じた目玉焼き。シンプルなわかめと豆腐の味噌汁。それに焼きたてのパンと炊き立てご飯。……和洋折衷、というか、ただの“どっちつかず”だ。


二日前、俺をベランダに閉じ込めたバカ(真紀)は卵が半熟だと怒るくせに、ハルのほうは「ご飯じゃないと食べた気がしない」と言う。めんどくさい奴らだ。炊飯器のスイッチを押しながら、ふと思う。


電気系能力者や石油系能力者の発展で、暮らしは随分と安く、便利になった。照明も燃料も水道も。便利すぎるくらいだ。だが、その裏では血みどろの戦いがあった。“能力”という言葉の響きには、いまだに戦場の匂いが残っている。まったく、平和ってのはいつも誰かの犠牲の上に立ってる。


冷たいフライパンにオリーブオイルをひと筋。火を点けると、金属が膨張するような小さな音を立てた。ベーコンを乗せた瞬間、「ジューッ」と油が跳ね、香ばしい匂いが部屋に広がる。


俺はガサツなくせに、こういうところだけはうるさい。ベーコンは焦がす寸前が一番うまい。脂が透け始めたらブラックペッパーを指先で捻って散らす。スパイスが熱に弾けて香りが立つ瞬間がたまらない。半分ほど火が通ったところで卵を4つ落とす。黄身がぷっくりと膨らむ。2つは半熟に仕上げて、もう2つは大胆にかき混ぜ、よく焼けたスクランブルエッグ風にする。


「……おっけぇ」

フライ返しで皿に移しながら、俺はひとりごちる。


次に味噌汁。出汁なんか取らない。朝からそんな悠長な真似できるか。鍋に水を張って火をかけ、手近な出汁パックを放り込む。それでも湯気の向こうからふわっと立つ香りは悪くない。豆腐を切り、わかめを一掴み。冷蔵庫から引っ張り出したタッパーの中の豆苗を入れたら、鍋の中が一気に春めく。黄緑が浮かぶ湯気の層。俺は味噌を目分量で溶きながら、しゃもじで軽く混ぜた。


「こう見えても、味は悪くないんだぞ俺。」

自画自賛を小さく漏らす。テーブルの端ではコーヒーが湯気を上げている。豆を挽く余裕なんてないからインスタントだ。だが香りだけは悪くない。ささやかな“朝の幸福”ってやつだ。


「おーい、馬鹿Aと馬鹿B! ご飯だぞー!」

2階の事務所から3階へ声を張る。俺たちの探偵事務所は古びた三階建てのビルの真ん中にある。1階は空きフロア、2階が事務所、3階があの二人の部屋。


ドタドタと階段を降りる音。「うおっ、やべぇ!」という声に続いて、「きゃっ!」という悲鳴。その直後、階段を転げ落ちる音。……春だなぁ。半分諦め、半分呆れ。


やがて、ハルが寝癖を直しながら現れ、真紀は無言でコーヒーを口に含む。そして、への字の口で言った。

「……なにこれ、スクランブルエッグ? えぇ……」

俺は新聞を片手に顔も上げずに言い返す。

「お前昨日、“スクランブルエッグ食べたーい”って駄々こねてただろ」

「……言ったけど。昨日の気分と今日の気分は違うんだよ」

「便利な脳してんな」

ハルが吹き出す。

「ははっ、真紀さんそれただのワガママっすよ」

「うっさい!」

真紀がハルの頭をスプーンで小突く。コーヒーが軽く波打ち、机の端から一滴こぼれた。

「このコーヒーもまずい」

「文句言うなら自分で淹れろ」

真紀はぷいっとそっぽを向き、ハルは笑いながら味噌汁をすすった。

「……今日の味噌汁、ちょっとしょっぱいっすね」

「お前ら、食わせてもらってる自覚あんのか?」


俺のぼやきが、いつもの“朝”の音として、事務所に溶けていった。戦場よりうるさい朝も、悪くない。


「そういえば、お前ら、大学、ちゃんと行ってんのか?」

コーヒーを啜りながら、なんとなく口をついて出た。ハルは新聞を読み、真紀はテーブルの上でパンをちぎっている。この二人、ハルはスーパーで、真紀は山の中から拾ったようなもんだ。拾ったって言い方もアレだが、まぁ事実だ。住む場所を貸して、学費を出して、ここまで育ててきた。……親か俺は。


