第2章

俺はかつて父がオーナーを務めていたメイド喫茶だった場所で、しばらく動物たちと一緒に暮らすことに……なんてことはできるはずもなく、シロたちと別れ近くに予約をしていたホテルで一泊した。

結局手紙の差出人はわからなかったし、ただのイタズラだったのかもしれない。

朝になったら家に帰ろうか……そんな考えもよぎった。

けれど……。

ーーしばらく、ここにいてください。

シロの声が頭から離れず、翌日も空きテナントへと足を運んでしまっていた。

「おかえりなさいっ、隆之様」

「ただいま」

俺は出迎えたシロを、じっくり凝視した。

「なんですかー? そんなに見つめられると、恥ずかしいですっ」

「いや……やっぱり、どっからどう見ても人間だなぁと思って」

「ええええっ!? 違いますよー! 俺は正真正銘、ワンコですよー?」

「うーん……そう言われてもなぁ」

「あっ、そうだ! いいことを考えました。きーちゃんみたいに他の人に、俺を見て貰えばいいのでは!?」

「ど、どうやって? もう爬虫類カフェの店長と関わるのは嫌だぞ」

「それなら隆之様、俺を散歩に連れてってくださいよー。それで、歩いてる人に人間に見えるかワンコに見えるのか、聞いてみればいいじゃないですかっ! 」

「散歩……?」

シロとの散歩を思い浮かべた。

四つん這いの執事に首輪とリードをつけて、歩かせる……。

ダメだ、アブノーマルすぎる。

もしも周りには、ちゃんとシロが犬に見えていたとしても、俺自身がおかしくなりそうな気がする。……ダメだダメだ。

「その首の振り方、ワンコみたいですね♪」

「そ、そうか……ははは……」

俺の不潔な妄想など露知らず、無邪気に笑うシロに対して、ただただ申し訳なく思うのだった。

「と、ところでさ、インコや猫は自分達で狩りをしているみたいだけど……シロも餌を自分で獲りにいっているのか?」

話題を変えたかった俺は、素朴な疑問を投げつけてみた。

「そうだっ、そろそろご飯の時間でしたっ!」

ふんふんと鼻息を荒くして、シロはぴゅーっと部屋の隅に駆けていった。

「わん? ……ここじゃない、ここでもないー……」

そして突然積み上がった段ボールを投げ飛ばしていったかと思うと……。

「あっ、あった!」

さらが掻き分けたところに、ふたつのくすんだ透明のケースが現れた。

一方のケースにはドッグフード、もうひとつには水。

ケースの下にはそれぞれ受け皿が設置されており、受け皿はフードと水で満ちていた。

どうやらそれは時間になると、自動的にフードと水がセットされる、自動給餌機のようだった。

「いっただきまーすっ!」

シロは床に伏し、フードにがっつく。

よほどお腹が空いていたのか、勢い余ってフードが床に散らかっていた。

よく見ると床はフードまみれだ……。

「あのー……お食事中に悪いんだけど……」

「ん?」

頬張ったフードで頬をパンパンにしたまま、シロが俺の方を振り返った。

「その餌と水、誰がセットしてるんだ?」

「んっ、ぐ……それが、わからないんですよねぇ。残りが半分くらいになったら、次の日にはちゃんといっぱいになってて……もしかして、こっそりご主人様が……って、思ってたんですけど……でも、ご主人様は……」

言いながらさらは俯きがちになり、どんどん落ち込んでいった。

いまにも泣き出しそうだ……まずいことを思い出させてしまった。

「そ、そっか。きっと親切な人がいるんだなっ。うん、ごめん、食事の続きをどうぞ!」

「はい、誰なのかわかりませんが、親切な人がいるみたいです♪」

再び笑顔が戻ったシロは、食事を再開した。

不思議だ……誰が餌やりのためだけに、ここへ?

いっそ引き取って世話したほうが楽なんじゃないのか?

引き取ることのできない、理由でもあるのか。

もしかすると、手紙を出したのも……。

ガサガサッ

重なった段ボールが微かに揺れた。

風……だろうか。

床には散らばったドッグフード。

何だろう……とても嫌な予感がする。

「あのさー……シロ。もう少し落ち着いて食べたほうがいいんじゃないか?」

「んふ? なんででふか?」

「喉に詰まるといけないし、食べこぼすとさ……ほ、訪問者が来るかもしれないだろ?」

「ほーもんしゃ?」

ガサッ、ガササッ!

