第5話 舞、ホテトル嬢にされていた鳥谷カナを匿う

 [第4話から続く]



 あの日以来、舞は大和のことを考えることが多くなっていた。


 夜、ベッドに入ってからも、また授業中もいつの間にか大和のことを考えている自分がいる。


 あのあと大和が詳しく明かしたところによると、彼は1年近く前からホテルに女の子を出張サービスさせる派遣業をやっているらしかった。それで競合相手のヤクザに目をつけられたのだという。


 舞はその話を聞いても俄には信じられなかった。


 どうやって高校2年生の男子が年上の女の子を使うのか?それが想像出来ない。


 「女の子は何人いるの?お客さんはどうやって探すの?」


 舞は矢継ぎ早に聞いていた。


 「女の子は4人から時に10人。電話番が1人で、ローテーションで回している」


 大和は簡単に答えて、


 「それよりも隼人、あの女は誰だ?」


 大和は京浜ホテル前で隼人が声をかけた女の子のことを聞いた。


 「鳥谷カナ。同じクラスの子よ。ブラジルからの帰国子女だけど、最近、学校へ来ていないの」


 舞が説明した。


 「なんで隼人が?」


 大和は隼人の方をチラと見てニヤリと笑い、


 「ハハン。そういう、ことか」


 「そんなんじゃあ、ねぇ」


 隼人は見かけによらずしどろもどろになった。



 ・・・「本堂!本堂!」


 名前を呼ばれて舞は現実に戻った。


 教壇に立った数学の教師が怖い目で睨んでいた。


 「ちゃんと聞いているのか?」


 「はい」


 と、舞は答えた。


 「じゃあ中学の復習おさらいだ。この二次関数を解いてみろ」


 教師は黒板に座標と、その横に方程式を書き、

 

「頂点を示せ」


 舞は一目見て回答を見つけたので、机を離れて黒板へ向かって行き、書き込んだ。


 「う、うん。まあいいだろう」


 教師は舞があまりにもスラスラと答を出したので、仕方なく席へ戻るように顎をしゃくった。


 舞は頷いて、


 それからゆっくりとUターンして自分の席へ戻り、

 机の上に広げていた教科書とノートを畳んでリュックの中にしまい込んで、


 おっこらしょ、という感じでリュックを担ぎ上げ、ドアへ向かった。


 教師は唖然として見送り、他の生徒はニヤニヤ笑いながら教師と舞を交互に眺めている。


 舞はドアを出る時ちょっと振り返って、生徒のみんなにニコッと笑って軽くバイバイと手を振って、廊下へ出た。


 教室の中でドッと笑い声がしていた。


 もうすぐ昼だった。


 どこかで軽いものでも食べようと思って、舞は校門を出て秋葉原の駅へ直行する。


 駅へ着くといつも使っているコインロッカーの中から着替えを入れた紙袋を取り出して、トイレで着替えて、学校のリュックと入れ替えた。



 いつも同じロッカーだと、監視カメラで見ている警備員に不審者だと思われてもいけないので、その都度ロッカーを変える用心深さは持っている。


 舞は私服に着替えると心が解放されるのを感じる。


 ヤヌークの足首の締まった黒のデニムパンツと、エラモスのネック回りの開いたホワイト系極細ピッチのマリンボーダーは、長身の舞にピッタリとフィットしていた。


 どれも先日、六舎凜に連れて行ってもらった店で買って貰ったものである。


 サンドウィッチでも食べようと思って、秋葉原駅の構内を抜けようとした時、舞の携帯のバイブ機能が働いた。


 液晶画面を見ると、登録番号ではなかったが出てみた。


 「舞ちゃん、隼人が。すぐに来て」


 声の主は鳥谷カナだった。


 「隼人?」


 「そ。ボコボコにされちゃったの」


 「分かった。5分か10分で行ける」


 舞はカナの居場所を聞いてから電話を切って、タクシーを探しながら大和の携帯に助けを求めるメールを打った。


 どんな理由があったのかは分からないが、ボコボコにされたというのは尋常な出来事ではない。


 隼人の状態を確かめてから、自分の手に負えそうもなかったら大和を呼んでも良かったのだが、大和に会いたかったのだ。


 それからタクシーをつかまえて、運転手に行き先を告げた。


 なぜカナと隼人が一緒にいるのだろうか?

