第14話

 まるで樹海全域に渡って響き渡るような大音量でもって発せられた咆哮が、俺の耳を劈き、物理的に身体を振るわせる。


 身体を包み込んでいた炎の竜巻は跡形もなく霧散し、その場に残ったのは毛皮に焦げ目の一つも付けずに佇む一体のクレイジータイガー。


 傍目には一撃必殺のようにも見えた炎の竜巻を、ただの咆哮だけでかき消した……?


「チッ! 《ファイヤーボール》!」


 先の魔法を割とあっさり無効化されてしまった彼女は舌打ちと共に、次なる魔法を放つ。


 その標的であるクレイジータイガーは、飛来する火の玉を無視するように一切避ける動作をせず、地を駆ける。

 途中、放たれた火の玉が命中するも、まったくの無傷。

 それどころか、僅かの怯みすらもなく、彼女へ向けて疾駆する。


「嘘ッ!? ……《ハイスピード》」


 またもその巨大な鋭い爪を振り上げるクレイジータイガーの一撃を、別な魔法を発動させた彼女が紙一重で避ける。


 素早さを上昇させる魔法を使ったのか、動きを急に加速させた彼女だったが、それですら避けるのが僅差というクレイジータイガーの膂力の恐ろしさに戦慄する。


 いや、戦慄するのはまだ、速かった。


 彼女が避けるや否や、なんとクレイジータイガーはそこから彼女を追尾するように鋭角に身体の向きを切り替えると、数秒の時間差で第二撃目を見舞ってきたのである。

 その動きは、まるで一昔前の漫画で描かれる稲妻の描写の如きで、もはや物理現象を無視しているとしか思えないような急激な軌道であった。


 その挙動に彼女は、目を見開き。


「エアシ「グァァァァァ!!!!」………きゃあ!!!」


 唱えかけた呪文も途中で遮られ、遂にクレイジータイガーの一撃が彼女の胸元を捉える。


 糸が切られた人形のように投げ出される彼女。胸元を覆っていた革鎧は無残に引き千切られ、その下にある皮膚を裂いて血が舞った。


「ゲホッ!」


 ゴロゴロと地面を転がり、もうやく止まるとたまらず咳き込む。

 懸命に立ち上がろうと力を込めるのが見て取れるが、それでも受けたダメージは深刻なのか、うまく立ち上がる事が出来ない。


「グルルルルルル……」


 低く唸り声を漏らすクレイジータイガーは、動けない彼女に止めを刺すつもりなのか悠然と歩み寄っていく。


 クソ! このままじゃあの子が殺される!


 俺は基本的に臆病だし、自分から進んで人助けに乗り出すような善人ではない。今この瞬間にも、この場から全力で逃げ出したいし、あんな化け物と関わり合いになりたくもない。命が惜しいし、結局いつだって一番大事なのは我が身。保身に走るなら、あのトラが彼女に気を取られている隙に、少しでも距離を稼いで逃げ去るのが一番の正解……のはずだ。


 ――――でも。いや、ある意味で、だからこそ・・・・・。


 そんな絶望的な状況下にあった自分を助けようと手を差し伸べてくれた人を見殺しにして逃げる、そんな恥さらしにだけは、なりたくないとも思った。


 いや、そんな回りくどい言い方は止めよう!

 

 俺が思ったのは単純に、あの子を助けたい、と言う事だった。


 この危機的状況、どうせなら、二人揃って無事生還する。

 そんな理想像を夢想するくらいは、誰にだって許されるだろう。


 例え無様であっても、無駄な抵抗でしかなくても、それでも・・・・!


 判明している俺のスキルで、詳しい検証を後回しにしていたあのスキルが、頭に過る。

 ――もしかしたら、あの中に何か使える物が眠ってたりするかも!


「スタータス・オープン! 頼むぞ、《アイテムボックス》!」


 そして俺は、ステータスボード上にあるスキル《アイテムボックス》のアイコンをダブルタップした。


 武器すら持っていない丸腰で、体育の授業で義務的に柔道を習わされた以外で戦闘とは無縁の素人以下でしかない自分が、無謀にも彼女を助けようと思った時、すがれるものがコレくらいしかなかったというのが大きな理由だろう。


 俺が思い出したのは、スキル《アイテムボックス》の中身をまだ確認していなかったという事だった。

 僅かな希望を抱いて、俺はステータスボード上にある《アイテムボックス》のアイコンを二度、タップして《収容物一覧》を表示させる。



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   《アイテムボックス/収容物一覧》[残り容量:98%]


・お金[総計255,613イェン(内訳 金貨2枚,銀貨5枚,銅貨56枚,鉄貨13枚)]

・狩猟刀"成牙(なりきば)"(☆☆☆☆)

・鋼殻樹の小盾(☆☆☆)

・ポーション(☆)×1

・マナポーション(☆☆)×1

・フェニックスの煎薬(☆☆☆)×1


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「なんか微妙だけど、とりあえず武器があるだけマシか…」


 俺は一覧の中から、《狩猟刀"成牙(なりきば)"》と《鋼殻樹の小盾》を選択して、タップする。

 タップと同時に、いつの間にか俺の右手には剣が握られ、左腕には分厚い樹で作られた盾が装着されていた。

 両者が装備品だったからなのか、おそらくスキルの恩恵だろうが取り出すと同時に自動で装備される仕様だったようだ。

 実に都合が良い!


