第2話 光る波のような

 昼下がりの光が、校舎の廊下を満たしていた。

 窓の向こうには、雲がゆっくりと形を変えながら流れている。

 それを見つめていた星野壮流の胸の中にも、

 どこか同じような曖昧な形の思いが浮かんでいた。

 放課後、写真部の部室の前を通りかかると、

 扉の隙間から微かなシャッター音が聞こえた。

 音に誘われるように足を止めると、

 中で一人の少女が、逆光の中に立っていた。

 朝倉凛。

 彼女は同じクラスにいるが、言葉を交わしたことはほとんどない。

 いつも静かで、まるで誰かの夢の中にだけ存在しているような子だった。

 その日も、彼女は窓から射す光の粒をカメラに収めていた。

「……なに撮ってんの?」

 壮流が声をかけると、

 凛は少し驚いたように振り向いた。

「光」

 たった一言だった。

 でもその言葉の響きが、どこか胸の奥に残った。

「光って、そんなに面白い?」

「うん。動いてるから」

「動く?」

「そう。いつも違う。昨日の光も、今日の光も、明日はもうない」

 凛はそう言いながら、レンズを少し傾けた。

 窓辺の埃がきらきらと舞う。

 その粒のひとつひとつが、まるで時間そのもののように儚かった。

 壮流は黙って、それを見ていた。

 光が手の中からこぼれていくような感覚。

 自分が何かを掴もうとしても、

 それは指の隙間から零れ落ちてしまう。

「ねえ、星野くん」

 凛が小さく言った。

「人ってさ、いつの瞬間がいちばん幸せなんだろうね」

 彼女の声は、窓を抜ける風と一緒に揺れた。

 壮流は少し考えたが、答えは出なかった。

「さあ……でも、考えてる時は、あんま幸せじゃない気がする」

「ふふ、たしかに」

 凛は笑った。

 その笑顔は、光よりも淡く、だけど確かに存在していた。

 帰り道、壮流の頭の中には、

 彼女の「光」という言葉が何度も反芻された。

 街のネオンも、踏切の赤も、

 電車の窓に映る顔も、

 みんな何かを照らしては、消えていく。

 夜、自分の部屋の灯を落とす。

 真っ暗な天井の向こうで、遠くの街の光が瞬いている。

 その明滅が、波のように見えた。

 ——光る波のような。

 壮流は、そう口の中で転がした。

 そして思った。

 人の幸せも、きっと同じように、

 手の中では掴めないまま揺れているのかもしれない。


 その夜、彼は久しぶりに眠りに落ちるまで、ひとつもスマートフォンの画面を見なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る