廃村の祟り

朝の光は薄く、空気はまだ夜の冷気を引きずっていた。

 社の外に出た俺――天野黎は、竹箒を肩にかけて立っていた。

「転生して最初の朝がこれかよ。掃除から始まる人生とか、神様のセンスを疑うね」


 皮肉を口にしながらも、体は妙に軽い。

 昨夜の戦いで何かが変わった気がした。手のひらに残る白い光の感覚。

 どうやらこのスキル《掃除》、単なる冗談じゃない。


 社の縁側で、巫女のゆきなが湯を注いでいた。

 湯気の向こうで、白い髪が朝日を受けて淡く光る。


「黎。村の北に“廃村”がある。昨日の穢れは、そこから流れてきている」


「つまり元凶がそっちってことか」


「放っておけば、この村もすぐに飲まれる。……行くつもり?」


「行かない理由ある? 俺、掃除屋だし」


 ゆきなは小さく笑った。

 彼女が笑うと、世界が少しだけ明るくなる気がする。


「なら、私も行く。あなた一人では穢れに呑まれる」


「心強いけど、あんた死んだら俺、祟られそうなんだが」


「死なない。巫女だから」


 淡々とした口調で、彼女は袖に鈴を忍ばせる。

 俺は竹箒を握り直し、ため息をついた。


 ――最弱スキル《掃除》。

 それでも、この手で救えるものがあるなら。


 廃村までは、半刻ほどの山道だった。

 途中、森の中に黒い靄が流れ、動物の死骸が転がっている。

 空気が重い。吐く息すら濁るような感覚。


「ここは……もう“穢域(えいき)”だ」と、ゆきなが呟く。

「足を踏み入れるだけで、魂が腐る」


「掃除のやりがいがありそうだ」


 そう口にしても、笑いは喉に引っかかる。

 地面を見れば、無数の手形。黒く焦げたような跡。

 村人が逃げようとした痕だ。


 やがて、朽ちた鳥居が現れる。

 そこをくぐった瞬間、風の音が消えた。


 ――静寂。


 俺たちは廃村に足を踏み入れた。


 家屋は全て潰れ、土壁の中から黒い液体が滲み出ている。

 村の中心には、祠のような建物があり、その前に異様な石碑が立っていた。


 石碑には、掠れた文字。


 > 「穢れは我らの罪、祓う者を拒む」


「……穢れの封印か」ゆきなが低く言った。

「この碑文、祓師たちが自ら封じた印。何かを閉じ込めている」


「閉じ込めたってことは、開くやつがいるってことだろ」


 その瞬間、地面が鳴った。

 石碑の下から、黒い腕が突き出る。


「くっ……退け!」


 ゆきなが鈴を鳴らす。白い光が弾けるが、黒腕は消えない。

 逆に増えていく。まるで地の底から無数の影が這い上がってくるようだった。


「おいおい、数多すぎだろ! 掃除どころかゴミの山じゃねぇか!」


「黎!」


 ゆきなが叫ぶと同時に、俺は竹箒を構えた。

 手の中に光が宿る。白く柔らかいが、どこか熱い。


「掃除開始っと!」


 箒を振る。

 光の筋が走り、黒い腕が一掃される。

 煙のように消え、空気が少しだけ澄んだ。


 だが、地面の下から響く声が止まらない。


「……清め……るな……われらを……忘れたか……」


「何だ、今の声?」


「穢れの主だ。この村を喰らった怨霊……」


 ゆきなが両手を合わせ、祝詞を唱える。

 地面が震え、黒い塊が姿を現した。


 それは巨大な獣だった。

 人の形を保ちながら、顔は崩れ、全身から瘴気を垂れ流している。


「穢鬼(えき)。――この村を祓った祓師たちが融合してできた、悲しき怪物」


「人間が……穢れになったのか」


「罪を清められず、己を封じた。だが、封印が弱まって解き放たれた」


「つまり、あいつは“祓い損ね”ってわけか」


 俺は苦笑して前に出る。

 恐怖はある。だが、それ以上に、あの声が頭に残っていた。


 “清めるな”――それは助けを求める声に聞こえた。


 穢鬼が吠える。

 瘴気が渦を巻き、周囲の建物が崩れる。

 俺は足を踏ん張り、箒を構えた。


「黎、退いて!」


「いや、掃除は最後までやるのが礼儀だろ」


 黒い腕が襲いかかる。

 俺は手を伸ばし、掌を光らせた。

 白光が弾け、穢鬼の身体に穴を開ける。


 だが、すぐに再生する。


「キリがねぇな……!」


「穢れは無限に再生する。祓うには“核”を見つけなければ」


「核? どこにある」


「魂の中心。――胸だ!」


 ゆきなが鈴を鳴らす。音が空気を震わせ、穢鬼の胸が一瞬だけ透けた。

 そこに、黒い珠のようなものが見える。


「見つけた!」


 俺は地面を蹴る。

 箒を突き出し、光を集中させる。


「掃除完了――《浄式・払拭》!」


 白い閃光が穢鬼の胸を貫いた。

 黒珠が砕け、瘴気が霧散する。


 風が吹き抜ける。

 腐臭が消え、代わりに花の香りが漂った。


 崩れた廃村の中央で、俺は膝をついた。

 息が荒い。手が震える。だが、不思議なことに、心は静かだった。


 ゆきなが近づき、俺の肩に手を置いた。


「……ありがとう。あなたがいなければ、また村が滅んでいた」


「いや、俺は掃除しただけだ。……あいつらの分までな」


 風が吹き抜ける。

 朽ちた鳥居の上に、穢鬼たちの魂が白い光となって昇っていった。


「黎」


「ん?」


「あなたの“掃除”――ただの力じゃない。穢れだけでなく、魂までも清めている」


「つまり俺、除霊もできる掃除屋ってことか。便利屋感出てきたな」


 冗談めかして笑うと、ゆきなもほんの少しだけ口元を緩めた。


「黎。……世界は、もっと汚れている」


「知ってる。けど、全部掃除するにはモップが足りないな」


「なら、私がもう一本の箒になる」


 その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。

 巫女がそんなことを言うとは思わなかったからだ。


「……二人で掃除か。悪くないチームだな」


 空を見上げる。雲が流れ、陽が差し込む。

 廃村はもう、静かな安らぎの中にあった。


 その日の夕暮れ、村へ戻る途中、俺はふと立ち止まった。

 足元に、砕けた黒珠の欠片が落ちていた。

 拾い上げると、それが微かに脈打っている。


「……まだ、終わってねぇのか」


 ゆきなが振り返る。


「それは“穢れの核”。完全には消えなかった」


「つまり、誰かが意図的に……?」


「ええ。誰かがこの国に穢れを撒いている」


 風が冷たくなった。

 穢れを操る“誰か”。

 ――この世界は、想像以上に汚れている。


 俺は掌の欠片を見つめて、皮肉っぽく呟いた。


「まったく、やりがいのある仕事だな。掃除屋冥利に尽きるよ」

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