第4話
大公によると、今日城に着く予定の招待客たちの中でわたしたちが最後の到着だったらしい。どうやらわたしが寝ている間に道を変更しなければいけなかったようで、予定より数時間遅い到着となった。
「こんな時間までお待たせして申し訳ありません」
お父様が眉根を下げて大公夫妻に詫びる。屋敷の人たちは深夜に到着したわたしたちを不満一つこぼさず出迎えてくれた。使用人たちの前に立つのは三人の紳士淑女。パッと見て貴族と分かる出で立ちだ。
「先日の強風で山道が塞がれたと聞いていたから予想はしていた。よく来たな、それぞれの部屋に軽食を運ばせよう」
ラディス大公は鷹揚に笑いながらお父様の肩を叩く。数カ月ぶりに会ういとこへのいつもの挨拶だった。お父様は大公の言葉を聞いて安心したように軽くうなずいた。
二人は外見こそ似ているが受ける印象は全く異なる。お父様が紙でできた剣なら大公は鋼の剣、というくらい性格も身分も立ち振る舞いも全然違う。メルエント帝国の選帝侯の一人にして、皇室に次ぐ領地を持つラディス大公家を長年率いてきた人だ。貴族的な余裕とともに、威圧感と風格も持ち合わせていた。
……。
「どうされましたか?」
首をかしげたわたしにいち早く気づいたのはノルだった。ノルは斜め後ろから少し身体を屈め小声で話しかける。
「こうしてみるとお父様と兄様より、大公と兄様の方が親子っぽいわよね」
多分中身の問題だ。ノルは黙って二人と兄様を観察し、再度わたしに顔を近づける。
「絶対に旦那様には言わないでくださいね」
「わたしだってそこまで馬鹿じゃないわよ」
そんなことを言ったらお父様が泣きそうな顔で否定することは想像がつく。
「ならいいですが」
余計な一言を残してノルはさっと身を引いた。
わたしは何もなかった風を装いながら、大公夫妻の後ろで影のように立っている女性に目をやった。薄茶色の髪と瞳、暗い表情と目立たない容姿の妙齢の女性だ。洗練された大公家にはふさわしくない流行遅れのドレスを身にまとい、片腕を反対の手でつかんで所在なさげに佇んでいる。
「ラヴィ」
お母様に呼ばれてハッと顔を向けた。大公夫妻とお父様たちの会話が一段落し、それぞれの部屋で休もうということになったらしい。わたしは丁寧に礼を言って大公夫妻を見送った。だけど彼女は二人には付いていかず、代わりにほっと肩を撫で下ろす。
彼女はエレナ・
「エレナ、久しぶり」
わたしに気づいたエレナは、控えめな笑みを浮かべて「ええ」と返事をした。
「元気がないようだけど大丈夫?」
「そう見える?」
「……勘違いかもね」
笑ってごまかしたつもりだったけど上手くできたかはわからなかった。
いつも空気が読めず兄様に叱られているわたしでも、大公妃とエレナがぎくしゃくした関係だということは察している。だけどエレナはきっと我慢強い人だ。この屋敷では大公の次に大公妃が優先されるから、エレナは肩身の狭い思いをしているはずなのに、不満なんて一切聞いたことがない。
「明日の準備をしていたから疲れたのかもしれないわね」
「準備?」
「明日すり潰すぶどうを摘んでいたのよ」
――わたしはごくりと息を呑んだ。
「エレナが、ぶどうを? どうして?」
がんばって平然を装いながら聞いたつもりだったけど、わたしの声は緊張しているような気がした。せめて表情は崩さないようにしながら、エレナが気づかないことを祈りつつ彼女を見る。
「特に理由はないわ。わたしは園遊会に出席しないから、何かシリルのために準備したくて……。ぶどうジュースくらいなら作れるかと思ったの」
彼女は視線を下に落とした。わたしは動揺していることに気づかれなかったのをホッとする反面、大公家の公式の行事に出席させてもらえないエレナに心が重たくなる。
彼女が生まれた経緯について、わたしが知っていることは少ない。お父様とお母様は固く口を閉ざしているし、わたしより事情を知っていそうな兄様も詳しくは教えれてくれなかった。しかし兄様は以前口止め代わりに事のあらましを説明してくれたことがある。
