#3:神谷さんちの晩御飯


-情報システム課・休憩室-


「神谷さん、あれから料理してます?」

篠田葵がにやにやと笑いながら聞いた。


神谷蓮はコーヒーを口に運び、淡々と答える。

「……まぁ、たまにだ」


「えっ、ほんとに!? 嘘でしょ~! どうせ“湯を沸かす”=料理って言ってるタイプですよ!」

篠田が身を乗り出してツッコむ。


「お前の思っている以上のことはしているはずだ」


真壁沙耶が資料をクリップでとめながら、ふっと笑う。

「まぁ、あなたのことだから、やるなら全力で極めてそうね」

「……別にそんなことはない」

神谷はそっけなく答えるが、その目は一瞬だけ逸らされた。


その「別に」の一言に、篠田の好奇心センサーが全開になる。


「うわー、絶対なんか隠してる顔してます! というわけで、今日行きましょう!」

「どこに」

「神谷さんち!」

「やめろ」

短く返す神谷の声に、わずかな焦りが混じる。


-夕方 神谷宅前-


「……本気で来たのか」

「だって気になるじゃないですかー!」

「……私も見てみたいわね。あなたの“晩御飯”」

真壁まで当然のように同行していた。


「……なんで二人とも当然のように来るんだ」

神谷は諦めたように鍵を回し、静かにドアを開けた。


「どうぞ……」

「おじゃましまーす!」

「お邪魔します」


玄関をくぐった瞬間、ふたりは同時に息をのんだ。


部屋は、整然としていた。

空調の微かな唸りと、足元を撫でるような冷気。空間全体が、彼の性格そのものを映していた。

黒と木目を基調とした落ち着いた空間。

壁には余計な装飾ひとつなく、整列された本と書類の棚。

キッチンにはステンレスの器具が光を反射している。


しかし、その静謐な空間の中にも、

どこか“人の温もり”を感じるものがあった。


窓辺には、コーヒーの香りを吸い込んだガラスのサイフォン。

机の端には、使い込まれた万年筆とノート。

ノートの隅に、小さな折り鶴が一羽――手先の癖で、無意識に折ったのだろう。


篠田がぽかんと立ち尽くし、口を開けたまま部屋を見回す。

「え……なにこの部屋。

なんか“ミニマリストと理系男子の中間地点”って感じです」

篠田が感嘆とも困惑ともつかぬ声をあげる。


真壁は軽く微笑んで頷く。

「……整理整頓にも性格が出るのね」


「褒め言葉として受け取っておく」

神谷は淡々と答え、上着を椅子の背に掛けた。


その隙に、篠田はすでに冷蔵庫へ向かっていた。

「ちょ、勝手に開けるな」

「ちょっと見るだけですって!」


次の瞬間――


「なにこれぇぇぇ!?」


冷蔵庫の中には、ラベルが貼られたタッパーが整然と並んでいた。

《カット済にんじん_ver2》《玉ねぎ最適化中》《肉じゃが_試作品(冷凍)》


「……神谷さん、これ、研究所ですか?」


神谷は少しだけ気まずそうに眉をひそめる。

「改良を繰り返しているだけだ」


「料理にバージョン管理いります!?」


真壁がカウンターの上に置かれたノートを手に取り、軽くめくった。

「このレシピノート……“肉じゃがの分析”って書いてあるけど」

「具材の分布を均等にする方法を……」


真壁が目を細めた。

「そこまでする!?」


篠田は笑いながら鍋の蓋を開ける。

「わぁ〜、いい匂い! 今日のご飯、なんですか?」

「プロトタイプ03だ」

「……何の?」

「肉じゃが」

「プロトタイプ!!」


しばらくして、テーブルに湯気立つ皿が並ぶ。


「それじゃあ、いっただっきまーす!」

篠田が勢いよく箸を伸ばす。


……が。


「……あれ、味が……」

「うすい?」

「いえ、なんか……“正確すぎる”味です」


神谷は胸を張って答える。

「塩分濃度は0.8%、糖度は家庭平均の中央値に調整した」


真壁が思わず吹き出した。

「家庭の味に“中央値”求めちゃダメよ」


篠田も口を押さえながら笑う。

「なんか、審査員に出すタイプの肉じゃがですね! 家庭感ゼロ!」

「もう料理じゃなくてプレゼン資料ですよ!」


神谷が呆れ顔で返す。

「……黙って食え」


「じゃあせめて、デザートとかで感性取り戻しましょうよ!」

篠田が冷蔵庫を開ける。

中には——透明な容器に詰められたゼリー。


ラベル:《固化試験_成功率93%》


「怖っ!!」


結局、三人で騒ぎながら食卓を囲んだ。

篠田が笑いながら言う。

「神谷さん、次は“感情の味付け”を目指しましょうね」


神谷は箸を置き、静かに頷いた。

「……感情が味付けに影響するのか……料理に話かけるのか?」


「もういいです!!!」

篠田が机を叩いて笑う。


その夜、静かな部屋に、あたたかい笑い声が響いた。

風がカーテンを揺らし、静かなカチャリという食器の音が、夜の終わりを告げていた。

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