Long Way Home

丹寧

第1話

 ダムカードが欲しい、と友里が言った。

 ひさびさに帰省してきた友達のリクエストを聞かない選択肢はなく、よって私は彼女の車に揺られ、猛暑日に熱気の立ち込める四万川ダムへと向かった。途中、ドライブスルーで買ったアイスティーは、氷が半分融けてずいぶん薄い色になっていた。


「うわっ! やっぱりあっついなあ」


 運転席のドアを開けるなり、友里は力強く発音して車外に降り立った。内心で激しく同意しながら、私も助手席から外へ出た。


 駐車場には、ほかに一台の車が停まっているだけだった。首尾よく資料館でダムカードを手に入れ(全国のダムを回って集めるものらしい)、陽光に焼かれながら展望台へのぼった。理由はわからないが、このダムの貯水池は深い青に見える。その写真を撮ってから帰ろう、と友里が言った。


 展望台からは、若者たちが楽しそうに言いかわす声が聞こえていた。駐車場に唯一あった車の持ち主だろう。階段を昇りきったところで何気なくそちらを見やったとき、私は足を止めた。


 亮太が、そこにいた。


 少し長い黒髪に、Tシャツとジーンズ。よく見る組み合わせだが、あまりに馴染みのある体格と顔つき――

 そう思ったのは一瞬で、すぐに響いてきた笑い声が、私を我に返らせた。彼がここに、いるわけない。実際、目の前にいたのは他人の空似、いやよく見れば大して彼に似てもいない人だった。


「どうしたの?」


 不自然に立ち止まった私に、友里が声をかける。かぶりを振って、二人で展望台の端へと歩いて行った。入れ替わりに、若者たちの一団が駐車場へと下っていく。


「何でもない」

「何でもなくないよ。幽霊見たような顔して」


 なかば真実を言い当てられて、ぎくりとする。私は短い息とともに吐露した。


「亮太がいたように見えた」


 一瞬友里は口ごもった。途端に申し訳ない気持ちになる。私だって、同じことを友だちが口にしたら、返答に困る。


「まだ怖いの?」

「そんなことない。ちょっと驚いただけ」


 本当のことを、言えるわけがない。今でも、街で人ごみの中に似た背格好の人を見つけては、ぎょっとしてしまうなんて――そのたびに、すっと胸の奥が冷える思いをしているなんて。


「ならいいけど」


 幸い友里は、納得してくれたようだった。ひそかに安堵すると同時に、何かの機会を逃してしまったような後ろめたさに襲われる。少し経てば、忘れてしまう程度の居心地の悪さなのだけど。

 言う必要なんてないのだ。友里にはたぶん、わかってもらえない。


「政樹さんとは会ってる?」


 駐車場に向かいながら、友里は遠慮がちに訊いた。答えやすい質問が来て、私はにわかにほっとする。


「うん。今日も夕方から会う」

「そうなんだ。良かった」


 政樹と私を近づけてくれたのは友里だ。三人とも、学生時代に同じカフェでアルバイトをしていたけれど、私と政樹のシフトが被ることはほぼなかった。ほとんど毎日出勤していた友里が、卒業間際に彼のことを教えてくれたのだ。フリーになった私に、良ければ紹介したい人がいる、と言って。


 修士課程を終えて県職員になるところだった政樹と、そういうわけで、二歳違いながらも一緒に社会人生活をスタートした。ほとんど話したことのない彼は、何もかもが初めての新生活で、ずっと前から一緒だったかのように心を支えてくれた。おかげで私は、どうにか無事、教員生活一年目の夏休みにこぎつけた。


「付き合い始めて、そろそろ三か月だっけ。どんな感じ?」

「普通だよ。毎週末会って、ご飯食べたり映画観たり」


 じっさい、私たちは平和としか言いようのない、穏やかな経過を辿っている。あまりに平和すぎて、これで良いのかと戸惑うくらい。


「それが一番だよ。普通の幸せが」


 しみじみと呟きながら、友里が車のキーを取り出した。遠隔キーが鳴り、解錠されたドアから、私たちは熱気の充満した車内に乗り込んだ。

 たぶん友里は、今まで私が普通じゃなかったと言いたいのだろう。そうかもしれない。でも、本当に今の状態で良いのか否かは、別問題だと思えてしまう。

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