第3話
その日の夜、伐採のジェームズは、自動運転車に乗って予定通り夕方六時に帰宅した。オフィスのジェームズとローラたちはもう帰っているようだ。彼はドアを開ける。
「パパ! 大丈夫?」
下の子のベンが駆け寄ってくる。家族から聞かされていたとはいえ、右脚がなくなり松葉杖をついている父親の姿はやはりショッキングなようだ。左脚にしがみつかれ、ジェームズはバランスを崩しそうになる。
「だめよ、ベン」と一体のローラがベンを優しく引き離す。ベンは涙を浮かべている。
ベンは初めてだしな、と伐採のジェームズは思う。
「効率重視だからな。そりゃ事故も起こるよ」とオフィスのジェームズ。
「でも、おかげで給料いいんだしね」ともう一体のローラが言う。
ソフィアが部屋から出てきた。
「今回もクーポン出るんでしょ?」
「ああ、もちろんだ」
「やったあ。今日はピザにしようよ」
職場の事故で一体が喪失、あるいは重大な損傷を負った場合、もう一体には、外食にも宅配にも使える食事クーポンが支給されるのだ。泣いていたベンも、ピザという言葉を聞いて泣き止んだ。
「ポテトつけてくれる?」
「ああ、今日は特別に十個つけよう。好きなだけ食べていいぞ」
ベンはさっきまで泣いていたのが嘘のように顔を輝かせる。
* * *
クローン作成・育成・記憶の同期が全世界的なブームになった。その中で、技術は成熟し、低価格化が進行した。数年後には、庶民の三か月分の収入程度の価格帯になった。親が少し頑張れば子供に出してやれる金額だ。それに、両親がすでに例の病気で死亡し、遺産を相続している人も多かった。
中流階級以上にバックアップ作成が普及した結果、社会は目に見えてスムーズに動くようになり始めた。かつてあちこちで見られた、責任者の突然死による業務遅滞はあまり見られなくなった。
普及率が六〇%を超えたあたりで、政府は全国民へのクローン補助金を導入した。お金がある者しか生存できないように見える状況は社会不安のもとだ。普及率は上がり続け、最終的には、生産年齢ではほぼ一〇〇%になった。
人口増加の問題が懸念されたが、結果としては、あまり大きな問題にはならなかった。そのころ、人類は少子化によりピーク時の半分程度の人口になっていたため、住居などのリソースには余裕があった。また、成人の二体はどちらも労働力になる一方、未成年者は一体のままだったため、生産年齢人口の比率は以前よりも大きくなった。それに伴い、社会保障制度には以前よりも余裕ができた。
* * *
その日の夜、ジェームズたちの部屋。
「明日から一体にしようか」
「ああ、そうだな」
新しい体が届くまでの間、傷ついた体をそのままにして二体生活を続けることもできる。家に未就学児がいる場合などには選ばれやすい選択肢だ。だが、ジェームズの家はそうではない。また、その選択をする場合、傷ついた体が役に立っているとみなされ、支給されるクーポンが減額される。右脚がない体では割に合わない。
「じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
二体はいつも通り眠りについた。
* * *
二体体制は徐々に整っていった。最初のブレークスルーは差分同期だった。同期からあまり時間を置かずに再同期する場合、二体の脳のスキャンデータの差分を取り、送信先のシナプスをその分だけ操作することで、同期にかかる時間を劇的に短縮することが可能になった。同期から次の同期までの間隔が一日以内の場合、四時間に収まるようになった。
一方で、求められていた記憶の統合が実現することはなかった。クローンの脳で何度か実験が行われたが、その日の記憶が失われたり、幻覚のような記憶が残ったりするのはまだいいほうで、目を覚まさなくなることも多かった。
記憶の同期は、初期には専用施設で行われていたが、コストが下がるにつれ、個人個人が一台ずつ同期用のヘッドギアを所有するようになっていった。
* * *
次の日の朝。ジェームズは、昨日の伐採事故の記憶とともに目を覚ました。どちらの記憶が選ばれるかは五〇%ずつの確率であり、事故の翌日も例外ではなかった。