今度はさっきよりももっと、大きく揺れた。

「ひいっ!?」

確実に、何か、いる。

俺は履いていた靴を脱いで手に持ち、構えた。

ガサッ!

「うわぁぁぁぁぁぁ……あ?」

段ボールを跳ね除けて現れたのは、小柄な少女だった。

ショートボブに、あほ毛が2本立っている。

そして例の如く、彼女もメイド服姿だった。

「あっ、しゅーちゃん!」

いつの間にかドッグフードを食べ終わっていたさらは、口の周りにフードをつけたまま、少女を指さし叫んだ。

「しゅー、ちゃん?」

「はいっ、しゅーって逃げちゃうので、しゅーちゃんです」

「この子も、ここで飼われてたペットなのか?」

「いえ、しゅーちゃんは、イソーローらしいです。ご主人様は何度か追い出そうとしてましたが、帰ってきちゃうんですよね。そうそう、しゅーって音の出る何かを向けていたこともありました……隆之様は大丈夫ですか?」

「何が?」

「ご主人様やメイドさんたちは、しゅーちゃんをとても怖がっていたんです……しゅーちゃんは、えーと、確か……」

しゅーちゃんはスクッ、と立ち上がると真っ直ぐ俺に向かって走ってきた。

「うわっ!?」

しかし俺にぶつかることなく、ギリギリのところで脇をすり抜けていくと、部屋の隅でピタッと立ち止まったのだった。

「えーと、えーと。しゅーちゃんってなんなんでしたっけ……確か、ゴキー……ゴキブ」

「わかった! わかったよ……それ以上は言わなくていい。名前を聞くのも嫌だ」

「そうですかー、隆之様も皆さんと同じことを言うんですね。少し、しゅーちゃんがかわいそうです……」

……うーん、わからん。

また俺は混乱してしまった。

どうやら動物、鳥類、爬虫類……それに加えて虫。

ここにいる生き物は人間に見えるようだ。

……しかし、ランが連れてきたムカデや蛇はそのままの姿で見えた。

ずっとここに住んでいるかどうかの違いだろうか。

それにしても……。

「あいつ……しゅーちゃんはずっと前からいたんだよな」

「はいっ、そうですよ」

「飲食店なのにヤツが出現するというのは、衛生面的に如何なものだろうか……ちゃんと掃除してなかったのか?」

「うー……掃除はご主人様がしてましたけどねぇ」

「えっ、兄貴が!? それこそ執事の仕事じゃないのか?」

「執事の仕事はおいしくなーれの魔法をかけるのと、お嬢様たちと写真を撮ること、でしょ」

さらはぱちん、とウインクすると、指でハートを作った。

愛らしいその姿に、どくん、と心臓が飛び跳ねる。

あぁ、こんな風にして執事たちは客を虜にするのか……ハマってしまうのも無理はない。

「あれ、隆之様、魔法にかかっちゃいましたか?」

「そ、そんなわけないだろ! 執事の本来の仕事は、ご主人様の業務サポートや家事代行、スケジュール管理なんじゃないのか!?」

「俺にそんなこと言われましても……」

まぁ、それもそうか……しかし。

「せめて業者を雇えばよかったのになぁ。……思い出したよ、何でも請負いすぎるのが、兄貴の悪い癖だった」

「うけおう?」

「頑張りすぎちゃうってことだよ」

つくづく腹が立つ。

思い浮かぶのはいつも、俺のことを第一に考え、働き、遊び、励まし、助けてくれる姿だった。

兄がいなくなってから、どんな感情よりも、俺はただただ寂しかった。

勝手に執事喫茶なんて始めやがって。

勝手に死にやがって。

ぴちゃ。

頬に生暖かく、濡れた何かが押しつけられた。

「わっ!?」

シロの顔が、ごく間近に迫っている。

頬を舐められたのだとわかった。

「あ、え……と。元気なさそうだな、と思って」

ぺろっと舌を出したまま、シロは悪戯っぽく笑った。

さらが犬に見えていればなんてこと無いんだろうが……嫌でも意識をしてしまい、俺はすぐに顔を背けて、シロから距離をとった。

「ごめんなさい……隆之様、怒ってますか?」

「別に怒ってるわけじゃ……」

シロが近づいてくるのがわかると、ますます顔が熱くなった。

何と答えるべきか考えあぐねていると、

ガサガサガサガサ!