「最近、依頼関係でバタバタしてるから行けてねぇんじゃねぇかと思ってたが。」

「ぁー、教授に話つけてあるんだ。今はビデオ授業で受けさせてもらってるよ。」

と、ハルが軽い調子で答える。

「真紀も一応、出席扱いにしてもらってる。頭は悪くないんだから、ちゃんとやってくれよ。」

「むっ、バカにしてるでしょ。」

真紀がむくれる。口の端にパンくずつけたまま。

「いや、お前ら意外と優秀だからな。自慢だよ。」

曖昧な笑いを返す。なんか、こう、褒めるのも照れくさい。


「ハルは確か、考古学系の授業受けてるよな?」

「うん。そういえば、2日前に来た教授。あの人のこと、聞いたことある?」

教授。依頼人のことだ。名前が…。

「田中さん……依頼者の名前、忘れたんですか?」

ハルが呆れ顔をする。

「ボケ始めた?」

真紀が追い打ちをかける。

「お前らなぁ……」

コーヒーを啜ってごまかしつつ、ハルの話に耳を傾ける。


「あの人ね、教科書に載るくらい有名な論文書いてる人だよ。アーティファクトに関する、考古学的な文献の著者。」


アーティファクト。能力者が生まれる前から存在していたのか、それとも“能力”の副産物なのか、いまだにはっきりしない。願いから生まれたもの、異形から抽出されたもの……いくつかの系統があるらしい。前にハルが楽しそうに語っていたのを思い出す。まるで少年が宝物を語るみたいに。


俺のタバコも、実はアーティファクトのひとつだ。昔、無理して買った記憶がある。名前は、なんだったか。

「“物好きのタバコ(Curious Cigarettes)”……だった気がするな。」

思わず口に出していた。

「……は?」

二人の視線が同時に刺さる。

「いや、ほら。年取ると記憶が……」

「本気でボケた?」

真紀がマジトーンで言う。やかましい。


「で、その教授の人間性はどうなんだ? 他の教授から何か聞いてるのか?」

「うーん……なんか“古参”って言われてるらしいよ。」

ハルが少し首を傾げる。

「ってことは、俺より年上か?」

「それがさ、微妙なんだよ。大学院生の頃から名前はあった、って話で。存在は知ってるけど、実際に会ったことがある人は少ないらしい。……なんか、時間が止まってる人みたいな。」

