第二話 再会

――死体発見から数日。

 僕はあの日、警察に通報しなかった。僕でなくとも誰かがいずれ見つける、そう思ったからだ。それに、僕が通報したら「第一発見者」になってしまう。すなわち面倒なことに巻き込まれるということだ。


 死体の彼の名前も知らない平凡な学生である僕に、日本の警察は無駄な事情聴取をするだろう。だってほら、もう大事おおごとになっているじゃないか。


「えー……先日、東京日本橋大学で発見された遺体ですが――」


 朝食のトーストをかじりながらボーッと見つめる黒い枠の中、あの日の植木が映し出される。険しい表情をした記者がカメラ越しにこちらへ言葉を投げかけている。僕には必要のない情報だ。


 警察の捜査は続いているが黄色い規制線は構内の奥にしか張られていないようで、僕は今日も「現場」の大学へ行かねばならない。学生を守るていで大学周辺には警官が配置されるらしい。


萌吾ほうご、気をつけろよ。事件か事故か、まだ分からないってさ」

「そんなの、気をつけようもないと思うけど。ご馳走様」


 もうすぐ五十歳になる父親は、相変わらず僕を舐めている。僕は父を一生許すはずがない。どうしてそんなに平然とした顔で僕を心配している振りができるのだろうか。これは単なる反抗心ではなく、揺るがない事実なのだ。僕は父のことを心底嫌っている。


 それにあの不自然な死体を検証しておいて、まだ警察は「事故の可能性もある」なんて言っているのか。そんなだから冤罪が日々起こるのだろう。あれはどう見ても巧妙に仕組まれた「殺人」だ。


 手早く準備を済ませ、いつもの電車に揺られて大学へ向かう。僕はあれからずっと考えていた。彼の死因、と言っても表面上のそれはきっと無能な警察や鑑識によってじきに解明されるだろうが、僕が知りたいのはその先である。この胸のざわつき、心拍数の上昇は何度も経験したことがある。僕の本能が疼くような興奮。


 死体を発見した日から講義なんて頭に入らない。ただ僕は自分の中に宿る「謎」を解き明かしたい、その衝動を抑えられずにいた。


「ちょっと、俺は関係者ですって! 信じてくださいよぉ〜おまわりさん!」

「え……櫻田さくらだ先生? こんなところで、何してるんですか」


 僕が大学に到着してすぐ出くわしたのは正門で警官と揉めている高校時代の恩師、櫻田 純壱じゅんいち先生だった。久しぶりに会った櫻田先生はだいぶ印象が変わっていた。黒かった髪は白髪交じりの金髪に染まっていて「爽やかさが売りだ」と言っていた割に今は無精髭を生やしている。


 それより、何故このタイミングで先生が大学に居るのだろうか。先ほど警官に対し「関係者だ」と言っていたことも気になった。僕はしばらく考えを巡らせながらその場に留まり、警官と先生のやり取りを観察していた。


「なぁ、菊間きくま! この人に俺が不審者じゃないって証言してくれないか! 頼むよ!」

「僕がですか……」


 どうやら先生の変化は外見だけらしい。いつもおちゃらけていて「大人の自覚」というものが欠如している。そして全てノリでどうにかなると思っている……高校では「根明の櫻田」というあだ名まで定着していた。


 さて昔話は置いておいて、確かに不審者ではないが先生が大学に来る理由を知らない僕が、警官に何を説明しろというのだ。まぁここは適当に言っておいて、先生に借りを作るとしよう。後で聞きたいことは山ほどある。


「お勤めご苦労様です。うちの櫻田がご迷惑をおかけして申し訳ありません。彼は、浪人して入学した……僕の友人です。講義に遅刻してしまいますので、通してくださいますか?」


 明らかに苦しい言い訳だったが、僕は警官の眼を真っ直ぐに捉えて訴えた。大抵の人間は、こうして視線を逸らさずに断定的な言い方をする者の言葉を信用する傾向にある。理由は「圧」を感じるからだ。


「わ、分かりました……お時間をいただき、こちらこそすみません」

「ありがとうございます。では、失礼します」


 こんな穴だらけの警備じゃ、本物の不審者侵入を防ぐなんて無理な話だろう。配置された警官がむしろ可哀想だ。僕は呆れながら、講堂に向かって歩き始める。余計な時間を食ったせいで急がなければならない。先生と話すのは一限の講義が終わって、それからだ。


「なぁ菊間。俺がここに来た理由、知りたいだろ?」

「そりゃまぁ……知りたいですけど。僕はもう行かなきゃいけないので――」

「菊間があの日、感じたこと――俺にも教えてくれよ。俺が今日ここに居る理由は、だよ」


 櫻田先生は僕の肩を抱き寄せるようにして不敵な笑みを浮かべた。

 何だろうか……先生から初めて感じる「怖さ」を僕はこの会話で悟った。彼は僕の知らないこの大学の「何か」を知っている。そして、僕の知らない「僕」をきっと知っている。僕の興味をそそるのが上手いのも、昔から変わらないようだ。僕は、講堂に向かう足を止めた。


「僕が何を知っているのか、先生はご存知なんですね。そこまで煽るなら……僕の『知的好奇心』に付き合ってもらいましょうか」

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