第56話 氷原の祭壇〈フロスト・サンクチュアリ〉

 虚の軍勢を退けた翌朝。

 フロストヴェイルの空は曇天に覆われ、極光も鈍い色を帯びていた。

 蓮たちは雪に覆われた大地を進み、ハラルドの導きで北方の奥地を目指していた。


「この先に“祭壇”がある」

 ハラルドが低く告げる。

「我らの民に伝わる伝承では、神々が最初に降り立った場所――均衡を測る秤が眠る場所だ」


「均衡の秤……」

 ミストが興味深そうに呟く。

「つまり、ここが北方における“均衡の核心”……」


「でも、どうして今まで影響が出なかったんだろう?」

 ネフェリスが小首をかしげる。


「それは、おそらく」

 ノアが答える。

「蓮たちがアークを倒し、“均衡の器”を壊したからだ。その余波で、眠っていた秤が揺れ動き始めた」


「つまり……俺たちが原因か」

 蓮が小さく息を吐いた。


「でも、それは避けられないことだったわ」

 イリスが蓮の肩に手を置き、優しく言う。

「器として誰かが犠牲になるより、自分たちの意思で選ぶ方がずっといい。だからこそ、次を正しく導かなくちゃ」


 リーナが剣を握りしめた。

「だったら行こう。未来を決めるために」


◆ ◆ ◆


 雪原を越え、氷壁を登った先。

 そこに広がっていたのは――巨大な氷の神殿だった。

 透明な氷柱が天へと伸び、中心には荘厳な祭壇が鎮座している。


「……これが、フロスト・サンクチュアリ」

 ハラルドの声がわずかに震える。


 祭壇には古代文字が刻まれていた。

 ミストが魔導装置で解析を始める。


「……解読できた。“均衡ノ枢軸、其ノ秤ハ未来ヲ定ム”。どうやらここは、世界の因果を調整するための装置そのものね」


「世界の……装置?」

 ネフェリスが目を丸くする。


「そう。神々が去った後も、世界が崩壊しないように働き続ける自律機構」

 ノアが補足する。

「けれど今は暴走して、虚の裂け目を生んでいる」


「つまり、ここを止めれば……?」

 リーナが問う。


「一時的にでも安定するはずだ」

 ミストが頷いた。


◆ ◆ ◆


 その時――氷殿全体が軋みを上げた。

 祭壇から黒い靄が立ち昇り、人型を成す。


「また……影!」

 カイエンが剣を抜く。


「いや、違う」

 イリスが目を細める。

「これは……“守護者”。秤を守るために作られた存在」


 黒氷でできた騎士が現れ、巨大な剣を振り下ろしてきた。

 地面が砕け、氷片が四散する。


「くっ……!」

 リーナが防御するが、その一撃は凄まじい重さを持っていた。


「どうする? 破壊すれば秤が壊れる!」

 マリルが叫ぶ。


「なら、抑え込むしかない!」

 蓮が指示を飛ばす。

「シャム、リーナ! 前衛を頼む! カイエンとマリルは結界で援護! ノアとミストは解析を急げ!」


 仲間たちが声を合わせ、陣形を整える。

 ハラルドも槍を構え、吠えた。

「狼は決して退かぬ! 我が血をもって、氷の守護者を押し返す!」


◆ ◆ ◆


 熾烈な攻防が続く。

 氷騎士は倒しても再生し、剣を振るうたびに空間が軋む。


 ネフェリスの歌声が仲間たちを癒やし、戦意を高める。

 ノアの解析が進み、やがて結果が示された。


「わかった! 守護者は“因果の結晶”で動いてる! それを無効化すれば動きが止まる!」


「じゃあ、蓮!」

 リーナが叫ぶ。


 蓮は無限アイテムボックスから星命共鳴装置〈アカシック・リゾナンス〉を取り出し、力を注いだ。

 装置が輝き、氷殿全体に共鳴波が広がる。


「今だ――みんな!」


 全員が力を合わせ、一斉に氷騎士へ攻撃を叩き込む。

 光と氷がぶつかり、轟音と共に守護者は砕け散った。


◆ ◆ ◆


 静寂が訪れる。

 祭壇の黒い靄は消え、淡い青光が灯った。


「……成功した?」

 ネフェリスが恐る恐る呟く。


「ええ。秤は安定を取り戻したわ」

 ミストが頷く。


 だがその直後、祭壇から声が響いた。


『来訪者よ。均衡を破りし者よ。汝らに問う――未来を如何に選ぶか』


 古代の声。

 それは神々の残響そのものだった。


 蓮は拳を握り、仲間たちと視線を交わした。

 そして、迷いなく答えた。


「俺たちは――犠牲じゃなく、共に生きる未来を選ぶ!」


 祭壇が輝きを増し、天へと光の柱が立ち昇る。

 その瞬間、虚の裂け目がひとつ閉じた。


◆ ◆ ◆


「……やった……のか?」

 カイエンが呟く。


「ええ、一時的にだけどね」

 ノアが苦笑する。

「でも、確かに均衡は“こちらの選択”を受け入れた」


 ハラルドは静かに槍を地面に突き立てた。

「見事だ。お前たちの未来を選ぶ覚悟、しかと見届けた」


 蓮は深く息を吐き、青空を見上げた。

「これで終わりじゃない。だけど……一歩前に進めたな」


 その言葉に仲間たちが頷き、雪原に響く笑い声が広がった。

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