第2話 噂は瞬く間に
初配信から一夜明けた朝。
矢代秀は、いつものようにコーヒーを淹れながらスマホを開いた。
そして――画面を二度見した。
「……は?」
通知が、画面を埋め尽くしていた。
チャンネル登録:12,847人。
Twitter(X)のフォロワー:8,392人。
リプライ:2,104件。
「ちょ、待て待て」
秀は慌ててTwitterのタイムラインを開く。
『【速報】伝説のプレイヤー矢代秀、VTuberとして復活か』
『神崎灯とかいう新人VTuber、プレイが矢代秀と完全一致してる件』
『EQO低レベルRTA世界記録、3年ぶりに更新される』
『まとめ:神崎灯=矢代秀説の根拠一覧』
タグ「#神崎灯」がトレンド入りしている。
秀は頭を抱えた。
「隠す気満々だったんだけどな……」
まあ、考えてみれば当然だ。
三年のブランクがあるとはいえ、プレイスタイルまで変えられるわけがない。
ゲーマー界隈の人間なら、すぐに気づくだろう。
「どうする……今から否定するか?」
だが、スマホの画面に目を落とした瞬間――秀は思わず笑ってしまった。
チャット欄のログが残っていた。
『このプレイ見れただけで今日生きた価値あった』
『久々にゲームの面白さ思い出したわ』
『まだまだ引退するには早かったんじゃね?』
『次の配信いつ?待ってるぞ』
純粋な、感動と興奮に満ちた言葉たち。
秀は、小さく息を吐いた。
「……まあ、いいか」
隠すつもりだったが、バレたならバレたで構わない。
どうせ自分のペースでやるつもりだったのだ。
秀は配信ソフトを立ち上げた。
---
『おはようございます、神崎灯です』
昼の12時。予告なしのゲリラ配信。
それでも、開始3分で同接は500人を超えていた。
「えー、昨日は予想以上に盛り上がってしまって……ありがとうございました」
チャット欄が流れる。
『きたああああああ』
『待ってた!』
『昨日のアーカイブ10回見た』
『で、矢代秀なの?』
最後のコメントに、秀は少しだけ考えた。
そして――あっさりと言った。
「まあ、隠すつもりだったんですけど……バレちゃいましたね。はい、矢代秀です」
チャット欄が爆発した。
『やっぱりかああああああああ』
『本人確認取れた!!!』
『伝説の帰還』
『うおおおおおお』
『Twitterで答え合わせしてくる』
同接:1,238人。
「でも、別に大々的に復帰するつもりはなくて。ただ、気楽にゲームを楽しみたいなって。だから、過度な期待はしないでください」
『いや期待しかない』
『矢代秀が配信してる時点でヤバい』
『気楽にやるって言いながら世界記録更新するのやめろ』
秀は苦笑しながら、ゲーム画面を開いた。
「今日は、リクエストに応えようかなと。昨日のコメントで一番多かったのが……」
画面に表示されたのは『ダークソウル』のタイトル画面。
「『ダークソウル縛りプレイ』ですね。何か面白い縛りあります?」
チャット欄が活気づく。
『武器なしクリア』
『ノーダメージ』
『レベル1縛り』
『目隠しプレイ』
「目隠しは無理です。さすがに」
秀は笑いながらコメントを読み進める。
そして、ひとつのコメントで手を止めた。
『全ボスノーダメージ、レベル1、初期装備のみ、アイテム使用禁止』
「……おお、ハードコアですね」
『いやそれ人間には無理だろ』
『RTA世界王者でも成功率3割くらいのやつ』
『さすがにそれは……』
秀は、少しだけ考えた。
そして――にやりと笑った。
「面白そうじゃないですか。やりましょう」
『マジか』
『本気?』
『いや待て、これガチで難易度おかしいぞ』
『配信事故になる未来しか見えない』
「まあ、失敗したら失敗したで。リハビリですし」
秀は軽い口調で言うが、その指は既にコントローラーを握っている。
ゲームスタート。
---
2半時間後。
チャット欄は、完全に静まり返っていた。
画面には、最終ボスの討伐シーンが映っている。
ノーダメージ。
レベル1。
初期装備のみ。
アイテム使用なし。
「はい、クリア。タイムは……2時間32分か。もうちょっと詰められそうですね」
沈黙。
そして――
『は?』
『人間やめてるだろこいつ』
『2時間32分で全ボスノーダメージ!?』
『いや、どう考えてもおかしい』
『化け物だ……』
『これが世界1位か……』
同接:4,721人。
秀は、画面の向こうで騒ぐ視聴者たちを見ながら――久しぶりに、心から楽しいと思った。
「次は何やりましょうか。また縛りプレイ系がいいですか?それとも別ゲー?」
チャット欄が活発に動く。
『ホラゲーやってほしい』
『FPSは?』
『格ゲーも見たい』
『音ゲーできる?』
「うーん、じゃあ次回は音ゲーでもやろうかな。久々にやるけど」
そう言いながら、秀はふと気づいた。
チャット欄に、見慣れた名前が流れていることに。
『[プロゲーミングチームΩ]カザマ:初めまして。Ωのマネージャーです。よろしければDMで一度お話しできませんか?』
『[VTuber事務所StarlightPro]採用担当:神崎灯さん、所属のご相談をさせていただけないでしょうか』
『[大手ゲームメディアGameWave]編集長:取材させてください!』
秀は、画面を見つめたまま――静かに笑った。
「あー……やっぱり、こうなるよな」
---
配信終了後。
秀はDMを開き、溜息をついた。
プロチームからのスカウト:15件。
VTuber事務所からの勧誘:8件。
メディアからの取材依頼:22件。
コラボ依頼:34件。
「……全部、断ろう」
秀は迷わずそう決めた。
自分が求めているのは、こういう華やかな世界ではない。
ただ純粋に、ゲームを楽しみたいだけなのだ。
だが――
ふと、ひとつのDMに目が留まった。
『差出人:白雪リノ(VTuber)』
白雪リノ。登録者数150万人を誇る、大手VTuber事務所所属のトップクラス配信者。
『神崎灯さん、初めまして!昨日の配信見ました!すごすぎてびっくりしました!よかったら今度一緒にゲームしませんか?私、EQOやってるんです!』
秀は、少しだけ考えた。
事務所からの勧誘は断るつもりだが……個人的なコラボなら、悪くない。
「まあ、気が向いたらでいいか」
秀は返信せず、スマホを置いた。
そして、窓の外を見上げる。
三年ぶりに感じる、ゲームの楽しさ。
視聴者たちの熱い反応。
そして――久々に感じる、高揚感。
「やっぱり、ゲームは楽しいな」
矢代秀の、新たな日々が始まろうとしていた。
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