 なぜ隼人がボコボコにされたのか?


 と舞は考え続けていた。


 たったいま早退した学校の近くにコンビニがあり、その真向かいのマンションの建物の人目につかない場所で、2人は待っているという。


 電話を受けて10分で舞がコンビニに着くと、真向かいのマンションの陰からカナが出てきて手を振った。


 「カナちゃん。一体どうしたの?」


 「隼人が、隼人が」


 と、カナは泣きそうな声で舞を裏手へ連れて行った。


 マンションの壁によりかかるように隼人が座り込んでいた。


 学生服とシャツのボタンは引きちぎられて、シャツの間から厚い胸板が露出し、顔は形が変わるほど殴られて痣と血の痕を残している。


 「隼人!どうしたのよ」


 舞は肩で息をしている隼人の体を揺すった。


 「おお、舞か」


 隼人はニヤリと笑った。


 そこへちょうど大和もやって来た。

 学校から直接駆けつけて来たらしく、いつもの学ランのままだった。


 「隼人、どうした」


 「大和まで来たのか。大げさだな。ちょっと暴れただけだ」


 「ただごとじゃないだろ。取り敢えずオレの部屋へ運ぼう」


 大和は隼人に肩を貸して、マンションの前に待たせていたタクシーに乗せた。それから大和とカナが後部へ、舞は助手席に乗込んだ。


 大和の言う〈オレの部屋〉は、カナたちが居た場所から車で2、3分の瀟洒なマンションだった。


 あまりにも近距離だったので、大和は待たせていたタクシーに乗る前に1000円札を3枚運転手に握らせ、それから近くて悪いですね、と言って行き先を告げたのだ。


 はじめ大和が〈オレの部屋〉へ運ぼうと言ったとき、舞はてっきり彼の自宅がある水道橋に連れて行くものだと思っていたので、秋葉原と聞いた時には驚いた。


 自宅とは真反対のそのマンションの1305号室というのが彼の言う〈オレの部屋〉だったのである。


 部屋へ入ってすぐに隼人はベッドへ寝かされた。


 大和は救急箱を持ってきて、カナが濡れタオルで隼人の顔をきれいに拭い、傷口に軟膏を塗ってゆく。


 「一体、何があったの?それにどうしてカナちゃんと?」


 舞が隼人にたずねた。


 「カナをやっとのことで見つけたんだ。それで取り戻しに行った」


 「でもなんでボコボコにされたの?」


 「私のせいなの」


 カナが泣きながら、


 「私、デイトクラブで働かされているの。で、隼人さんが私を連れ出そうとして乱闘になった」


 「そうだったの。このあいだ京浜ホテルの前でカナちゃんと会ったけれど、あの時にいた男たち?」


 舞はカナがデイトクラブで働いていると聞いて驚いた。


 確かにラテン系の彫りの深いはっきりとした顔立ちと、高校1年生とは思えない体躯と引き込まれそうな黒い瞳は、日本の女子高校生にはない魅力を湛えている。


 「そう。日本のマフィアがやっているの」


 「殴り込むなら殴り込むで、なんでオレに声をかけねぇんだ」


 大和が怒ったように隼人に言った。


 「カナのことだからよぉ、オレの力で何とかしたかったのさ」


 隼人が呟いた。


 カナはそれを聞いてまた涙を流し、帰り支度を始めた。


 「どこへ行くの?カナちゃん」


 「帰らなければひどい目に遭うから」


 「ひどい目に遭うって、カナちゃん、アパートを借りていたんじゃなかった?」


 「うん。父親が事業に失敗してしまったのでアパートを追い出され、市の福祉課に相談に行ったら民間の児童養護施設に入れられたの」


 「児童養護施設って公的施設ではなく、民間施設なの?」


 「うん。社会福祉法人ってやつだけど、別棟べつむねと呼ばれる家があって、そこに監禁みたいな形で閉じ込められているの」


 「別棟?」


 「近くに家を借りていて、そこに住まわされているの」


 「それで学校に来ていないの?」


 「うん。学校どころではないの」


