第4話


 広瀬さんの震える肩を見たままどのくらいの時間が過ぎたろうか。

 

 数時間にも、数秒にも感じる。


 その肩へ手を置けば震えも少しは軽減するのか。

 でも、臆病な僕の手は動いてはくれないかった。


 施術以外で触れてしまってはいけない。

 触れることで癒すタクティールケアと理論で誤魔化せば手は脳の命令に従ってくれるだろうか。


 そう逡巡する僕の手をパシッと掴む柔らかい感触。


「乙女の泣き落としでもダメかー」


 そう言って顔を上げた広瀬さんの瞳は揺れていて、握られた手もどこか冷えている。

 無理して笑ってるのは人の心の機微が分からない僕にも明白だった。


「あの……“夢の余命”って……?」


 ようやく開いてくれた口から出た音はカサカサして、どうにか広瀬さんに届くくらい小さい。


「あー……やっぱ聞かなかったことには……出来ないよね?」


 カサカサの喉からは音は出ず、首を傾げることしか出来ずにいた。


「だよねー。いきなり夢とか余命とか、重たいこと言ってごめんね」

 

 無言を肯定と受け取ったのか、広瀬さんは笑顔で気丈に話し始める。


「えーっとね、あたしの夢ってのは何となく分かると思うけど、プロのダンサーになること……それもダンス好きかどうか分かんないような人にも認知されるくらいの……」


「ダンス好きじゃない人にも?」


「そう!あたしの会いたい人が“あー!この子って!”ってなるくらいに有名にね」


 “会いたい人”の言葉に胸がチクリとしたけど、心臓は血液を巡らせるだけだからそんなはずはない、と脳へ言い聞かせる。


「……それは時間をかけてはいけないの?」


 先ほどまで揺れていた瞳をキラキラと輝かせた。

 瞳に反射する光の白が“世界中で一番白い白”だと分からせられる。

 数百種類の白の中の頂点を見つけたよ、と場違いにも某芸能人の顔がチラつく。


 それで少しは脳の前頭前野が働いたのか、少しだけ冷静に次の広瀬さんの言葉に答えることができた。


「あたしのパパ……医者なんだけど……今時そんなって思うかもだけど、絶対に医者になって欲しいんだって。だから、高校卒業までにプロになれたらダンサーとしてやっていくって約束したんだ。……医学部の受験を考えると多分この一年が勝負なんだ」


 “医者を継いで欲しい”……どこか聞き覚えのある言葉だ。医者はみんなそうなのか?


 いや、そんなことよりも今は彼女のことが優先だ。


「1年前に足首を怪我しちゃって、もう全然問題ないはずなんだけど……右足を軸に大きく動くときだけ全身に違和感がでるんだ。医療保険でのリハビリは……このレベルでは適応外で……君ならもしかしたらって」


「“夢の余命”があるなら、尚更専門家が見るべきだよ。……知り合いには合わせたくないんだけど実は僕の母親が自費診療のパーソナルトレーニングサロンを開いてて。良かったら母親のとこに来ない?」


 広瀬さんは一瞬笑顔になるも、すぐに困り顔でぶつぶつと言い始める。


「自費診療……おこずかい……ダンスのためなら……」


 初対面の僕にも隠さない、くるくると変わる表情はずっと見ていられるものだった。

 その表情とさっきのダンスへの見物料だと思えば、広瀬さんの不安を解消するのは安いものだった。

 

 母親に借りを作るのは癪だけど。


「大丈夫。母親へは僕から頼むから、料金は気にしなくていいよ。それに人間性は置いといて技術は本物だよ。理学療法士と鍼灸を持ってたはずだから」


「それはダメ!ちゃんとお金は払うから!一回君のママのところに行かせて!」


 こうして広瀬さんは母親のサロンに来ることになった。

 母親に電話したら“明日の学校終わりにおいで”とのことで、広瀬さんは全身を使って喜びを表すように軽やかに跳ねる。




 その際に何をとち狂ったのか、あろうことが僕に、ハグをした。


 ふわりとした柔らかい感触と折れてしまいそうな細身の身体。

 ずっと鼻腔をくすぐっていた甘い香りが近づいて、僕の前頭前野は脆くも吹き飛んだ。


 

 当の広瀬さんも予期せぬ動きだったんだろう。

 顔を赤くして飛び退く。


「ごめん!つい!……踊ったし汗臭いよねっ!」


 大丈夫。

 脳が身体を全て制御出来ないのは身を持って経験済みだ。

 

 僕の口は壊れかけのラジオのように「あ、あ、あ」と繰り返す。いや、もう脳が壊れたんだろう。


「あ?」


 キャラを思い出したようにいたずらっ子な笑みを浮かべて上目遣いで覗きこんでくる。


 あ、

 あ?

 あ……


「ああありがとう!!」


 壊れかけのラジオは音量調整機能も当たり前のように壊れていた。


 広瀬さんは耳を塞ぎながら、あははと笑い声を上げる。


「“ありがとう”って。こっちこそトレーニングありがとうなのに」


 “夢の余命”までに叶う可能性が見えてきたからか彼女も壊れたように笑う。

 しまいにはヒーヒー言いながら目尻に浮かんだ涙を拭っていた。

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理系男子の僕が義妹の夢を救うためには密室で密着するしかないようです。 小林夕鶴 @yuzuru511

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