「ふぅん……」


静かな沈黙。外では電車が遠くを走り抜け、雨上がりの光が窓を照らしていた。探偵事務所の時計の針が、コツンと音を立てる。


と、その時。

「ねぇ!? アイス誰食べた?!」

真紀の叫び。緊張感が一瞬で吹き飛んだ。

「……お前、今それ言う?」

ハルが眉をひそめる。

「だって! “期間限定 抹茶あずき”だったのに!」

俺は額を押さえた。せっかくいいところだったのに。教授の話は、結局アイスの犯人探しにかき消されるのだった。


昼頃にて

「今日は俺も忙しい! たまには大学に顔出してこい!」


朝、事務所で探偵さん

つまりあの人が言った。

どうせ「ついでに依頼の件、調べてこい」って意味だ。

ま、わかってるけどな。


というわけで、俺は大学の図書館に来ていた。

静寂と紙の匂い。微妙に冷房が効きすぎてて、眠気が増す。

“陰キャでも陽キャでもない、無キャでもない”と自分では思ってる。

……いや、思い込みかもしれない。


そんな妄想をしていたところで


「おおっ! ハルじゃねぇか!! 久しぶりだな! 俺はマッスルだ! HAHAHA!!」


静寂を破る爆音ボイス。

声で天井のホコリが落ちてきそうだ。


「お、おう……熱血!」


そう、こいつの名前は熱血(ねっけつ)。

名前の通り、熱い、うるさい、そして筋肉。三拍子揃った“筋肉バカ”である。

だが、悪い奴じゃない。

むしろこういう真っすぐなタイプ、俺は嫌いじゃない。友人として大好きな部類だ。


「お前、何探してんだ?」

筋肉でできた眉毛がひょいと動く。


「これだよ。」

探偵から渡された資料のコピーを広げる。


「この遺跡について、ちょっと調べたくてさ。」


「ふむふむ……」

熱血が真剣な顔で覗き込む。

筋肉バカでも、考古学者志望という意外な一面がある。


「……なるほどな。俺には細かいことは分からねぇが、多分これは“都市級”の遺跡だな。

見ろ、この写真の端っこ。異形がチラッと映ってんだろ? あれ、地域級クラスの奴だ。」


専門用語を当然のように並べられ、正直ついていけない。

でも、前にも聞いたことがある

この世界の“ランク制度”ってやつ。


個体級(アシスト)▶施設級(バインダー)▶地域級(ブレイカー)▶都市級(アーク)▶国家級(ドミニオン)▶異端級(サンクティファイド)


