私の捻れた彼

國村城太郎

第1話 展示会での出会い

 彼と初めて出会ったのは、クラフト系の販売イベントに出店した時のこと。

 私はそれまでの人生の中で、一番大事な出会いをしたのだ。

 

 私……墨田聡介すみだそうすけは、30歳になってしまった独身のサラリーマン。美大を卒業はしたものの絵で食べていくほどの才能には恵まれず、デザイン会社に就職し、普通にサラリーマンをしている。

 

 背は多少高いものの痩せ型で、絵に夢中になりすぎて、視力を落とし、眼鏡をかけている。

 

 絵への情熱といえるほどのものはもう熾火のようになっているが、絵が好きなのは変わらず、今回は実家の愛猫をデザインした扇子や、小さい額縁に入った絵など、いくつかの自作の絵を持ち込んで、このクラフト系のイベントに出店した。猫好きのブースが集まる一角に、私のスペースがあった。

 

「隣でやらせてもらいます。銀猫亭です。よろしくお願いします」

 

 目の前にやってきた男の子がそう言って挨拶する。学生さんかな? 小柄で華奢な美少年だなというのが最初の印象だった。

 

「よろしくお願いします。猫描堂です。今日は一日隣でやらせてもらいます。そちらもお一人ですか?もしお手洗いとかあれば協力しましょう」

 

「助かります。よろしくお願いします」そう言って彼はニッコリと、笑顔を私に向けてくれた。

 


 その笑顔は爽やかなのになぜか蠱惑的で、一瞬私は、彼を見つめて固まってしまっていた。

 

「……あ、ああ、こちらこそよろしくお願いします」と返事をなんとか返す。

 

「じゃ、お互い急いで準備しないとですね、もうすぐ開場しちゃいます」

 

「そうだね、頑張ろうか」

 

 私達は並んで荷物を並べ準備をする。といっても私はもってきた荷物を並べて値札を立てるだけで、あっという間に終了である。

 

 特別沢山売りたいわけでもなく、ただ絵を描く積極的な理由が欲しかっただけだったのだから。

 

 手が空いたので席に座ってぼーっと隣のブースを眺める。

 

 隣のブースは、アクセサリーのようだ。しかもその場で加工を行うと書いてある。準備も販売時も大変そうだなぁとなんとなく見ている。

 

 大変そうであるが、とても楽しそうに準備をしている。若いっていいもんだねぇとじじくさい事を考えていた。

 

 開場時間の15分くらい前になって、やっと準備が出来たらしいお隣さんが、こちらのブースにやってくる。

 

「すみません、ちょっとこの扇子見せていただいていいですか?」


「いいですよ、まだ少し時間ありますしね」 

 私がそういうと、彼は扇子を広げて、猫の絵を見はじめる。

 

「上手ですねぇ、お兄さんが書いたんですか?」

 

 絵を褒められて嬉しくない絵描きはいないと思う。

 

「ああ、そうだよ。うちの実家で飼ってるニヤ丸という猫を描いてるんだ」

 

「開場前になんですけれど、これいただいてもいいですか?気に入ってしまって」

 

「ああ、ありがとう。これ袋に入れておくね」 

 そう言って扇子の入った袋とお金を交換する。

 

「僕、今居珠樹いまいたまきっていいます。あらためて今日はよろしくお願いします」

 

 そういって、荷物を左にもってあいた右手をこちらに向かって突き出してきた。

 

 一瞬、逡巡したが、私も彼の右手と握手を交わす。

 

「私は、墨田聡介すみだそうすけ、今日一日よろしく」

 

 小さくて柔らかい手の感触に、何故かドキッとして、私は手を離すと誤魔化すように話しかけた。

 

「若いけど学生さん?一人で出店してるって事は高校生ではないだろうけど」

 

「え〜そんなに幼く見えますか?これでも一応、この春から社会人になったんですけど」

 

「そうか、それは失礼したね」

 

『場内の皆様にお知らせします。間も無く開場の時間となります。各自ブースにて準備を完了してください』

 

 場内放送に、それぞれのブース確認に戻った。

 

 時間が来て、一般来場者がやってくる。それ程展示数もない私のブースはあっという間に暇になる。

 

