二体文明

@hiroshima_pot

第一部

第1話

 朝七時。アラームの音でジェームズは目を覚ました。体が筋肉痛だ。昨日の伐採の仕事はきつかったからな。今日はオフィスだといいが。

 彼は腕時計を見る。青いケースの腕時計だ。「7:00」という時刻の横に、赤い丸が点灯している。今日もまた伐採か。ジェームズはため息をつく。

 そしてまもなく、もう一体のジェームズも目を覚ます。赤いケースの腕時計と画面の赤い丸を確認して言う。「やった、今日はオフィスか」

「昨日はきつかったもんな」伐採のジェームズは彼に声をかける。

「ああ、こっちまで筋肉痛な気がしてくるよ」

「そっちの体は楽してたくせに」


                * * *


 この時代の人類は、それぞれの人格ごとに、二つの体を持つという生活をしていた。二つの体は、朝起きたときは、同じ記憶を共有している。日中はそれぞれの職場に通い、夜になると同じ家に帰ってくる。夜ごとに一体がランダムに送信元として選ばれ、その記憶が受信側の脳に書き込まれる。そして次の朝、二体は再び同じ記憶を持って目を覚ます。

 二体はそれぞれ、赤・青のケースの腕時計をつけていて、それによって識別が可能になっている。腕時計には、時刻情報とともに、サーバーから「その日の色」が配信される。赤か青か、それぞれ五〇%の確率だ。ケースの色とその日の色が一致するかどうかで職場を決める。肉体の負荷の偏りを避けるための仕組みだ。

 色が一致したほうが本人の好みの職場に行くと決めている人が多い。一致したほうがラッキーということで、覚えやすいからだ。


                * * *


 ローラは先に起きていた。一体は朝食の準備をしていて、もう一体は座ってネットのニュースをチェックしている。

「おはよう、ローラ」

「おはよう、ジェームズ」

 二人、合計四体は挨拶する。子供たちはまだ起きてこない。

「ジェームズ、子供たちを起こして」

「ああ」

 オフィスのジェームズは下のベンジャミンを、伐採のジェームズは上のソフィアを起こしに行く。ソフィアは寝起きが悪いので伐採のジェームズはすでに気が重かった。


 彼女の部屋で、ジェームズは言う。

「おい、起きろ。早く起きないと、いつものをやるぞ」

 ソフィアは返事をしない。

 今日は特に寝起きが悪いな。無理に起こさずにもう一体が来るのを待つことにするか。

「ほら、来たぞ」

 ベンを起こし終えたジェームズが来る。ジェームズは、一体はソフィアの両腕をつかみ、もう一体は両脚をつかむ。どちらがどちらと決めることもなく、自然に役割分担が行われる。

「やめてよ〜」

 毎朝のことだ。ジェームズはじたばた暴れるソフィアを容赦なくベッドから持ち上げ、脚を床につけさせ、立たせる。脚をつかんでいたジェームズは先にダイニングに戻り、腕をつかんでいたジェームズはまだ夢遊病者のようにふらふら立っているソフィアをトイレのほうに向かって軽く押す。やれやれ、一体時代の親はこういう子供をどうやって起こしていたんだろう?


                * * *


 ジェームズが生まれる何世代も前のこと。並外れた学習能力を持つ一人の子供が研究機関の注目を集めた。検査の結果、その子供の遺伝子に特異な変異が見つかった。脳の発達、特に前頭葉の成長を促進するものだった。

 その時代はすでに、体外受精が主流になっていた。遺伝子編集技術も発展していたが、それは遺伝病を防ぐ目的に限られていた。だが、例の遺伝子変異の発見から間もなく、ある噂が広がり始めた。体外受精の際に、その遺伝子を組み込んでくれるクリニックがあるらしい、と。