個体級が“個人レベル”、都市級になると“都市が吹き飛ぶ”レベル。

さらにその上には、国家を滅ぼす存在までいるという。

異形や遺跡の危険度は、それによって分類されるんだと。

……と、全部この筋肉ゴリラが前に語っていた内容だ。覚えている自分を褒めたい。


「施設級って、結構重要な扱いだよな……」

ぼそっと呟くと、熱血がニヤリとする。


「だろ? で、この資料の教授、石神教授だろ?」


「なんで知ってんの?」


「おいおい、ハル。お前……この人の本、著者名忘れたのか?」


「……あっ。」


「この人、“遺跡発掘の等級制度”を作った張本人だぞ?」


図書館の空気が、一瞬だけ変わった気がした。

背筋をなぞるような、妙な冷たさ。


「ふぁああぁっ?! マジでかっ!」


あまりの声量に、「静かに!」という司書の怒声が飛んだ。


「いやっその! 違くて! あの人そんな有名人だったの!?」


「うるせぇぞ!筋肉と根暗クソ虫!!」


図書館の奥から飯嶋さん(学生司書)が飛んできた。

次の瞬間、俺と熱血は見事なキャメロットクラッチを決められ、床に沈められた。


数分後、俺たちは図書館の外に転がされていた。


「……俺、大学通っててよかったのかな……」


「HAHAHA! 青春ってのは、痛みを伴うんだよ!」


「うるせぇ、マッスル。」


秋の風が、笑い声と一緒に吹き抜けていった。


午後二時、薄曇りの空から柔らかな光がカーテンを透かしていた。

三階の真紀の部屋は、昼下がり特有のゆるやかな時間に包まれている。

机の上には開きっぱなしの教科書とノートパソコン。

スクリーンの向こうでは、教授の穏やかな声が響いていた。


「はい、では教科書四十五ページを開いてください。

今日は《能力者の仕組みと発現条件について》を扱います。」


ページをめくる音が静かに部屋を満たす。

真紀は指先でページの角を押さえながら、軽く伸びをした。

カーテンの隙間から射し込む光が、彼女の頬に細い線を描く。

ノートには既にびっしりとメモが書かれていた。


教授の声が淡々と続いた。

「まず、発現条件について。発現には主に三つの要素が確認されています。」


「A、強い願いによる発現……か。」


教授の声がそれにかぶさる。

「極限状態や強い感情。恐怖、怒り、絶望、あるいは強い願望。

こうした精神的圧力が脳の臨界を超えると、能力が発現することがあります。

一種の自己進化現象ですね。ただし、全員に起こるわけではありません。」


「ふうん……自己進化、ね。」


真紀はペンを止め、机に肘をついた。

彼女は、これを“知識”としてではなく“現実”として理解していた。


「次に、純血種としての遺伝。

能力を持つ両親を持つことで、先天的に“能力器官”が形成されます。

純血種は適応率が高く、複数の能力や進化型を持つ例も。

国家や一部組織では、この血筋を“貴種”と呼ぶこともあります。」


真紀は小さくため息をつく。

「貴種」、どこか鼻につく響き。

そういう区別があるからこそ、この国はややこしいのだと、彼女は思う。


「そして三つ目。後天的改造による発現。

これは犯罪です。絶対に……やってはいけません。」


教授が少し笑い、真紀も小さく吹き出した。

「さて、では次。発現した能力は、脳の大脳辺縁系に近い位置に“能力器官”を生成します。

ここから神経のように“能力神経路”が伸び、身体や思考、環境と結びつく。

医学的には“非物質的構造に近い未知の細胞群”とされていて、詳細はまだ解明されていません。」


真紀はその言葉を反芻した。

「脳の中に、もう一つの臓器……」


もし自分の中にもそんなものがあるのだとしたら、

それは一体、誰のために、何のために生まれたのだろう。


「今日の講義はここまでです。お疲れさまでした。……あれ、マキ? 今日は家?」


「うん、家だよ〜。家サイコー! うぇい!」


「……まきさん、後で呼び出しね。」


「えぇ〜〜!? なんでぇ!?」


教授の声が途切れ、画面が暗転した。

再び静けさが戻る部屋。

机の端に置かれた写真立てを手に取り、真紀は笑顔の少年を見つめる。

「……強い願い、ね。」

その呟きは、どこか寂しげで、けれども微かに決意の色を帯びていた。


同時刻、探偵は悩んでいた。

……お金が、ない。


ソファに沈み込み、天井を見上げる。

薄汚れた照明がチカチカ瞬き、電気代の未払いを予告しているかのようだ。


「……いや、まぁ、イケメン風に言えばさ」


独りごちて、鏡の中の自分に語りかける。

“俺がお前らを大学に行かせてやる”なんて言ったけど、

現実は通帳が泣いている。

財布の中には小銭と、どこで拾ったのかも分からないレシートだけ。

ため息の数だけ、現実は重くなる。


「……しょうがねぇ。猫でも探すか。」


数日前に見かけたポスターが、頭の隅に浮かぶ。

“みーちゃんを探しています”

飼い猫捜索、報酬三千円。

「三千円かぁ……昼飯三回分だな。」


探偵はコートを羽織り、雨上がりの商店街へ。

だが、結果は惨敗だった。誰も猫を見たという情報はなく

結果、通報。そして逮捕。


「……で、何したかったの?」

取調室。向かいに座る警察官が、面倒くさそうに尋ねる。


「いや、俺が聞きたいぐらいだわ!」


「一応聞くけどね……“裸踊りしながらカップラーメンすすってそうな不審者が八百屋近くで聞き込みしてる”って通報があってさ。現場に行ったらお前がいたんだよ。」


「お前、それだけで逮捕すんなよ!」


「……で、なんで裸じゃないの?」


「?????????」


「まぁいいや。気をつけて帰ってね。」


探偵はコートの襟を立て、夜風に震えながらも最後の意地を振り絞った。

「絶対訴えてやるからなぁぁぁぁあ! 名誉毀損で、民事で、刑事で、あとインスタにブチ上げてフォロワー3人増やしてやるからなぁぁぁ!!」


通行人が一人、スマホを構える。誰も振り向かない。

その背中は、夜よりも哀しかった。

だが、ポケットには一枚の紙。


『みーちゃん、見つかりました。ご協力ありがとうございました。報酬はなしです。』


「……泣いていい?」


誰に問うでもなく、空を仰ぐ。

薄曇りの月が、探偵の悲しみを静かに照らしていた。

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影は歩く、神隠しは終わらず @hanahojitekitouman

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