第8話 味覚の秋

「秋刀魚の刺身、とっても美味しかったね。旬の間にもう一回は行こうね。」


屈託のない笑顔でそう言う士郎を見る限り、とても美紀と不貞をしているとは思えない。

士郎は嘘が下手だ。というか、嘘をつかない。

真紀ワタシとしては、自己防衛や承認欲求、劣等感の隠蔽、虚栄心とかから嘘をつくという行動が生まれると思っているのだけど、士郎はそういった心理的動機がないからだ。

真紀ワタシは別に心理学を修めたわけでもないし、興味があるわけでもないが、士郎に限って言えば何となくわかる。

士郎は馬鹿正直、もう少し言葉を選べば純粋なのだ。

言いにくいことは言わないこともあるけど、嘘をつくことはない。

だから多分、士郎に正面から美紀とのことを問い質せば、あっという間にこの問題は解決するだろう。

だけど士郎の言った通り、美紀から何か相談を受けているだけなら、謂れのない疑いをぶつけられたらどんな風に思われるだろう。

士郎に嫌われてしまうんじゃないかと思うととても踏み切れそうにない。


「そうね、また行きたいわ。」


とりあえず不審がられないように同意しておいた。

実際にお互いの好みに合ったのは間違いなく、再訪したいのは本当の気持ちだ。

だけど今は、純粋にいいお店に出会えたことを素直に喜ぶことはできそうにない。

どうしても美紀のことが頭から離れないのだ。


それじゃあ士郎の言った通りだとすると、美紀はいったい何を相談しているのだろう。

しかも「いつもの場所」というぐらいだから定期的なんだろう。

士郎は仕事と言えなくはないという言い方をしたので、専門の脳神経外科とは違うということなのかしら。何となく医療関係であることは違わないような気がする。

美紀が何かの疾患になったことを心配してるなら、うちの病院で検査でも治療でも手厚く受けられるだろうし、士郎に頼まなくても母か祖父に頼み込んだ方が良い気がする。

とすると、うちの病院では治療できない、もしくはしたくないとすると…オイタのし過ぎで性病でも貰っちゃった?それを知られたくない…ってことはないわね。別に誰彼構わずしてるわけじゃないだろうし。無難なところだと美容整形かしら。士郎の知り合いで腕のいい人を紹介してもらっているとかが一番納得できそうではあるんだけど。

判らないわ。真紀ワタシはこうやって士郎に問い質すこともできないまま悶々とする日々を過ごさないといけないのかしら。

真紀ワタシは思い切って母に相談してみることにした。


母は大学在学中にワタシ達を身籠って父と結婚することにすると、あっさりと中退した。医学部だったにもかかわらず。

母は祖父母にとって唯一の子供だったので、後を継ぐことも視野に入れて医者になろうと志していたみたいだけど、父と恋に落ちてその道を自ら閉ざした。

ワタシ達を産んで育てながら、医学も修めるのが並大抵のことではできないとは判るが、休学して出産後に復学するという道もあったと思うけど母はその選択を切り捨てた。

その時の祖父母の経済状態を考えても育児はいろんな援助を受けられたはずなのに。

ワタシ達には聞かされていない大人の事情があるのかもしれないが、母はちゃんと自分で考えて答えを出したのだろう。


真紀ワタシの母は極太の芯が通っている強い人だ。

前へ前へと突き進む百戦錬磨の戦士のようなタイプではなく、後ろに控えてここぞという時に的確な指示を出す司令官のような存在。

今も病院の経営には携わっているけど、年がら年中所構わず口や手を出すことはせずに、重大な局面でだけ意見を一言二言いう程度らしい。

それでついた異名が「鎮守由紀の神」で、うちの病院を守護してくれる有難い存在として奉られているわ。


「それで、今更母親に何の相談よ。二人して医療関係の医の字も勉強しようともしなかったくせに。」


そう、一応母としては病院の後継ぎ云々は置いておいたとしても真紀ワタシか美紀のせめてどちらか一人ぐらいは医療の道へ進んで欲しかったみたいで、大学進学時にはその気がないか散々聞かれたのだった。

しかし、真紀ワタシは血を見るのが苦手でどうしても医療に携われる気がしなかったのだ。美紀も理由は知らないが頑として首を縦に振ることはなく、母に残念な思いをさせてしまったのよね。


「その節は悪うございました。こちらはせめてもの貢ぎ物でございますのでどうぞお納めください。」


「苦しゅうない。一緒につまみながら聞いてあげるわよ。」


手土産に持ってきた母の好物のシャインマスカットを進呈すると、若干母の相好が崩れる。


「さすがね。そこら辺のスーパーで売ってるものとは格が違うわ。」


奮発して有名フルーツパーラーのものを買って来てよかったわ。

母の機嫌を取れたところで早速切り込んでみる。


「美紀は相変わらずプラプラしてるの?」


「…ふーん、そういうこと。」


母は既に何かを感じ取ったようだ。

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