第2話 明日から本気出す

「詩織ちゃん、今日この後空いてる?」


「えっ、急に何ですか先生」


「いや、忙しいならいいんだ。ただ、少し飲みに行きたくてな・・・」


「そうですか。たまには付き合いますよ。他に誰か呼びますか?」


「まかせる。俺は着替えてくるわ」


 急な誘いなのに付き合ってくれることに嬉しさを覚えつつ着替えに向かう。だが、頭の中ではさっきの少女のことが駆け巡る。


 拳に力が入る。拳をロッカーにたたきつける寸前で止まる。物にあたっても無意味なだけである。下手したらケガをする。医者が病院内でケガをするなんて笑いものだ。


 我に返った祥太郎は詩織ちゃんを待たせてはいけないと思い、素早く着替えて更衣室を出る。更衣室を出ると詩織ちゃんが前で待っていた。


「先生遅いですよ」


「すまん、考え事をしてて遅くなった」


「で、どこに連れて行ってくれるんですか?もちろん先生のおごりですよね♪」


 ニコニコしている詩織ちゃんを見て、行くところ全く決めて無かったことを思い出し少し焦りながら行き先を考える。


「詩織ちゃん、焼き鳥とか好きか?」


「焼き鳥ですか?好き・・・だと思います」


 歯切れが悪い。気を使ってくれているのだろう。若い女の子相手に焼き鳥は無かったかなと思うも、行きつけが焼き鳥屋しかないので仕方ない。


「すまんな」


 一言伝えて歩き出す。


「まぁ、先生におしゃれなお店とか期待してませんよ」


 期待してないとは言いつつもニコニコしながら付いてきてくれる詩織ちゃんに少し救われた気持ちになった。


 店の前に着き、店の扉を開け、のれんをくぐる。厨房で厳つい顔をしながら焼き鳥を焼く大将の姿があった。


「大将、二人いけるかい?」


「しょうちゃん、今日は二人かい。個室が開いてるよ」


「ありがとう」


 店員に案内されて個室に入る。賑やかなホールと違って個室は静かだった。席に着くとすぐに店員さんがお冷とおしぼりを用意してくれる。


「オーダーが決まり次第こちらのボタンでお呼びください」


 そう言うと店員さんは個室から出て行ってしまった。


「詩織ちゃんは何飲む?」


「私は烏龍ハイを。食べ物はおまかせしてもいいですか?」


「了解」


 ボタンを押して店員さんを呼ぶ。自分はビールを注文して、料理は適当にいろいろ頼んだ。飲み物はすぐに届いて乾杯する。


「で、先生。私を誘った理由を聞いても?」


「いや特にあるわけじゃない、今日は一人で飲むのが寂しかっただけだ」


「そうですか、誰でも良かったんですね」


 膨れている詩織ちゃんを見て、言葉選びをミスったなぁと少し反省する。


「すまんすまん、そういうわけじゃなかったんだが」


「冗談ですよ。先生が何か悩んでるのが分かったので少しからかっただけです。現に、あんまりいろんな人に聞かれたくないと思って誰も誘ってません」


「ありがとう」


 詩織ちゃんは俺がだらしないせいかよく怒るが、根はやさしく、気が利く女の子である。今も、気を使って明るく接してくれているのだろう。


「で、先生は私に悩みを話すべきです。奢ってくれるのですから、それくらいはやります」


「わかったよ。話すからあんまりいじめないでくれ」


「いじめてませんが」


「病棟に有理紗ちゃんっているだろ?」


「あの白血病の子ですか・・・」


「そう、その子だよ。今日回診で初めて話したんだ」


「有理紗ちゃんはなんと?」


「あなたは私を治せるのかと聞かれたよ、その問いに俺は何も答えることが出来なかった」


「そうですか」


「嘘でも治せるって言うべきだったのか、何と答えるのが正解なのかわからない」


 俺は正直に胸の内をさらけ出した。


「私は医者ではないので先生の気持ちを完全に理解することは出来ないかもしれません。ですが私も医療関係者です。目の前で救えなくて亡くなった人もたくさんいました。それでもいつも全力で仕事をしてます。先生だって普段だらしないですけど、患者さんを救いたくて医者をやってるんじゃないんですか?」