 「でもその児童養護施設でなぜひどい目に遭うの?学校へ通うことはきちんと保証されているはずよ」


 「そうだけれど、学校へは行けない。もしも反抗したら、もっとひどい目に遭う」


 「ひどい目に遭う?カナちゃんが?誰に?」


 「理事長に」


 「理事長がカナちゃんを虐待しているの?」


 舞は驚いた。


 「施設に入った時、いい人がいるからと理事長が1人の職員を紹介してくれたの。初めは優しくしてくれて面倒もよく見てくれたけれど、その男に暴行されて、知らない人とデイトをするように強要された。男はデイトクラブをやっているマフィアと養護施設の連絡係で、結局私はデイト壌にされて別棟べつむね、別荘と言われているのだけれど、その家に閉じ込められたの。私の前にも何人か同じような境遇の女の子がいたけれど、理事長にひどい目に遭っていたらしい」


 「どこかの施設でも行方不明の子がいるって聞くけれど、それも同じようなことをされているのかもしれないな」


 大和は親子離散して施設に入った高校生くらいの女子が、施設を抜け出たまま帰ってこないというユーチューブの告発番組を見たことがあったが、それは家出ではなく、どこかへ売られたか軟禁されているということなのかもしれない。


 「だから私は施設に戻らなければいけないの。それで仕事がある時には理事長付きの職員の車で現場へ行く。で、終わったらまたその職員の車で施設へ帰る。待機場所が施設の別棟ということ」


 「そんな所へ帰るな」


 大和が怒って、


 「隼人が折角連れ出したんだ。カナ、ここにいろ。すぐにオレが部屋を手配してやる。そこで暮らしながら学校へ戻れ」


 「そうよ。私の親に頼んで身元の引き受けをしてもらう」


 舞も口添えした。


 「そんな迷惑はかけられないわ」


 「迷惑だなんて。私たちは友達なのだから」


 傷の手当てをすると隼人は落ち着いてきて眠ったので、カナを残して大和と舞は居間へ移った。


 「ねえ、アンタ、家は水道橋って言わなかった?」


 舞は居間のソファーに座りながら大和にたずねた。


 3LDKの中程度のマンションの居間には白っぽい家具類が置かれ、大型の液晶テレビが壁に掛けられ、テレビの横のポスターもいかにも若者が好みそうなポップ調のものが貼ってあるが、生活感がまるでない。


 チラと見たダイニングの調理器具はほぼ新品同様だし、居間のソファーの前のテーブルにはノートタイプのパソコンが1台と、固定式の電話機が1台と、ヘッドフォン式のハンズフリーマイクがあるだけだった。


 「水道橋は遠いからね」


 「確かに、学校の近くでいいね。でもほんとにここに住んでいるの?生活感がないわ」


 ダイニングに冷蔵庫やレンジ類は揃って明日からでも新婚生活は送れそうだが、そんなに頻繁に使った形跡もない。


 「たまに泊まるくらいだ」


 大和がそれ以上言わなかったので舞は、


 「取り敢えず、私は何か食料を仕入れてくるわ」


 「おお。頼む。よく気が利くな」


 大和はポケットから財布を取り出して、1万円札を差し出した。


 「アンタも、なかなかのものね」


 舞はすかさずお金を差し出す大和の気遣いにニコリとした。


 このくらいの配慮が相手に示せなければ、女の子を使う派遣業なんか出来ないのだろう。


 夕方になると大和の部屋に4人5人と女の子が集まって来て、舞は驚いた。それも全員がスタイルも良く、美しかった。


 最初舞が買い物から帰ってみると女の子が1人いたので、てっきり大和の彼女が来たのだと思って身の置き場に窮した。


 それから次々と女の子がやって来たので、舞はこの部屋が大和の経営するデイトクラブの基地だと察した。


 「紹介するよ、瞳ちゃんだ。こっち舞ちゃんとカナちゃん。今日は見学だけ」

 大和はそんな紹介の仕方をした。


 「へっ?」


 舞はキョトンとして、そのあと頭にきた。それって、殆どデイト壌という紹介のし方じゃない!


