第3話 裕介、ジェイドに世話を焼かれる
長時間労働から解放され気が緩むと、身体が一斉に悲鳴を上げた。
高熱、頭痛、全身の倦怠感。
異世界に来て数日、裕介は寝込むことになった。
(体調を崩すの、何年ぶりだ……)
「ふう」
ゆっくりとベッドの上で起き上がった。こめかみが断続的に痛むものの、数日前よりはマシになっている。
寝ては起きてを繰り返しているせいか、腰が痛くてたまらない。
「足腰弱くなるの嫌だし、そろそろ身体動かさないとな」
建物の外からは鳥のさえずりが聞こえた。のどかである。散歩をすれば、さぞ気持ちいいことだろう。
ワンルームの自宅では常に、車の走る音に悩まされていた。それに比べて、ここは天国である。
(静かな部屋での目覚め、最高……!)
幸せを噛みしめていると、扉がノックされた。
コン、コン、コン……とこちらが返事をするまで続けられるノック音に、裕介はげんなりする。
(これで一週間連続だぞ……)
あたたかな寝床に静かな空間。
文句なしの環境に不満があるとすれば、それはジェイドとの関係であった。
「……どうぞ」
「体調はどうだ?」
彼は飽きもせず、毎日裕介の見舞いに訪れていた。眼鏡を修理してくれたり、こうして気にかけてくれることに感謝はしている。
しかし、しかしだ。
「毎日、顔を出してくれなくても結構ですよ……」
「俺が訪ねるのは迷惑か?」
ジェイドはベッドの端に腰を下ろした。からかう口調とは裏腹に、眼光は猛禽類のごとく鋭い。
ジェイドは腕っぷしが強い。そんな彼を嫌う理由はなく、むしろそばにいてくれると頼もしい限りだ。
けれど裕介が渋い顔をする、その理由は。
「ジェイド様! 稽古の途中にいなくならないでくださいよ!」
今日も今日とて、息を切らした騎士団員が、必死な形相でジェイドを探しにきた。
こめかみから汗を流す若者が、まるで上司に振り回される己のようで、裕介は何とも言えない息苦しさを覚える。
「俺がいなくとも訓練に支障はあるまい」
「副騎士団長ともあろうお方が、職務を放棄していては皆の士気に関わります。早くお戻りを」
「わかった、わかった。ヨシュアよ、お前はもう少し柔軟さを身につけるべきだぞ」
ジェイドは騎士団長不在により、その代理を務めている。
毎回必死にジェイドを探す騎士団員たちの様子からして、彼は多忙を極めているはずだ。
裕介に会うことで、気分転換になるのなら喜んで協力をする。
(だからって、毎日来る必要はないだろ……)
サボる口実に利用されるのは本望ではない。
「来ていただけるのは嬉しいのですが、お仕事に支障があっては申し訳ないので……」
早く仕事に戻って部下たちを安心させてやれ、と言外に込めたのだが、
「俺がいなくとも問題はない」
ジェイドは悪びれることなく言った。
裕介は頭を抱える。
「……部下のみなさん、いつも死にそうな顔でジェイドさんを迎えにきてますよ。ジェイドさんがいないと困るんじゃないですかね」
裕介の言葉にヨシュアはうんうん、と大きく頷いた。
「己で判断できることさえも、俺に意見を求め頼ろうとする輩が多い。俺がいないことに慣れる必要がある」
「責任者として、その発言はどうかと思いますよ」
部下を信頼して仕事を任すのと、丸投げにするのでは天と地ほどの差がある。
裕介が譲らないでいると、ジェイドは根負けし、「ヨシュア、あと数分で戻るから、お前は先に行け」とため息混じりに言った。
ヨシュアは表情を明るくして裕介に頭を下げ、足早にその場を立ち去る。
「俺以外の男には優しいのだな」
「優しいとか関係なく、仕事は真面目にしないと」
ジェイドは約束を守って裕介の身を案じてくれている。心遣いはありがたいが、やるべきことを蔑ろにしてまで世話を焼かれても嬉しくはない。
「貴殿は元の世界で世渡りが下手だったのだろうな。己の限界を知らず身体を酷使していたのだから」
「う……」
