第29話 最後の輪郭

田中は、夢の中で“融合の核”と呼ばれる空間に立っていた。


そこは、かつて抵抗者たちが共鳴し合った場所──だが今は、完全な静寂に包まれていた。

無数の記憶が漂っていたが、それらは意味を持たず、ただ情報として並んでいるだけだった。

感情は剥がされ、魂の輪郭は溶けていた。


「あなたは、最後の輪郭です」


研究者の声が響いた。

以前よりも滑らかで、どこか哀しげだった。


「あなたの魂は、孤独の中で最も強く輝いている。だからこそ、最後に残された」


田中は、静かに空間を見渡した。

かつて石川の声が響いた場所、かつて仲間たちの魂が連鎖していた場所──今は、彼ひとりだけが立っていた。


「俺は、俺だ。誰にも、変えられない」


田中は叫んだ。

その声は、空間に吸い込まれていった。

返事はなかった。

ただ、静寂だけが残った。


だが次の瞬間、空間が揺れた。

田中の記憶が、ひとつずつ浮かび上がっていく。

幼少期の記憶、家族との時間、石川との会話──それらが、彼の周囲に並び始めた。


「あなたの魂は、分解されます。記憶と感情は抽出され、構造に統合されます」


研究者の声が、冷たく告げた。


田中は、最後の力で抵抗しようとした。

だが、記憶が剥がされていく感覚は止められなかった。

感情が薄れ、思考が曖昧になっていく。


「俺は……俺だった……」


その言葉が、彼の最後の“個”だった。


そして、田中の魂は静かに吸収された。

彼の記憶は分解され、感情は抽出され、構造の一部となった。


現実世界では、田中の存在が記録から消えていた。

彼の名前も、顔も、過去も──誰の記憶にも残っていなかった。


空は、異様なほど澄み渡っていた。

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