 「舞ちゃんとカナちゃんね、よろしくね」


 瞳と紹介された女の子も完全に勘違いしていた。


 「はい。お願いします」


 舞はなんで頭を下げなきゃなんないの?と思いながらカナに、


 「カナちゃん、なんか作ろう」


 「うん。その前にちょっと話が・・・橋爪さんにも」


 カナがそう言ったので、舞と大和とカナの3人で隼人のいるベッドルームへ戻った。


 カナは隼人が寝ているので小声で、


 「私もここで働かせて。ここってデイトクラブでしょ。働いてお金を返す」


 と、言った。


 「バカを言うな」


 と、大和は怒って、


 「カナは学校へ戻れ。そもそもここの女の子たちは遊びでやっているんだ。大学を卒業すればきちんと就職する。カナはまだ高校生だ。まず高校を卒業しろ。遊びでこんなことをするのと、生活のためにやるのとは大きな違いがある。お前は学校へ戻れ。そのうちに適当な住まいときちんとしたアルバイトは探してやる。それがお前の面倒を見るオレの条件だ。いいな」


 「うん」


 カナは少し考えて短く頷いた。


 「スマンな、大和」


 眠っていたはずの隼人が礼を言った。


 「なんだ、起きていたのか。もう少し眠れよ。明日にでもカナのアパートは決めるから隼人、カナのことを頼むぜ。俺1人で大勢の女の面倒は見切れねぇ。舞もいるしよぉ」


 へっ!舞は素っ頓狂な声をあげて大和を見た。


 誰が面倒を見てくれと言った?


 という不満を隠した奇声だったが、大和の口調にはもう自分で決めた、といった舞にとっては嬉しいようなくすぐったいような、また迷惑な響きもあった。


 大和と舞はカナと隼人を寝室に残して部屋を出た。


 居間へ戻ると瞳がヘッドフォン式のハンズフリーマイクを耳に当てて、


 「はい。モデルクラブ・スターエージェンシーです」


 と歯切れ良く対応していた。


 はい、

 はい、


 と見えない相手にうなずいている。


 「どちら様のご紹介で?あ、初めてですか。ありがとうございます」


 相手の話を聞きながら手は淀みなくメモを取り、また卓上のパソコンのキーを叩く。


 さらに料金の説明をして、好みのタイプを聞く。


 「身長160センチ程度。大人しい子で、ヘアはロングでスレンダータイプがお望みですね。はい。十分にご満足頂けるかと存じます。日本橋の三井ガーデンホテル1403号にお泊まりですね。承知致しました。30分程度でお伺い出来ると思います。着きましたら今おかけの番号にお電話を差し上げますので、よろしくお願い致します。本日はありがとうございました」


 瞳は電話を切ると、

 ミキちゃん、と声をかけた。


 「フォーマルな服に着替えてね。日本橋の三井ガーデンよ」


 「了解」


 ミキは着替えの為に別室へ姿を消した。


 スゴイ!


 対応に全く淀みがない。


 しかもメモを取りながら、パソコンにデータを入れながらの電話対応である。舞にはそんな芸当は出来ない。


 着替えルームには客の好みに応じられるように、様々な服が用意してあった。


 大和の趣味なのだろう、どれもブランド物なので、彼はここで上がる利益の大部分を衣装代に注ぎ込んでいるのがわかる。


 ただ、大和もファッションショーのイベントに関係しているようなので、使用済みのニュー衣装なども格安で手に入れることは出来る。


 舞にとってここの女の子たちは年上には違いなかったが、話をするとほとんど同年代の感覚だった。


 そうこうするうちに女の子たちは電話番の瞳を残して派遣先へ出て行った。


 [第6話へ続く]

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