第3話 舞、紳士から2万円をカモる

 [第2話から続く]



 数日後。


 夕方7時過ぎ、舞と沙織と由佳の3人は学校の制服のまま、教科書を入れた同じようなリュックを背負い、新橋駅前のSL広場で網を張っていた。


 7時を過ぎて、ぼちぼち夜のとばりも落ちそうな時間である。


 1日の勤務を終えたサラリーマンや若いOLたちが家路へ急ぐのか、或いは飲みに行くのか、幾つものかたまりになって広場を横切っている。


 舞と沙織と由佳の3人は、機関車のそばで楽しそうにお喋りしていたが、舞は広場を通り過ぎる男たちの品定めを怠らなかった。


 年齢は40代か50代で、スーツをきちんと着た男が好ましい。


 若い男やよれよれのスーツを着た安サラリーマンは金を持っていないし、そうかと言って金時計を見せびらかすオラオラ系の男はモメると厄介そうだし、大きなプラチナの指輪をこれ見よがしに指にはめたヤクザ系は不気味なので、標的から外す。


 そうやって男たちの査定をしていた時、前をすっと通り過ぎて行った男性に、舞は目をとめた。


 年齢は50に近いか、上かもしれない。


 少しだけ白髪の混ざった髪をほぼ頭の真ん中で分けている。


 何よりも目にとまったのは黒い革靴の清潔感と、小脇に抱えた革の書類入れの高級感だった。


 何となく上場企業の管理職、あるいは官庁の高級役人に見える。


 それに通り過ぎる時、舞と一瞬目と目が合い、ニコリと微笑んだような、そうではないような視線にも脈を感じた。


 舞は沙織と由佳に目配せして、紳士の背中を追いかけた。


 沙織と由佳が舞の跡を追う。


 人の流れの一団は広場前の交差点の赤信号で止まり、舞は紳士のすぐ横の定位置についた。


 舞がチラと紳士の方を見ると、紳士もほんの少し見返した。


 見るからにこす辛そうな男がいるものだが、この紳士は見た目そんなものとは無縁で、生まれも育ちも良さそうな雰囲気がそのスーツ姿のネクタイからも窺える。


 信号が青に変わってぞろぞろと人が動き出し、紳士も歩き始めたその時、舞はおずおずと声をかけた。


 「おじさん、ちょっと時間、ありますか?」


 「ん?時間?」


 「はい。良かったらエンコーしてもらえませんか?」


 「エンコー?」


 紳士は驚いたように舞の顔を見た。


 「はい。援助交際」


 「誰と?」


 「私と」


 「君と?」


 紳士は歩きながらまじまじと舞の顔と、それから制服を見て、


 「高校生だろ、君」


 「大丈夫です。18歳になっています」


 「18歳って言ったってね。高校生じゃあね。大人になったらエンコーでも何でもしてあげるよ」


 紳士は舞の全身をまた上から下まで素早く眺めて、


 「2年後にまたどこかで会った時に、ね」


 と、笑った。


 高校の制服姿だったがその長身と僅かに栗色に染めた肩までかかる長い髪と、また二重ふたえの瞼と高い鼻と口紅のCMでも出来そうなほど形のいい唇は、とてもこの春高校に入学したての16歳には見えない。


 おまけにモデルとして東京コレクションのランウェイも歩いていたので、度胸もはなもある。


 見方を変えれば高校生というよりも、青いオンナを好む男の求めに応じて高校生に扮した、といった趣さえあった。


 人の流れは交差点を渡りきって、色の輝き始めた電飾看板が並ぶ雑居ビルの前で右と左に別れ、紳士と舞は同じように右へ流れた。


 その跡を沙織と由佳が追って行く。


 紳士は黙って歩いていたが、ふと舞を見て、


 「そんなにお金が必要なのかね?」


 「はい」


 「何に使うんだい?」


 「バッグです。それに服も欲しいし」


 「幾らだね?」


 「3万円です」


 「どこまで、だね?」


 「どこまでって?」


 「キスだけで3万円?それとも最後まで?それに、何時までいいのかな?」


 紳士が疑問符を連発して食いついてきたので、舞は心の中でニンマリした。


 新橋界隈の安サラリーマンは持っていてせいぜい1万円程度だとの先入観があったので、少し高級な男を選んだのだが、やはり自分の目利きも捨てたものではないようで、目標額の2万円は持っていそうである。