 出現した《狩猟刀"成牙(なりきば)"》は、長さ30㎝程度の緩く湾曲した刃が伸びたナイフ、より正確に分類するなら鍔がない点から匕首に分類される片刃の短剣であった。

 その刀身は一般的な刀剣に視られる銀や鈍色をしておらず、白磁器を彷彿とさせる乳白色に染まっており、何より軽い。


 一方の《鋼殻樹の小盾》。

 こちらも大きさは直径で30㎝程度、その名の通りに素材が木製とはっきり分かる小型の盾だ。

 形状は円形をしており、盾本体の裏に設けられたベルトで腕に直接固定して用いる形式が採用されている。


 正直、どちらの武具も小型で、あの化け物を相手にするには非常に心許ない。


 けれども、ここで例えば身の丈程の大剣と、異世界で定番のオリハルコン製の頑強な大盾を貰っていた所で、結局、それを使いこなす技術がない以上、宝の持ち腐れにしかならない。

 その点、こいつなら技術が拙くても扱いそのものは難しくなく、《鋼殻樹の小盾》にしても小型であるが故に取り回しはし易い――ように思う。


 そうしている内に、クレイジータイガーはもう彼女のすぐ傍まで歩み寄り、今にもとどめの一撃を繰り出しそうな位置にまで近づいている。


 もう、猶予はない。


 俺は覚悟を決めると、ドスを構えて突貫する任侠映画のヤクザ宜しく成牙を真っ直ぐに構えてクレイジータイガー目掛けて突撃を敢行。


「ウオオオオオオオオオオ!」


 敵うとか敵わないとか、そんな迷いを振り払う雄叫びを挙げて飛び出した俺は、いっそ体当たりするつもりで全力で駆け抜けるや、クレイジータイガーの巨躯に飛び込んで成牙の刃を押し当てる。

 こちらを無力な唯の餌程度にしか思っていなかったクレイジータイガーは俺の方を全く見ておらず、注意すら向けていなかった事もあってその刃は脇腹へとぶち当たった。


「ッ!? ウソだろ!?」


 本当に、こいつは生物か!?

 実は、ロボットなんじゃねぇのか!?


 成牙の刃は、確かにクレイジータイガーに命中している。

 しかし、奴の皮膚に突き刺さったのはほんの数ミリ。

 鉄――とまでは言わないにせよ、まるで丸太にナイフを突き立てたようなやたらと固い手応えと、その信じられない結果に唖然となる。


「あぁん!?」


 いかにもそんなセリフが聞こえてきそうな奴の胡乱な視線が、俺を捉える。


 そして次の瞬間には、「邪魔だ」とばかりにぞんざいに振られた前足が襲う。

 咄嗟に左腕に装着された小盾を全面に差し出すが、俺が取れた対応はそれだけだ。

 クレイジータイガーの攻撃力の前に、その程度の防御姿勢は然程の意味を成さず、俺は大人が幼児を突き飛ばす様に容易く弾かれ、ぶっ飛ばされる。

 そして、その一撃で持って小盾も半壊し、俺自身も樹木へと強かに身体を打ち付け、地に伏す事になる。


 くそッ!


 勝てる――とまでは思ってなかったけど、全力で突き刺しに掛かって刃が数ミリしか食い込まないって何だよ!? 硬すぎるだろうが!


 これがAランク!

 単独で戦うのはバカの所業、精鋭達による集団戦でようやく互角。


 正真正銘の化け物モンスター!!


 ここまで反則的な強さが許されるのは、せいぜいドラゴンと相場は決まってるもんじゃねぇのかよ……。


 魔法が使えず(使い方が分からない)、こちらの攻撃は全力で押し込んで掠り傷にも満たないダメージしか与えられない。


 これがゲームなら、こいつはとんだ無理ゲーだ。

 レベル1の勇者に、ゲーム終盤のダンジョンを初っ端から攻略させ、ボスクラスのモンスターと対峙させる。

 ユーザーにクリアさせる気ゼロの理不尽かつ狂った難易度で、まさにネットで叩かれる事必至のクソゲー・オブ・クソゲー。

 かつて異常に難しいゲームバランスのソフトが多かったファミコン世代のゲームですら、ここまで狂った難度のタイトルは存在すまい。


 最後の頼みの綱であった《アイテムボックス》も、収納されていた武器では勝負にならず、盾も破損。

 人間相手ならいざ知らず、魔物相手に金で見逃してもらう事など出来るばすもなく。

 いくら回復薬があっても、反撃の目途が立たなければ回復する事自体が無駄でしかない。


「勝てるわけがねぇ…、くそったれ!」


 緩慢に身を起こして樹木に背を預けながら、小声で罵る。


 転生して即刻、ゲームオーバーって理不尽過ぎるだろ……。


 よくある俺TUEEEEがしたかったわけじゃないが、今ばかりは俺TUEEEE系の世界観に生まれた主人公が心底、羨ましいく思う。

 それに比べて俺のスキルなんて


――――――スキル?


 俺の脳裏に、最期の手段が閃く。

 それは、作戦と言う程の物でもない。

 所詮は、スキルを使っての無謀な特攻である。


「……どうせ失敗して元々、か。イチかバチか、上手く行かなくても嫌がらせくらいにはなるだろ」

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