突然ゴキ……しゅーちゃんが俺に突進してきた。

「うわあっ!?」

俺はすぐさま、しゅーちゃんに道を譲った。

更にもうひとつの影が、猛スピードで俺に近づいてくる。

きーちゃんだ。

「あー、ダメですよ! きーちゃん! しゅーちゃんを虐めないでください!」

シロに押さえつけられてもなお、きーちゃんは仰向けになってバタバタと暴れた。

「ぎいいいいいっ」

何かに取り憑かれたように、きーちゃんが叫んでいる。

俺はその光景を遠巻きに見ていることしかできなかった。

「きーちゃんやしゅーちゃんは、シロたちみたいに話はできないのか?」

「えっ、何ですって?」

きーちゃんともみくちゃになりながら、シロは聞き返してきた。

犬なので耳はいいはずなのに、それをかき消すほどの、きーちゃんの雄叫び……恐るべき。

「だーかーらー……」

もう一度尋ねようとしたが、シロときーちゃんは転がり店外まで出て行ってしまった。

後で聞くしかないかと、思ったそのとき。

「話、できる」

くいっ、と服を引っ張られ、振り返った。

すぐ後ろには、ぴょこんとアホ毛を揺らした、しゅーちゃんがいた。

「う、あ……」

俺は言葉を失った。

しかし実際はアレとはいえ、今俺の目に映っているのは、ちゃんと可愛らしい少女だ。

ぴょこぴょこ動く2本の毛は、実際には触覚なのだろうと考えると、気絶しそうなほど気持ち悪いが……。

黒目がちな目で小首を傾げ、覗き込まれると、邪険にできなくなってしまう。

「そ、そう。君は話ができるんだね」

「うん。何、話す?」

さらと比べて、しゅーちゃんの口調は片言だった。

それも昆虫所以か……そもそも虫とコミュニケーションが取れること自体に驚きなのだが。

「話さない?」

「あ、いや! 話す話す! えーと……君はなんでずっとここにいるの? ……何度も追い出されてるのに……」

「隆之、追い出したい?」

「い、いやいやいやいや、決してそういうわけじゃないけど! 叫ばれたり、嫌がられたり、時には死にかけたこともあっただろう。それなのに、なんでここに執着するのかなって、気になってさ」

しゅーちゃんに対してのみならず、全黒い悪魔たちに問いただしたい議題である。

俺の質問に対してしゅーちゃんは、ゆらゆらと頭を揺らして、んー、と考え込んだ。

「ここ、居心地いい。ご主人様、優しかった」

「は!?」

「たまに、残り物くれた」

もぐもぐと、しゅーちゃんは両手で食べるジェスチャーをした。

……親父よ、ゴキ……相手に何やってるんだ。

「何回か、追い出された。怖いことも、あった。でも。最後には、ご主人様、ここにいていい、言ってくれた」

ニコッとしゅーちゃんが微笑む。

つまり何度もしゅーちゃんを見かけるうちに、情が移ってしまって退治できなくなってしまったということか……。

何となくわかった。

ここで人間のメイドに見えるのは……恐らく、親父がかつてのメイドカフェで、暮らすことを認めた生き物なのだろう。

「隆之様としゅーちゃん、仲良しになってませんか?」

乱れたヘアースタイルで、シロが戻ってきた。

背中にはきーちゃんを乗せている。

きーちゃんは何だか全てを諦めた、ぼんやりとした目で虚空を見つめていた。

「いや、少し話していただけで……」

「なかよし」

しゅーちゃんはぴたっ、と俺に寄り添った。

アホ毛、もとい触覚が頬に触れ、鳥肌が立つ。

「わー、ずるいずるいですー! 俺も仲良しですよねっ」

ぎゅーっと、シロも体を寄せてくる。

きーちゃんはさらの肩越しに、じっと俺を見つめていた。

これはいわゆるハーレムなのか……?