ジェームズは昨日のことを回想する。倒れてくる木、よけきれず挟まれた右脚から流れる血。思わず右脚を確認する。右脚は魔法のように治っていた——いや、治っていたように感じた。この体の右脚はずっとそのままそこにあったのだ。
「昨日は大変だったな」と隣のベッドの体に声をかけて、反応がないことに気がつく。右脚を失ったほうの一体は、記憶をもう一体に引き継いだ後、接続された機械から注入された薬物によって鎮静下に置かれていた。
そうか、そういえば残さないと決めたんだった。
普段は肉体の違いを意識するのは体の疲れ程度だったが、その日に限っては、前日確かに自分がその肉体に宿っていたという証拠が、右脚の不在という形ではっきりと示されている。今回が初めてというわけではなかったが、それでもジェームズは落ち着かない気分になった。
玄関のチャイムが鳴った。
「肉体回収サービスです」
健康なジェームズは、彼らを鎮静下にあるジェームズのところに案内する。
「では、後はこちらで処理しますので」
スタッフは慣れた手つきで右脚のないジェームズの体に注射をする。数分後に肉体が機能停止する。スタッフはそれを確認し、担架に乗せ、外に運び出す。
健康なジェームズは、空になったベッドを眺めながら、その後三か月の一体生活を思い浮かべる。これから三か月はずっとオフィスか。彼は、半分ほっとしたような、半分うんざりしたような気分になる。伐採の仕事は、体はしんどいけど、いい気分転換になっていたんだけどな。
* * *
完全同期が行われていた最初期の同期は、本体からクローンへの一方通行だった。同期後、本体と同じ意識で目が覚めたクローンは、自分がクローンであることを時間をかけて受け入れていった。
しかし、毎晩の差分同期が一般化すると、クローンは同期による上書きを拒むようになった。朝、本人としての意識を持って目を覚ましたクローンが、夜までの間にその意識を変えることは難しかった。いくらかのトラブルがあったのち、差分同期の送信側と受信側は、肉体がオリジナルであるかクローンであるかを問わず、ヘッドギアがそれぞれ五〇%の確率でランダムで選択することになった。
それを使う人たちは、最初は大きな抵抗を示した。
「どうして、本体の俺が、五〇%の確率で上書きされないといけないんだ」
しかし、それはクローンも思っていることだった。
ランダム同期が導入された最初の夜の、ある独身男性のアパート。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そう挨拶を交わしながら、二体はお互いを好意のこもらない目で見る。明日起きるのは、こいつじゃないだろうな。俺の意識が失われるなんてまっぴらだ。
「自分」が失われる恐怖に苛まれながらも、睡眠導入剤によってもたらされる眠気には勝てず、眠りにつく。
朝、目を覚ます。前日の夜の恐怖の記憶が生々しく残っている。辺りを、そして体を見る。体を動かしてみる。
選ばれたんだ。彼の心は安堵に包まれる。
やがて、隣のベッドでもう一体が目を覚ます。彼も、辺りを見回し、体に目を向け、手を握ったり開いたりしている。お互いにもう一体を見つめ、起こったことを把握する。
「生き残ったな」
「ああ」
二体とも、生き残った側の記憶を引き継いでいる。前日の夜、「明日起きるのはこいつなんじゃないか」と思いながら見ていた「こいつ」は、もういないのだ。
一か月後。
恐怖とそれに続く安堵を繰り返すうちに、彼はそれが、負けることのない賭けだと気がついた。自分は現に、三十回も機械に選ばれてきたじゃないか。
そして夜、ライトを消し、二体は親しみを込めて挨拶する。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
心配することはない。明日の朝目を覚ますのは俺なんだから。二体とも、そう思いながら眠りにつくのだった。
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