あなたにも色々事情があると思う。まずはそれを聞かせてほしい。

イロイロアッテナ

あなたにも色々事情があると思う。まずはそれを聞かせてほしい。

当時、僕は大学4年生で就職に向け、いくつもの官公庁を受けていた。

時代はPHSが終焉を迎えつつあり、携帯が普及し始めたけれど、まだ普通に固定電話が設置されていたような時代だ。僕は、下宿していたボロボロの安手の文化住宅にも、一応、固定電話の回線を引いていた。

その日、僕は本命にしていた官庁の最終面接の前日で、体調を整えるためにも、夜9時に就寝していた。今日まで十分に試験対策を練り、口幅ったい言い方だが、面接の訓練も十分に積んだ。

自分には珍しく、試験に対し、できる事は全てしたと言い切れるほど努力した。

これで受からなければ、そもそも自分のスペックでは届かないと諦めざるを得ない。

それほど努力を尽くしたという自負から、僕は不安に苛まれることもなかった。


僕には、そのとき付き合っている女性がいた。

近隣の女子大に通う同い年の女性で、100人が見たら100人が美人だということに異を唱える者がないほど美しい人だった。

その分、我儘で、言い出したら理屈ではない部分で言うことを聞かない人でもあった。

そんな彼女は、政府系金融機関に勤める父親の仕事の都合で、幼いときから全国転勤を続け、小学校だけで4校通ったほど転勤が激しかった。

転勤続きの暮らしに疲れた彼女は、ようやく腰を落ち着けた横浜の地を愛し、また、今後の自分の人生において、転居を伴うような生活は避けたいとの意向を示した。

そして、僕に横浜で暮らせるよう、横浜周辺の官公庁への就職を希望し、僕もまた、それに応えるべく、横浜市役所や横浜税関など、とりあえず、横浜と名前のつく所は片っ端から受験して、その多くから合格や内定をもらっていた。

そんな中でも、明日が、彼女が最も就職を希望し、僕も本命としている官庁の最終面接だった。


そんな、よく眠っていた真夜中、固定電話がけたたましく鳴った。

僕が寝ぼけまなこで枕元の目覚まし時計を引き寄せると、時間は午前2時だった。

苛立ちよりも、一体何の電話なのか、そもそも、この電話番号を知る人はあまりいないはずなのに、と訝しげに電話を取った。

迷惑電話の可能性が一番高いと思いながら電話に出ると、彼女だった。

驚いて用件を尋ねる僕に、なぜか、彼女は当たり障りのない話しか、しなかった。

僕は彼女の話に調子を合わせながら、辛抱強く彼女が真の用件を切り出すのを待った。

深夜2時に電話をかけてきて、当たり障りのない話のはずがないが、粘り強く1時間ほど話を聞いても、彼女は本題に入らなかった。

さすがに午前3時となり、僕は仕方なく、本当の用件は何かと彼女に水を向けてみた。

若干言い淀んだ彼女は、意を決して

「別れて欲しい。」

と僕に告げた。

「え、いや、あの、僕、明日っていうか、今日、最終面接なんだけど。」

「知ってる。言わないといけないと思いながら、今日まで来てしまったの。」

「あの、それでしたら、もう1日だけ日延べして、明日でもよかったような気がしなくもないですが。」

「もう、これ以上、耐えられないの!」

「ち、ちょっと落ち着いて。」

僕は左手で受話器の口を押えると、一旦、深呼吸をして心を落ち着かせた。

「あなたにも色々事情があると思う。まずはそれを聞かせてほしい。」

そう告げた。

「あなたといることが耐えられないの。」

「理由を教えて。僕に何か、気に障るような欠点があるのなら、改善するように努力するから。」

「そういうことじゃないの、何かを直せば一緒にいられるとか、そういうんじゃないのよ。」

僕は、また受話器から耳を離し、必死に説得の材料をかき集め、彼女に言った。

「それでは、こういうのはどうかな。今、2人とも就職活動でとても大変な状況にあるよね。そこで、例えば半年とか冷却期間を設けて、お互いにお互いを見つめ直し、もう一度話し合うのは?」

「だから、そういうんじゃないって。話聞いてる?」

「もちろん聞いてるよ。冷却期間が短いということであれば、就職後の新しい職場に慣れた1年後に、もう一度、一緒に関係を検討するというのは?」

「だから、そういう期間の話ではなくて、あなたと今、この瞬間、別れたいの!」

このように、とりつく島がない状況下において、何とか彼女を繋ぎ止めようと、僕は様々な妥協案を繰り出したものの、彼女が1つとして受け入れることはなかった。

僕は、妥協に妥協を重ねて提案を繰り返し、やがて朝日が昇り、空が白み始めた頃、あまりの長時間の交渉に、僕の頭も正常に機能しておらず、ついに

「では、また来世。」

と、訳の分からない、年の瀬の挨拶のようなことを口走ったが、それすらも彼女には

「来世も無理!」

と断られて、電話は切れた。

新しい朝の光の中、僕は膝から崩れ落ち、寝不足と極限に疲弊した精神状態で臨んだ最終面接の出来は、当然、散々だった。

また、もともと横浜での就職は、彼女が望んだからであって、もはや、彼女がいないなら、横浜にとどまる理由もなくなった僕は、合格したすべての官公庁に辞退を申し入れた。



ニュース速報をお伝えします。

大手金融機関の本店に武装した強盗が押し入り、行員を人質にとって立てこもる事態が発生。

警察及び機動隊が何重にも周囲を包囲し、上空には不測の事態に備え、スナイパーを乗せた警察のヘリコプターが待機しています。

現場を指揮する県警副本部長は、事態が膠着する前に突入すべきと進言した機動隊の意見を退け、警視庁が誇る日本屈指の超A級ネゴシエイターに事態を委ねる決断を下しました。

あっと、今、ライブで、現場上空の映像が入りました。

ヘリです。上空の県警のヘリコプターを割って入るかのように、警視庁の特殊装備のヘリコプターが現れました。

巨大なスピーカーで、犯人に呼びかけています。


「あなたにも色々事情があると思う。まずはそれを聞かせてほしい。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたにも色々事情があると思う。まずはそれを聞かせてほしい。 イロイロアッテナ @IROIROATTENA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