まあ、側からみれば犬とヤモリと、ゴのつくアイツに囲まれた、かなり異様な光景だろうけど。

「やっぱり、似てますね……ご主人様に。においは違うけど……ご主人様がご主人様になってくれた日のこと、思い出します」

「ご主人様がご主人様になってから……って?」

シロは俺からぱっ、と離れると悲しげに微笑んだ。

「俺たち、元々みんな捨てられたペットなんです」

「えっ……ピィやリクも?」

「はい。アニマル執事喫茶は、新しいご主人様……里親、っていうんですかね? そういうのを探す場所でもあったんです。実際に何匹かは新しいご主人様を見つけて、ここを卒業していったんですよ」

ふと、兄が黒い子猫を拾った日のことを思い出した。

すぐに里親に出すことになったけど、兄は懸命に猫の世話をしていた。

あのとき俺はまだ子どもで、何の見返りもないのによくやるなと呆れたものだった。

「ふふっ」

「隆之様、どうして笑ってるんですか?」

「いや……シロは誰にも引き取ってもらえなかったんだなぁと思って」

「ひどーいっ! シロは看板ワンコなので、ずっとここにいていいって、ご主人様が言ってくれたんです!」

うーうーと唸りながら、シロは頭を俺にすり寄せた。

グラグラと頭を揺さぶられ、居心地が悪くなったのか、きーちゃんはシロの背中を蹴り上げて飛び上がっていってしまった。

「げふ!」

「おお……きーちゃん….み、店の外には出るなよー……」

きーちゃんは俺の言葉を理解しているのか、いないのか、天井に張り付いて長い髪を垂らしたまま、こちらを凝視していた。

彼がヤモリだと頭で理解していても、なかなか慣れない光景である……。

「ひとつ聞いていいか?」

シロは顔を上げた。

「はい?」

「シロは……新しい主人が欲しいとは思わないのか?」

「新しい、ご主人様……」

シロは繰り返し、目を閉じた。

くっきりと長いシロの睫毛に、自然と目が奪われる。

「私は……私にとってのご主人様はー……」

ガタンッ!

シロが言いかけたところで窓枠が鳴った。

「……あ」

彼女たちが帰ってきたのだと、すぐにわかった。

「……今日も収穫ゼロ」

窓枠にだらんと、体をもたげるリク。それを乗り越えて、ピィとちゅちゅが中に入ってきた。

「ただいまー♪」

笑顔で歌うように挨拶するピィとは対照的に、ちゅちゅは少し表情が暗い。

「もしかして、ごはん食べられなかったのですか?」

シロが駆け寄ると、ちゅちゅは弱弱しく首を横に振った。

「ぽっぽたちと、パン屑食べたから大丈夫……ご主人様は帰ってないんだね」

ちらり、とちゅちゅは俺の方を見る。明らかに落胆している……。

「うん……でも隆之様がきてくれたよ? 一緒に遊んでもらうんでしょ」

「そうだけど、隆之様は隆之様で、ご主人様じゃない」

「えっ、どうしたのーちゅちゅ。もしかして泣いちゃう? 泣いちゃう?」

ニヤニヤするピィに、ちゅちゅは無言で勢いよく頭突きをした。

「いたぁ!?」

涙目のピィを尻目に、ちゅちゅは続ける。

「本当にご主人様は帰ってくるのかなぁ……もう僕たちのこと忘れちゃった? 二度と、会えなかったら……どうしよう……」

「ちゅちゅ!」

小刻みに震えるちゅちゅを、シロは抱きしめた。

みるみるうちに、ちゅちゅの顔が赤くなっていく。

「よーしよーし」

シロはゆっくり、ちゅちゅの頭を撫でた。

「え、え、え……?」

「ちゅちゅはご主人様に撫でられるのが好きでしたよね。……ご主人様のこと思い出して寂しくなっちゃいましたか?」

「帰って……くるよね。シロ……」

ぎゅっ、とちゅちゅはシロの服を強く掴んだ。

「大丈夫です。大丈夫ですよー」

全部知っているはずなのに何故シロは、ちゅちゅに希望を持たせることを言うんだ?

