掃除屋レイ、異界を清める〜箒と雑巾で世界を救えって正気か?〜
御弟子美波留
最弱の俺が、神の定義を書き換えるまで
穢れ村の掃除屋
世界が灰色に染まる音がした。
――あれ? 死んだのか、俺。
踏切の前で泣いていた少女を突き飛ばし、代わりに電車に跳ね飛ばされた。
よくあるヒーローじみた死に方だ。だが、目が覚めたのは病院ではなく、白一色の空間。
風もない、匂いもない。ただの空虚。
目の前に立つのは、白装束の女神だった。
「天野黎。あなたは命を賭して他者を救いました。その勇気に敬意を表し――異世界に転生する権利を与えます」
テンプレだな、と心の中で毒づく。
こういう展開は、漫画かラノベの中だけで十分だった。
だが、どうやらこれは現実らしい。
「……で? チートスキルでもくれるんですか」
「ええ。あなたの魂の性質に最も適したスキルを授けます」
女神が微笑む。空間がきらめき、俺の脳裏に一文字が刻まれた。
【スキル:掃除】
「…………掃除?」
「はい。清め、整える力です」
「つまり、ほうきと雑巾で世界を救えと?」
女神は真顔で頷いた。冗談が通じないタイプらしい。
「あなたの旅が、穢れを祓い、世界を浄化するでしょう」
「いや、俺、モップ使いじゃないんで」
そう言った瞬間、足元が崩れた。
女神の顔が遠ざかり、灰色の光が視界を覆う。
次の瞬間、俺は泥と血の匂いの中に放り出された。
冷たい風が吹く。見渡せば、山に囲まれた村。
木造の家々は傾き、道端には黒い染み――まるで腐った血のようなものが点々とある。
そこに立っていた少女が、俺を見つけて小首を傾げた。
白い髪、赤い瞳、薄い狐面を横にかけている。
不思議なほど静かな存在感。
「……穢れ人か?」
第一声がそれである。ひでぇ挨拶だ。
「いや、人間だ。転生者……いや、旅の者だ」
俺がそう言うと、彼女はしばらく無表情のまま俺を見つめたあと、ぽつりと口にした。
「珍しい。まだ、この村に人が来るとは」
彼女の名前は神代ゆきな。
この村の神社跡に住む巫女らしい。村人たちは穢れに侵され、次々と死に絶えているという。
「ここは“穢れ村”と呼ばれている。夜になると、瘴気が人の形を取って徘徊する」
「……なるほど。つまりホラー村ってわけか」
俺は皮肉っぽく笑ったが、彼女の表情は変わらなかった。
「それでも帰らぬのなら、せめて社に来い。夜風を浴びると、魂が穢れる」
ありがたい誘いだが、初対面の巫女の社に転がり込むとか、いろんな意味で穢れそうだ。
とはいえ、寒さには勝てず、俺は黙ってついていくことにした。
社の中は崩れかけていた。
床は土で覆われ、柱は黒ずんでいる。
ゆきなが灯した火の粉が舞い、影が壁に揺れた。
「この村、放置しておくのか?」
「祓師(はらいし)たちは皆、死んだ。穢れは深く、火で焼いても戻る。私一人では……」
言葉を濁すゆきなの横顔を見て、俺はふと手元の“スキル”を思い出す。
【掃除】。
――まさか、な。
ためしに、黒ずんだ床を撫でてみる。
すると、手のひらが微かに光った。
ジュウ、と音がして、黒い染みが蒸発した。
空気が澄む。鼻をついていた腐臭が消える。
「……?」
ゆきなの瞳がわずかに揺れる。
「おい、これ……効いてる?」
「それは……浄の力……?」
「いや、掃除だよ。モップ的なアレ」
皮肉を口にしながらも、胸の奥で鼓動が早まる。
もしかして――このスキル、マジで“祓い”の系統なのか?
夜が来た。
外で、風が泣くような音を立てる。
窓の外には、人影のような黒いもやが漂っていた。
「来た。穢れの亡霊たち」
ゆきなが鈴を鳴らす。金属音が空気を裂く。
だが、黒い影は止まらない。壁を突き破り、社の中に滲み出た。
「下がってろ!」
俺は本能的に手を突き出す。
掌が白く光り、黒い霧が蒸発する。
まるで洗剤に油汚れを流したように――。
「消えた……?」
ゆきなの声が震える。
俺は肩をすくめた。
「掃除完了、っと。……で、他に汚れてるとこある?」
皮肉まじりの言葉の裏で、手が小刻みに震えていた。
恐怖ではない。
――確信だった。
このスキルは、ただの掃除ではない。
世界の「穢れ」を清めるための、最も原始的で、最も神聖な力。
穢れの消えた社の中で、ゆきながそっと微笑んだ。
「……不思議な人。あなたの“掃除”は、神の息吹に似ている」
「神様の掃除係、ってか。光栄だね」
俺は皮肉を言いながらも、胸の奥に小さな熱を感じていた。
世界が腐っているなら――掃除すればいいだけの話だ。
夜が明けた。
村の空気は、昨夜よりも少しだけ澄んでいた。
ゆきなが俺に茶を淹れながら、静かに言う。
「黎。あなた、これからどうするの?」
「決まってるさ。ゴミがある限り、俺の仕事は終わらない」
湯気の向こうで、ゆきなが初めて小さく笑った。
「……なら、この世界はまだ救えるかもしれない」
俺はその笑みを見ながら、ふと呟いた。
「掃除屋ってのも、悪くないかもな」
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