02 ”精霊流し”……さだまさしと挫折鳳凰【2003/01/11 「郷愁」】

 さだまさしは、「自伝的歌手」だと思われる。


 MASASHING-TOWNには、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に見られる様に様々な人々が暮らしている。

 これは、さだまさしの周囲の方々を単純にモデルにしたのでは無くさだまさし自身の分身を反映しているのではないか。


 例えば、デュオのグレープデビュー二作目にして大ヒットをした「精霊流し」。

 これは、さだまさしが自身の故郷長崎の「精霊流し」を助言があってのこととはいえ、自ら歌に認めたものであるのは周知の事であろう。


 ここに「郷愁」は表れていないか。

 さだまさしは長崎で神童と呼ばれる程の腕前のバイオリン奏者であり、周囲の口もあり、中学生になって直ぐに単身上京して東京でバイオリンの手解きを受けた。


 「郷愁」はここから始まった。

 決して経済的にも楽ではない家庭から、バイオリンと言う楽器を買う事すら大変であったろうと言う事は容易に想像がつく。

 期待が圧し掛かり、今更引けない境地に立たされた。

 たった中学生にである。

 中学生にもなると大人の意識も芽生えて来るが、まだほんの子供である。

 私は中学の教諭の経験があり、その生徒達と触れ合うにつれ、思っていた程我々は大人ではなかったと、あどけなかったのだと思ったものである。

 こんな笑顔に「郷愁」は逆らえないか。


 ***


 実は、これを書いている私もバイオリンを習っていた。


「何故ピアノではなくてバイオリンなの?」とは同級生によく訊かれたものである。

 私は小柄なので将来ピアノで道を究めようとした際に手の大きさで躓いては可哀想であるとか、ピアノを置く場所が無いからだとか母は語っていたが、その実はピアノを買うお金が無かったのである。

 残酷にも子供には家庭の事情が分からなかったので、そのまま鵜呑みにした。


 実際、母はそろばんも習字も将来はコンピューターがするから習わなくてよろしいとも話していたので言葉に信憑性があった。

 母の口からは、それより遊んでなさい。

 習うのなら絵はどうかと。

 そんな、娘の情緒を教育する方針が感じられた。


 その尊敬していた母が病となり悲しく、私もここになって「郷愁」を感じ得ざるを得ない。


 ***


 その後、さだまさしは「バイオリン」に、そう「音楽と芸術」に挫折した。

 実際はバイオリンそのものであったのか、受験であったのかは、当時のさだまさしにインタビューしてみないと自身も不明ではないかと思われるが、青い挫折は「郷愁」と結び付き易かったであろう。

 そしてギターを手にした。


 ***


 私はある意味、「芸術」に挫折した。

 学校の競争社会で挫折した。


 でも、そこで負けては私が廃ると思い、理系大学を受験し、トップの成績で卒業した。


 この間ずっと人間関係にも挫折をし続けていた。

 一度は諦めていた生きる力が、現在の夫と出逢いで「挫折から立ち上がる鳳凰」と化した。

 その後、進路を変えて夫の住む雪国の理系大学院を受験した。

 ここでも躓きは耐えなかったが、夫が居たので救われていた。


 ***


 さだまさしは、また「挫折鳳凰」ではないか。


 それは「郷愁」から来た「精霊流し」を聴いてそう思う。


 そこに共感を覚える……。


 ◇◇◇


 ■少し嬉しい話。


 さだまさしが中学生時代に暮らしていた東京の住まいの近くに、私の住まいがある。

 それから弟は、「國學院高校」と「國學院大学」出身である。

 弟からは、面白い話を聞かせて貰ったものである……。

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