 ということはホテル代やタクシー代などを含めると、数万円以上は財布の中に入っているに違いない。


 「あまり遅くならないうちに家へ帰りたいのです。ここから家まで30分。10時半が限度です」


 「高くないかい?」


 紳士が腕時計を見ながら聞いたので、このあとの段取りを考えているのが舞には分かる。


 タクシーに乗ってホテルへ入り、シャワーを浴びてそれから、となると3時間あるのでまずまずイケル、との男の判断は容易に想像がつく。


 「私、経験するの、初めてなのです」


 「初めてなのに、どうしてぼくに声をかけたんだい?」


 「感じ良かったし、清潔そうだし。それに、私もそろそろ捨てたいと思っていたから・・・」


 舞は男を持ち上げる。


 中年から老年にさしかかろうとする男にとって、また特にイケメンでもない男にとって、清潔感を強調されて気分が悪かろうはずがないという気持ちも、舞には読める。


 「分かった。今からでいいの?」


 「はい」

 舞はしおらしく俯いて答えた。


 「じゃあ、行こうか」


 紳士は、今度は舞をエスコートするような身振りで車道を窺った。


 明らかに流しのタクシーを待っている。


 「おじさん」


 「何だい?もう気が変わったのかい?」


 ううん、と舞は首を振って、


 「おじさん、キスは上手ですか?」


 紳士はそれを聞くとクスクスと笑って、


 「それがどうかしたのかい?」


 「私、初めての男性はキスの上手な人がいいと思っていたのです」


 「さあ、どうかな?」


 「ちょっと試してもらえますか?キスが上手だったらOKです」


 「試す?ここで?パリでもニューヨークでもなく、ここは新橋だよ」


 「そうですねぇ」


 と、舞は軽く視線を巡らせた。


 すぐそこにビルとビルの隙間のいい場所がある。過去に何度か相手をカモった場所だった。


 「こっちへ」


 と、舞は紳士の腕を引いてビルとビルの隙間の、通りから遮断された場所へ潜り込んだ。


 男に異存あろうはずはない。


 カネを払う前に女子高校生か、女子高校生に扮した女なのかは分からないが、とにかく若い女の唇が頂けるのだ。


 おまけに美人ときているので、万がイチ実技試験に落ちたとしても、キスをしただけで儲けものになる。


 まさか女子高校生が実技試験で落ちた劣等生にカネを出せ、などと強欲なことは言わないだろう。ま、どんなに高くでも1万円も払えばいい。


 舞はそんな男の気持ちが手に取るようにわかっていたので、所定の位置に立って、ちょっと顔を上に向けて、目を閉じた。


 紳士が一瞬逡巡したように黙り込み、そのあと顔を近づけてくる気配を舞は感じた。


 その時、


 ベストタイミングで横の方でカシャカシャっという電子音と、フラッシュの連続閃光弾で辺りが一瞬昼のように浮かびあがる。


 キャッキャッと笑い声もする。


 紳士がギクッとしてそちらを見ると、沙織と由佳がスマホカメラで現場を押さえていた。


 「なんだ、これは?」


 紳士が顔を強張こわばらせた。


 「おじさん、ごめんなさい」


 舞は掌を上に向けて出した。


 「ぼくが誰ともわからないのに、脅しが効くとでも思っているのか?」


 「脅しなんて、人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。こんな人がいるから女子高校生は注意を、とSNSに上げて注意喚起する教育動画ですから」


 舞がトドメを刺した


 「そういうことか」


 紳士は憮然とした表情でスーツの内ポケットに手を差し込んで、長財布を取り出した。


 こんな怪しげな場面の写真をSNSに上げられて呟かれでもしたら、有名人なら大変なことになる。


 有名人でなくても、どこかに知った顔がいるもので、また身元を明かされ、SNS上が荒れる。


 ことにネオン看板の光がやっと届く中でのフラッシュ撮影は、臨場感溢れる現場写真になること確実だった。


 しかも、相手は禁断の制服姿の女子高校生。引っかけられたと弁解しても、通らない。


 紳士は1万円札を1枚、舞の手の上に置いた。

 1万円をケチっただけで、SNS上で好き放題晒されてはたまらない。


 舞は首を振った。紳士がもう1枚、置く。


 頷く、舞。


 「いい授業料になったよ」


 紳士は不機嫌そのままの顔で、ビルの隙間から出て行った。


 「はい、沙織。2万円」


 舞は沙織にそっくりそのまま手渡した。


 「ありがと、舞。恩に着るわ」


 沙織は押し頂くように紙幣を頭の上にあげて、


 「これでやっと定期券が買える」


 「もう使い込んじゃだめよ。さっ、帰りましょう」


 舞と沙織と由佳がビルの間から表通りへ出ると、ジーンズと白っぽい綿の上着を着た1人の若い男がビルの壁に背をもたせかけていた。


 足元には大きな紙袋が3個。


 [第4話へ続く]

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