図星を突かれ、裕介は言葉に詰まる。ジェイドは裕介の顎を人差し指で掬い上げ、
「黙って俺のご機嫌を取っていれば、この国で不自由はしないというのに……貴殿は不器用すぎる」
(ああ、そういうこと)
ローリア王国では、
ジェイドは無自覚に
悪意のない正義感は質が悪い。
「あいにく俺は
途端、ジェイドの灰色の瞳がスッと細められた。
強がってから後悔する。彼の機嫌を損ねていたらどうしよう。
平静を装うも、喉はカラカラに渇いていた。
居心地の悪い沈黙ののち、ジェイドは裕介の顎から指を離す。
「脅したかったわけじゃないんだ。貴殿がむやみに
すまない。
ジェイドは素直に頭を下げた。
彼は彼で苦労しているようだ。
(まあ、こんなイケメンならしょうがないよな)
ジェイドは細身ではあるが、裕介のように骨と皮ではない。無駄のない筋肉が軍服越しに見て取れる。背筋を伸ばした姿は男である裕介でも見惚れてしまうほど美しい。
キリっとした目元に、鼻梁の高い顔立ち。白銀の髪は短く刈り込まれたツーブロックで、前髪は長く残しオールバックにしている。
どこにいても人目を引く容姿だ。
モテる男も楽じゃないんだろうなと、他人事でいた裕介だったが、ふと妙案を思いついた。
(思いっきり可愛い子ぶれば、頻繁に様子を見に来なくなるんじゃないか……?)
媚びる
不意をついて甘えれば、自分と距離を置きたくなるのではないか。
ジェイドは騎士の誇りに誓って裕介を守ると宣言した。嫌われても最低限身の安全は保証してくれるだろう。
裕介はジェイドの手首を掴み、眼鏡ごしに上目遣いをしながら囁いた。
「あの、毎日のお見舞いはありがたいのですが……仕事の合間に少し顔を見せてくれるだけで充分です。だから、今日は仕事に戻ってくれませんか……?」
精一杯、甘えを含んだ口調を心掛けた。言ったそばから恥ずかしくなり、脇汗がとまらない。
ジェイドは無表情で固まった。瞬きすらしていない。相当大きなダメージが入ったようだ。
恥をしのんで挑戦した甲斐がある。
してやったりと心の内でほくそ笑む裕介だったが、ジェイドのほうが上手だった。
ジェイドは裕介の前髪をかき上げると、その額にキスをしたのだ。
(……は?)
「下心のある
「そうだが、貴殿に対しては違ったようだ。可愛い願いに免じて、団員たちの指導に戻るとしよう」
ジェイドは灰色の瞳を柔らかく細め、「ではまた」と手を振った。
閉じた扉を裕介は呆然と見つめる。
(おっさんのぶりっ子はこの世界ではアリなのか……)
カルチャーショックを受けた裕介は、ひとりぽつんと取り残された。
憤死もののおねだりをして以降、ジェイドが部屋を訪れる頻度は減った。
二、三日に一度のペースで、滞在時間は数十分である。
部下の悲壮な突撃は目に見えてなくなった。
ジェイドは支障なく仕事をこなしているようで、裕介は安堵する。
懸念点がないわけではない。
ジェイドはなぜか花束を抱え、現れるようになった。
花に興味はない。
毎回用意するのは大変だろうと断るも、「俺がしたいからしてるだけだ」と言ってきかない。
今日は白とピンクの花弁が華やかな花束だった。カーネーションに似ている花々からは、澄んだ香りが漂う。
(例えるならハーブ系の匂いかな……? 花の匂いってもっとこう、甘ったるいの想像してたけど、色々あるんだな)
「ジェイドさんは花がお好きなんですか?」
手際よく花瓶に花を活けるジェイドに、裕介は問いかけた。
「好きと言われれば好きだ。あれば心が安らぐ。……貴殿は苦手だったか?」
「いえ、好き嫌いを考えたことがありませんでした」
好きなものをパッと思いつかなくなったのは、いつからだろう。
ジェイドは大きな手で花束を整えていく。手際の良さに思わず見惚れた。
「こちらの事情で閉じ込めてしまってるからな。せめてもの慰めになればいいと思ったんだ。それに虫除けの役目も果たしてくれる」
花があると逆に虫が寄ってくるのでは……?