「分からない」


 分からないのだ。祥太郎は医者になる道以外無かった。開業医の父とそれをサポートする母。小さい頃から医者になるために生きてきた。そこに自分の意志など存在しなかった。ただ親に言われるがまま医者になった。


「分からないのですか?」


「分からない、何のために医者をやってるのか分からない」


「嘘です。分からない人は救えない患者を思ってそんな悲しい顔は出来ません」


 患者を救いたい気持ちはある。今まで救えなかった患者は何人もいる。


「先生。有理紗ちゃんはまだ懸命に生きています。医者が諦めるにはまだ早いのではないでしょうか。私も頑張りますので、もう少しだけ足搔いてみませんか?」


 そうだ、諦めるのはもう少し後でもいい。後輩の看護師にここまで言われたのだ。医者たる自分が諦めるのはおかしい。


「分かった。ありがとう。もう少しだけ頑張ってみるよ」


「そうです。では今日パチンコ行ってて遅刻した件は目を瞑りましょう」


 !?


「なぜそれを・・・?」


「佐々木さんが夕方来られましたよ」


 目の前の天使がニコッと笑う


「あのジジィ・・・」


「先生。次は無いですからね」


 天使の笑顔の瞳の奥に鬼が見えた。


「はい、気を付けます・・・」


「先生の悩みは以上ですか?」


「まぁ、いろんな悩みはあるけれど、今一番の悩みは話せたかな」


「そうですか」


 後輩に、それも異性に悩みを聞いてもらうという、男としてはとても情けない状況にはなったが、胸のつかえがとれたような、少しほっとした気持ちにはなれた。


「あぁ、ありがとう。詩織ちゃんは何か悩みとかはないのか?」


「ダメ医者を働かせる方法が無いか悩んでいます」


 間違いなく祥太郎の事である。


「あー、それな・・・」


 言葉に詰まる。


「冗談です。そんな方法があれば今頃先生はスーパードクターになっています」


「はは、は・・・」


「先生は能力は高いんですからやる気を出せばちゃんと評価されると思います」


「やる気・・・ねぇ・・・無いわけじゃないんだけど」


 実際無いわけではないが、モチベーションが非常に高いわけでもない。


「救える命は救いたいし、苦しみを和らげてあげたいんだけど、それ以上の目標が無いからなのかもしれないなぁ」


「そうですか。いつか先生が本気を出す時を楽しみにしていますね」


 本気。最後に本気を出したのはいつだろうか。祥太郎の座右の銘は『明日から本気出す』である。有理紗を助けるのであれば明日からでは遅いのかもしれない。今、本気を出さないと間に合わないのかもしれない。であれば・・・


「こんなことしてる場合じゃないな」


「どうしたんですか先生?」


 不思議そうな顔をしながら詩織ちゃんがこちらを見ている。


「いやなに、俺の座右の銘が明日から本気出すなんだけど、有理紗を救うには今から本気出さないとなって思ってな」


「そうですか。ではそろそろ明日に備えて帰りましょうか」


 少し嬉しそうな顔をしながら詩織ちゃんは帰り支度を始めている。


「そういや詩織ちゃんは何で俺を嫌わないんだ?看護師連中みんな俺の事嫌いだろう」


 ずっと聞こうと思って聞けなかったことを聞いてみる。


「えっ、そ、それは秘密です」


「そ、そうか、すまん」


 詩織ちゃんがとても恥ずかしそうに答えるので、つい謝ってしまった。これに関しては祥太郎は悪くないはずである。


「早く帰りますよ」


「お、おう」


 会計を済ませて店を出ようとすると大将がニヤニヤしながら近づいてくる。とても嫌な予感がした。


「しょうちゃんや、めっちゃ可愛い子連れてるじゃねーか。隅に置けないなこの野郎」


「ただの同僚だよ。あんたが思うような関係じゃねーよ」


「なるほどな、これからそういう関係になるんだな」


 なにがなるほどだ。何にもわかってない大将にいろいろ言いたいが、外で詩織ちゃんが待っているので適当に答えて店を出る。


「先生、ごちそうさまでした」


「おう、こちらこそありがとう」


 詩織ちゃんを駅まで送り、明日のため、祥太郎も帰路についたのだった。

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