大公と大公妃は結婚後数年が経っても子どもに恵まれなかった。貴族には当然後継者が望まれるし、ラディス家のような名門貴族ならプレッシャーも一段と大きかっただろう。大公はそれを気に病み、ある日屋敷の使用人と過ちを犯してしまった。その結果生まれたのがエレナ。大公は妃に気兼ねしてエレナの母を遠くに送ったが、出産直後に亡くなったためエレナは結局大公家に引き取られることになった。ただ当然ながら大公妃は彼女の存在を快く思っていないし、大公も彼女を持て余している。
だから大公家ではエレナについて口にするな、というのが兄様の言いたいことだった。
わたしはここを何度も訪れているし、大公妃ともエレナとも関わりがあるけど、今まで一度も二人が笑顔で言葉を交わす姿を見たことがない。どちらもお互いを避けているみたいだ。
下を向くエレナを見て、わたしは一つの決意を固めた。園遊会での事件を未然に防ぐことは、シリルだけでなくエレナも救うことになると分かったから。
「ねえ、わたしも明日の朝、ぶどうジュースを一緒に作ってもいい?」
……え? と、エレナは消え入りそうな声を上げる。わたしが何を言ったか聞こえなかったみたいにきょとんとした顔をしている。
「ぶどうジュース。わたしも作りたい」
「お嬢様」
いつの間にか後ろにいたノルが微妙に非難めいた声でわたしを呼んだ。ちょっと反抗的な態度で彼を振り返るが、当の本人は何も感じていないみたいな表情だった。余計なことを言って計画を阻止するとしたら第一にノル、第二に兄様だ。この二人は昔からわたしのやることなすことに茶々を入れてきた。木登りはだめ、水遊びはだめ、馬を乗り回して山に行くのも、真剣で藁を切るのもだめ……まあ、確かにわたしがだめなことをしている確率は高いけど。とにかく!
「だめ?」
「あなたは明日の用意があるでしょ? それに、ジュース作りなんてお嬢様には任せられないわ」
「エレナだってお嬢様じゃない」
「……」
「お嬢様、このお屋敷で余計なことをしないでください」
押し黙ったエレナの傍から、ノルはぴしゃりと言い放つ。騒ぎを聞きつけた兄様がこちらに向かってくる。使用人たちとお父様たちはいつの間にかホールからいなくなっていた。
「興味本位ってわけじゃないのよ。シリルのために作るんでしょ? だったらわたしも……ちょっとでいいの。ちょっと手伝うだけだから」
お願い! 両手を組んでエレナを見つめる。兄様はノルから状況を聞いている。わたしは目力を込めて彼女に視線を送った。兄様とノルが結託して禁止する前に早くいいって言って!
「ラヴィ、」
兄様が口を開くのとエレナが小さくため息をつくのはほぼ同時だった。彼女は困ったように微笑みながらわたしを見ると、すぐに兄様のほうに視線を移す。
「園遊会が始まるのは午後からだから、その時間になるまでは一緒にいてもわたしは構わないわ」
「だが……迷惑ではないか」
「まさか。手伝ってくれるのなら歓迎します」
やったー! 断ってほしそうな兄様には悪いけど、わたしはこの機会に便乗することにした。
「やる! エレナの言うことをちゃんと聞きます。おいしいぶどうジュースを作ろうね! エレナ! ねっ」
兄様は今にも飛び跳ねそうなわたしの肩を抑えて、「落ち着け」と小さくたしなめる。そして渋々だがエレナに向き直り、
「ノルは傍につけておく。何かあったらいつでも呼んでくれ」と、真剣な顔で頼み込んだ。ノルも無言でうなずく。
……なんだろう、兄様のわたしへの信頼度ってもしかしてすごく低い?
口を一文字に結んだわたしを見て、エレナはくすりと笑い声を上げた。
「明日は朝食を食べたら厨房にいらっしゃいね。
わたしは大きくうなずいてエレナと別れた。
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