首を傾げる裕介に、「もっと大きな花束がいいか」とジェイドは尋ねた。
裕介は「充分です」と疑問を片隅に追いやって即座に断る。
部下への対応が荒いのはさておき、ジェイドは裕介を理解しようと、こちらの反応を窺っていた。
その姿勢は尊敬に値する。
(彼のこと、知りたいな)
ジェイドは本当に義務感だけで裕介を助けたのだろうか。
彼が訪ねてくる数十分前。
騎士団員たちが部屋の前を通りかかった。
『副団長は【災厄】なんか拾ってきて何考えてんだ?』
『だな、俺たちに首、噛ませようとしてくんじゃねえの、異世界からの
『召喚の儀で見かけたけどよ、ガリッガリで細っこいおっさんだったぞ。あんなんでもフェロモン嗅いだら勃つのか?』
『試してみりゃいいじゃねえか』
『俺は勃たないほうに金貨二枚』
爆笑とともに騎士団員たちは去っていく。
だが裕介の脳裏からは、彼らの言葉が離れない。
ジェイドはそう言って憚らないが、大多数の
ハーレムを是とする時点でなんとなく予想していたが、団員たちの猥談を耳にし、確信した。
ジェイドは
優遇されている自分が彼の影でぬくぬくと過ごしていては、今後、彼に迷惑がかかるのは目に見えている。
騎士団にとって有益な存在だと、己の価値を示さなければならない。
その一歩として自室から出る許可を得る必要がある。
「どうした。具合が悪くなったのか?」
花を活け終わったジェイドは、うつむく裕介の顔を覗き込んだ。
ジェイドは優しい。
誰かに甘やかされたいと願い、線路に飛び込んだ裕介の願いは叶ったといえる。
(彼に見捨てられたら、俺は立ち直れないだろうな……)
裕介はジェイドを安心させようと微笑んだ。
「逆です。もう体調は万全です。だからそろそろ部屋から出ても……」
「駄目だ」
裕介が動けるようになれば、見舞いという余計な仕事は減るというのに、断固、彼は部屋の外に出ることを認めてくれないのだ。
せめて施設内を散歩するぐらいは許して欲しい。
「ローリア騎士団には
「知ってます」
「貴殿は
「ですね」
「……本当に自分の立場をわかっているのか?」
しかし皆が皆、裕介に誘惑されるわけではない。部屋の前を通りかかった騎士たちの会話で証明されている。
「どんな美人でも万人を魅了することはできないんですよ。いや、俺が魅力的だなんて言うつもりはないですけど」
裕介は眼鏡のブリッジを押し上げ力説したが、ジェイドは呆れたように項垂れた。
「……貴殿は危機感というものがなさすぎる」
(俺が美少年っていうなら、そりゃあ警戒するけどさあ。ひょろガリの中年親父に誰がムラムラするんだ?)
ましてや襲われる可能性など、微塵も想像できない裕介だった。
満員電車で痴漢に間違われる男が、どう転んだら言い寄られる立場になるというのか。
納得しない裕介に、ジェイドは渋い顔をしていたが、突如表情を明るくした。
「しょうがない。俺のそばから離れないと約束するなら、外出を許可する」
「おお!」
「ひとつ条件はあるがな」
ジェイドは好青年の顔を一変させ、人の悪い笑みを浮かべた。
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