第5話 囁き

田中は、研究者との対話を重ねるうちに、恐怖と興味の間で揺れていた。

彼の言葉は冷静で、論理的で、時に美しさすら感じさせる。

だが、その根底には、確かに「人間ではない何か」が潜んでいた。


ある夜、田中が佐藤の部屋を訪れると、研究者はすでに目を開けて待っていた。

口は動かない。

だが、田中の脳内に、静かな声が響く。


「今日は、少しだけ、私のいた場所を見せましょう」


田中の意識が、ふっと遠のいた。

次の瞬間、彼の脳裏に、言葉では表現できない光景が広がった。


音も、色も、形もない。

ただ、絶対的な「無」が広がる空間。

そこには時間の流れもなく、境界もない。

田中は、そこに「存在する」という感覚すら失いかけた。


「これは、我々の世界の断片です。あなたたちの言葉で言えば、宇宙の外縁に近い場所。物質も、意識も、希薄な領域です」


田中は、言葉を失っていた。

その光景は、美しくもあり、恐ろしくもあった。


「我々の存在には、あなたたちが言うところの『個』という概念が希薄です。意識は、集合的に流動し、役割によって分化します。だが、この星で観測した『意識』は、極めて強固な個の形を保っている。それが、我々の最大の謎なのです」


田中は、震える声で問いかけた。


「……それを、理解したいのですか?」


「はい。理解し、可能であれば、模倣したい。あなたたちの『魂』は、器が滅びてもなお、個として存在し続けられるのか。それが、我々の研究の核心です」


その言葉に、田中は背筋が凍るのを感じた。

これは、単なる観察ではない。

これは、人間という存在の「構造」を奪おうとする試みなのではないか。


「佐藤さんの……魂は、どうなったのですか?」


研究者は、少しだけ沈黙した。

そして、こう答えた。


「彼の精神は、私がここに来た時に消滅しました。だが、それは『無』になったわけではありません。彼は、抵抗し、叫び、最後まで『個』であろうとしました。それが、我々の観測を確信に変えました」


田中は、言葉を失った。

佐藤は、最後まで「人間」であろうとした。

その魂は、器を超えて、存在しようとした。


「あなたは……彼を、殺したのですか?」


研究者は、静かに首を振った。


「我々にとって、殺すという概念は存在しません。ただ、器を借りただけです。彼の魂は、今もどこかに、微かに残っているかもしれません」


その言葉に、田中は涙を流した。

それは、恐怖ではなく、哀しみだった。

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