 数年後、他の子供たちと比べて目に見えて賢い子供たちが幼稚園、そして小学校に現れ始めた。その親たちはもちろん、それが何のおかげかを知っていた。


                * * *


 二体のジェームズと二体のローラはそれぞれの職場に出勤する。伐採のジェームズが子供たちをスクールバスのピックアップ場所まで連れて行く。

 ローラの仕事は高校教師と電気工事士だ。ドアを出てすぐ、それぞれ別の方向に向かう。

「じゃあまた夜にね」

「うん、またね」


 高校の職員室に着くと、ローラは自販機に腕時計をタッチし、カプチーノのボタンを押す。高校の日の習慣だ。

 三十秒ぐらい経ってカップが出てくる。口に運んで一口すすり、その瞬間に顔をしかめる。カップの中には黒い液体が少量だけ入っている。

「あら、またやったの」隣の席のエミリーが声をかけてくる。「昨日はこっちじゃなかったのね」

「うん、そうだけど」

「昨日も完全に同じ顔をしてたわよ」エミリーはくすくす笑う。「牛乳切れ。来週までには直るって」

「そうなんだ。昨日の夜、言ってくれなかったな」

 ローラは前日の夜に聞いたブリーフィングを思い出す。聞いたのは、授業の進度や期末試験の作成状況などについてだけだった。自販機のことは話に出なかった。

「そういうことは、ブリーフィングより、紙に書いておくのがおすすめよ」

「そうみたいね」

 ローラは「自販機牛乳切れ 来週復旧」と書いた紙をデスクに置き、自販機に紅茶を買いに行く。


                * * *


 その遺伝子組み込みは、最初はこっそりと、のちには大っぴらに行われるようになった。自分の子供に、生まれながらにして知性で勝てない運命を負わせたい親はいない。

 生命倫理学者たちは口を揃えてその状況に警鐘を鳴らした。しかし、それが親たちの決断を変えることはなかった。

 その子供たちが成人してしばらく経って、奇妙な病気が報告されるようになった。最初は軽いふらつきから始まり、数時間後には昏睡状態に陥る。そして、二十四時間以内に死に至るのだった。

 その病気の原因特定には多少の時間がかかった。例の遺伝子組み込みとの関連が判明したころには、二十歳以下の人口の九九%以上がその遺伝子を保有していた。


                * * *


 その日の夜、ローラの就寝前ブリーフィングの時間。二体はそれぞれのベッドに座っている。

「じゃあ、私からね」

 電気工事士のローラが言う。電気工事士から話すのがローラの習慣だ。彼女は自分のタブレットのメモを見ながら話す。もちろん、教師のローラ側のタブレットにも同期されている。

「以上。質問ある?」

「大丈夫」

「そうそう、今日の会話ログの中の雑談のところ読んでおいてね。ボスは自分が話したことを相手が覚えてないと不機嫌になるから。今日、お子さんの野球チームが優勝したことを覚えてなくて嫌味を言われたんだ」

「あんまり興味ないけど、しょうがないね。読んでおくよ」

「高校のみんなは、こっちが覚えてないと何回も話すのにね」

「そうそう。エミリーの陶芸作品が入賞した話、もう五回は聞いたよ」

「こっちが聞いてないかもしれないというのを言い訳にしてるよね」

 そして、今度は高校教師のローラがブリーフィングを行う。授業内容や小テストなどについて伝え終わった後、メモに「自販機 牛乳」と書いてあることに気づく。思い出した。念のためメモにも書いておいたんだった。

「そうそう、自販機の牛乳が切れてるから気をつけてね。知らなくてカプチーノのボタン押してエミリーに笑われちゃった」

「わかった」


 ブリーフィングが終わると、彼女たちはそれぞれのベッドで、睡眠導入剤によって眠りにつく。状態が安定すると、専用のヘッドギアによって記憶の同期が始まる。同期とは言っても、二体の記憶が統合されるわけではない。どちらが送信側になるか、二体それぞれ五〇%の確率で選ばれ、受信側のその日の記憶は送信側のものによって上書きされる。

 前日選ばれたのは電気工事士の記憶だったが、その日は高校教師の記憶が選ばれた。赤いケースの腕時計だ。二体の脳のシナプスの差分が取られ、青いケースの腕時計のローラの脳は、数時間をかけて、赤いケースの腕時計のローラの脳と同じ配列に組み替えられていく。

 翌日のローラは、カプチーノのボタンを押すことはないだろう。

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