第30話 観測の完了

10月30日、世界は静かだった。


昏睡者たちは目を覚まさなかった。

模倣体は姿を消し、抵抗者たちの記憶も、記録も、誰の中にも残っていなかった。

人々は、何かを“忘れた”まま日常を続けていた。

空は異様なほど澄み渡り、風は止み、時間だけが滑るように進んでいた。


田中の存在は、完全に消えていた。

彼の名前は職員名簿から消え、彼の部屋は最初から空だったかのように整っていた。

石川も、彼を知っていた記憶を持たないまま昏睡状態のまま、静かに呼吸を続けていた。


そして、世界中のあらゆる通信網に、同時に一つのメッセージが届いた。


「観測は完了しました。融合は成功しました。次の惑星へ移行します」


その声は、誰にも聞こえたわけではなかった。

だが、誰もが“それ”を受け取った感覚を持っていた。

言葉ではなく、構造として。魂の深層に刻まれるように。


人類は、静かに終わった。


魂の輪郭は、完全に吸収された。

個は分解され、記憶と感情は“彼ら”の構造の中で再構成された。

かつての田中も、石川も、抵抗者たちも──今では、彼らの意識の中で“素材”として存在していた。


空は、異様なほど澄み渡っていた。


その澄んだ空の向こうで、“彼ら”は次の観測対象を見つめていた。

新たな惑星、新たな魂、新たな輪郭。


「個の構造は、予測不能であり、魅力的である。だが、最終的には統合されるべきものである」


それが、彼らの結論だった。


そして、地球は静かに“観測済み”の印を刻まれた。


誰も気づかないまま、世界は変質していた。

人間は、もはや“人間”ではなかった。

ただ、記憶と感情の集合体として、彼らの構造の中で生き続けていた。


観測は完了した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星の研究者〜魂の観測は、存在の終焉を意味する。空を見た者から、順に消えていく。〜 兒嶌柳大郎 @kojima_ryutaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