 お隣さんは盛況のようで、美少年に対面で見つめられながら、アクセサリーを仕上げてもらうのに、女性たちが集まっていた。

 猫のチャームを選んで、ペンダント、イヤリング、ピアスにその場で取り付けてくれるようだ。加工の手間なども入って大変そうだ。

 

 でも楽しそうに作業している顔を見てると、ついいつも持ち歩いてるノートに、クロッキーを描いてしまっていた。

 

 そうしてるうちに揉め事が起こる。

 

 しつこい女が、もっと近くで見てと、ブースの内側に入ってきたらしい。「出ていってください」と言っているが、聞かないようだ。

 

「はい、そこのおねーさん。このブースの内側はお金の保管とかもあるので、このサークル参加のパスをかけてない人間は、入場出来ないルールですからね、これ以上粘るならスタッフのとこに連れて行くけど、どうする?」

 

「クッ‼︎」息を呑んで、その女は遠くに去っていった。


「どうもありがとうございました」

 

「いいからいいから、それより次のお客さんが待ってるぞ、早く行ってあげな」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 そうして彼はまた忙しそうに作業に戻る。 

 その後は何の問題もなく終わりの時間になった。撤収の為、ブースの片付けをしていると、隣から彼が声をかけてきた。

 

「お兄さんはこの後何か予定ありますか?もしよかったら、一緒に打ち上げやりませんか?今日のお礼もしたいし」

 

「特に予定もないし、たまには人と飲むのもいいね、いいよ付き合うよ」

 

 急いで片付け終えると、二人でこのあとのことを話す。とりあえず最寄り駅まで帰る途中の大きなターミナル駅までは一緒の道ということで、そこまで一緒に移動し、そこで飲もうという話をまとめた。二人で駅に向かって歩いて行く。

 

「あ、あいつ、今日私に恥かかせた奴だよ」

 

 突然そんな声が後ろから聞こえてくる。振り向くと今日の迷惑女と、明らかなチンピラ風の男がいた。

 

「てめぇ、人の女によくも!」そう言うと、男は地を蹴るように走ってこちらに突っ込んでくる。

 

 思わず年下の彼を庇おうと一歩前に出る。

 するとすぐさま、全く体重を感じさせない軽やかな足運びで、彼が私の横をすり抜けるように前に出る。

 

 彼の手が突っ込んでくる男の拳を掴んだ、とそう思った瞬間、彼の身体が男と入れ替わるように動くと、男は後ろ手に手をひねられて、「いてて」と声をあげる。

 

 彼はそのまま男の脚を軽くはらう。すると男はまるで座るかのように、尻餅をついている。一瞬呆然とする男に、彼は声をかける。

 

「このくらいで、やめておきませんか? 怪我をしても馬鹿らしいですよ?」

 

 それを聞いて男はかえって逆上してしまう。慌てて起き上がると、改めて奇声をあげて彼に殴りかかろうとした。

 

「このやろ、てめー!」

 

 その瞬間、彼は、一つため息をつくと、即座に好戦的な彩りに瞳が輝やくのが見えた。

 

 彼の手がまた殴りかかってきた拳に触れると、男の身体がぐらっとバランスを崩す。そして、彼の脚が驚くほどしなやかに男の身体に吸い付くように触れると、そのまま男の身体を、まるで空気人形かのように、押し上げていった。

 

 そして、男の身体がまるで重力から解放されたかのように、ふわりと宙を舞って、そのまま近くに転がっていたゴミ袋の上に鈍い音と共に無様に落ちていく。

 

「美しい……」美しく、かつ凜々しい、彼の舞うような体さばきに魅せられた私は思わずそうつぶやき、呆然と立ち尽くした。不意に、彼に腕を強く掴まれ引っ張られる。その熱に、正気へと引き戻された。

 

「急いで、駅まで走りましょう」

 

「あ、ああ、わかった」

 

 促されるままに彼の後ろを走っていく。

 

 走りながらも、私の心は高揚していた。私の人生を狂わせた、あの、一瞬の美しさをずっと頭の中で描いていた。

  

「ホント……美しかった……な」

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