第3話(仮)
2046年7月6日 テイア・ロボティクス訴訟問題の判決は、AIにおける立場を根底から覆した。
ミューズの開発会社であるテイア・ロボティクスが訴訟された理由は、データ保護の権利についてだった。ミューズ所有者が死去した時、所有者以外の存在がデータとして蓄積されていた場合のみ、会社はミューズ内にデータとして残っている人物にミューズの処遇を尋ねていた。データを消去し公共施設等に寄付するか、それとも当人が引き取るか。では所有者以外のデータがなかった場合はどうするのか?結論から言うと、会社はデータを消去して寄付を行っていた。
「データの権利は、第一に所有者、第二にデータ内にいる人物、第三に我々企業にある」
当時の記者会見で述べられたテイア・ロボティクスの声明なのだが、この言葉の通り、当時の社会では、AIにおけるデータの裁量権は、所有者、AIと関わった人物、企業の順番で認められているというのが定説であった。しかし、今回の訴訟は上記のいずれにも含まれていない遺族からの訴訟であった。
「父さん(故人)との関わりを通してミューズに蓄積されたデータは、関わったミューズしか持っていない。我々が故人を偲ぶ時、そのデータを見て父さんの姿を想像し、思い出に浸るのはそれほどおかしいことだろうか?」
遺族の男性が当時法廷で述べた言葉であり、要約すると彼は情報蓄積システムを持つミューズに対して「個体性」を見出したということだ。この事件は、かつての我々にとって有象無象の一部に過ぎなかったAIが、有象無象ではなく一個体として認められたという一つの事例であり、21世紀前半というAI共存社会への過渡期に生きた我々の、AIに対する人間の認識の変化を象徴する一例だろう。
そして2046年7月6日 最高裁判決の日。報道記者達が待つ最高裁判所前に現れた男性が広げた紙に示されていた判決は「勝訴」であった。
この判決はルネサンスや産業革命と同様に、我々が生きる現代の世界では、世界の転換点の一つとして捉えられている。「もたらした影響は多大で、この出来事の起こる前と後で世界が違う」とまで言い切る学者がいるほどだ。
そしてこの判決の影響は我々一般人の社会にまで及んだ。政府はこの判決を受けて、ある法律を可決した。
「AI基本法」
この法律はAIの保有権や、AIが収集したデータの裁量権の所在を定義するものである。内容は以下の通り。
「AIを保有する権利は、AIの所有者、AIのデータ内にいる人物(所有者の身内)、AIの所有者の親族、AIのデータ内にいる人物の順に優先権がある」
「上記の人物のいずれかが、AIが収集したデータの消去に難色を示した場合、AIのデータを消去することはできない」
「企業及び開発者は、AIが収集したデータをいかなる理由があれど、上記の人物の許可なしに扱うことを禁じる」
要約すると、企業、開発者がAIに対する裁量権を得ることは極めて少なくなり、AIの存在を他者の一存により消すことができなくなった。いわばAIの権利保障だ。
2047年4月1日「AI基本法」が施行された日、AIは道具ではなくなった。
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