アンジュ・アンジェリーク
吉田隼人
アンジュ・アンジェリーク
アンジュ・アンジェリーク
ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使がはるかの高みからそれを聞こうぞ? ――リルケ『ドゥイノの悲歌』手塚富雄訳
天使に性別はあるのか、などと詮無い議論を十七歳のぼくたちが繰り広げたのは二〇〇六年の真夏、京都市内のホテルの一室でのことだった。ぼくたちというのは、ぼくともう一人、いまは地元のテレビ局で記者をやっているFくんで、なぜよりにもよって夏の暑い盛りに京都なんかにいたのかといえば、その年の高校文化部の全国大会が京都で開催され、ぼくたち二人が新聞部の福島県代表に選ばれていたからだ。新聞部は取材や大会、研修会などで遠出して泊まりになることが多く、そのたびにFくんとぼくは夜を徹して青臭い議論に花を咲かせた。
そのころ少しばかりかじりかけていたフランス語で
いずれにせよ、典型的なポルノグラフィの筆致を逆用して描かれた、少女の顔とそれとは明らかに不釣合いな乳房とをもった天使が腹に短刀を突き立てる図像を見て、何よりまず「これは自分だ」と思ったからこそ、ぼくは波風を立てるのを厭う己の性向に敢えて逆らってまで、諸々の障碍を覚悟の上で歌集の表紙をこの画で飾ろうと決めたのであった。また、歌集の表題に採った連作「忘却のための試論」には一人の女性の死が歌われているが、この画に接したとき、そのことは全く頭になかった。
自らの血を以て書く、と言ったのが『ツァラトゥストラ』のニーチェで、書いたそばから紙が燃えあがるような、と言ったのは『
貧相な肉体と反比例を示して際限なく想念ばかりが肥大してゆく、そんな青春の暗い一類型をいまだ脱しきれぬまま言葉をもてあそび、遂にぼくは一巻の書物を世に問うまでに到ってしまった。見本版の頁を繰るたび紙の匂いに混じって立ちのぼってくるのは残念ながら血の臭いでも薔薇の香でもなく、むせかえるほど
天使に性別はあるのか。本当のところを言えば、そんな愚にもつかない――あるいは高級にすぎる――議論を、十七歳のぼくたちが交わした筈もなかった。京都のホテルでの一夜、盆地に特有のねっとりとまとわりつくような熱気の中でFくんと堂々めぐりの議論をしていたのは事実だが、たしかその内容は「自分は殺す側の人間か、殺される側の人間か」というものだったと記憶している。そんなくだらない嘘で読者を煙にまいたところで、ぼくはこの文章を終えることにする。ちなみにぼくは、自分は殺される側の人間だ、と今でも思っているよ、Fくん。
アンジュ・アンジェリーク 吉田隼人 @44da8810
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