ちゅちゅを落ち着かせるためとはいえ、あまりにも残酷な優しさのように感じた。

「やっぱり泣いてるー」

いつの間にやらピィが、ちゅちゅとさらの元へするりと近づいてきていた。

「な、泣いてないー」

はっ、としたちゅちゅは、慌てて身を捩ってさらから離れた。

「弱っている今なら、お前、食えそうだな」

にっ、と笑い、リクも近づいてくる。

「無理無理無理!」

走り逃げるちゅちゅを、リクが追いかける。

「いいないいなー、ぴぃもいれてー!」

追いかけっこにピィも加わり、いよいよ本格的に騒がしくなった。

バタバタバタバタバタバタ……。

「ははは……あの3人本当仲良いな」

「ねー♪」

何となく、幽霊の噂が出る理由がわかってきたような気がする……。

そうこうしているうちに、あっという間に日は落ちていった。そろそろホテルに戻らなければいけない。

結局今日も、手紙の差し出し人がだれなのか分からずじまいだった。

ゆっくりシロたちと接しながら調査したいところだが……3日の明日はもう家へ帰らなくてはならない。

ホテルに泊まるお金も尽きそうだし、バイトだってある。

現実を直視すると徐々に憂鬱な気持ちになっていくのだった。

「ねぇ、隆之様、明日も来てくれますよね?」

「あぁ、もちろん。また明日」

帰ることを言えないまま、俺はホテルへと戻った。


ーー隆之

ベッドの中で、どこか懐かしい声が聞こえた。

しかし、まだ眠っていたかった俺は聞こえないふりをして、頭まで布団を深く被った。

ーータカ

もう一度聞こえた声色に、はっとした。

俺をこう呼ぶのは……。

「兄貴!?」

叫びながら俺は飛び起きた。

あたりには誰もいない。

一瞬、ここは何処だったかと混乱したが、宿泊していたホテルだとすぐに気がついた。

目の前には、昨夜片付けるのが面倒で、脱いだままの衣類が雑然と散乱している。

「夢か……」

じっとりと背中が濡れていて冷たい。

嫌な予感がする……。

俺は手当たり次第に荷物を鞄へと詰め込むと、足早に部屋を後にして、ホテルを出た。

ホテルから車で、朝沼ビルまで5分ほどだ。

妙な胸騒ぎに急かされながら、俺はアクセルを踏んだ。

遠目にビルが見えてきた。

ビルの周りに何故か人だかりができている。

サイレンの音が遠くから聞こえた。

「そん、な……」

ビルの前に到着し、俺は愕然とした。

3階から煙が上がっている……。

「さら……!」

俺は車から降りると、人混みをかき分けてビルの中へと向かった。

階段まで煙が充満している。

俺は服の袖で鼻と口を塞ぎ、姿勢を低くしながら進んだ。

頼む、皆……無事でいてくれ……!

……タッタッタッタッ

「んーっ」

「シロっ!」

階段から駆け下りてきたシロと、俺は抱擁した。

シロは口に古びたノートを咥えている。

「他の皆は!?」

「……揃ってる」

きーちゃんを背負った、リクが現れた。まともに煙を浴びたのか、目は真っ赤で涙ぐんでいる。

「リク……無事で良かった」

「急ぐぞ、長くここにはいられない」

「あ、あぁ、わかった」

リクに促され、俺はビルから出た。

人だかりの注目が、一斉に集まってくる。

まだ消防隊は到着していないようだった。

「心配をおかけして、すみま……っ!?」

言いかけた俺の腕を、ぐいっ、とリクが引っ張った。

「な、何だよ」

「急げ!」

リクが怒声に近い声を上げる。

傍でピィとちゅちゅが心配そうに、リクを伺っていた。

「急げって、どこにいくんだよ……」

「いいから、どこか遠くに……頼む」

リクは泣いていた。

人だかりが、ざわめいている。

確かにここには、いてはいけないような気がした。

「わかった……こっちだ」

俺は再び人と人の間をかき分けて、車に向かった。

呼び止める声を、俺は聞こえないふりをした。

後部座席にリク、ピィ、ちゅちゅ、そしてきーちゃんを押し込んだ。

きーちゃんはぴょん、と跳ね上がると、車の天井に張りつく。

いつのまにか助手席に、ちょこんとシロが座っていた。

「ここよりもずっと遠くへ……だな」

いつの間にかビルの前に消防隊が到着し、消火活動が始まった。

人だかりの興味はすっかり、そっちに向かっていた。

あてもなく車を走らせ、どんどんビルが遠ざかるのを、俺はミラー越しに見た。

本当にこのまま、走り続けてもいいのだろうか。

シロたちは無事だったのになぜか、心はざわめいたままだった。

そんな気持ちに蓋をするように、俺はどんどん車を走らせる。

次第に都会からは離れ、あたりには点々とコンビニがあるくらいで、ほとんどが畑だった。

知らない場所は不安だったが、カーナビを使えばいつでも戻ることはできる。

大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせた。

そして車を走らせていて、ふと違和感を感じた。

喉の奥に小骨が刺さったような、ちょっとした違和感だ。

信号に引っかかり、じっくり思案していると、突然それが何だったのか思い出した。

「……あ」

「どうかしましたか、隆之様?」

「あーーーーーっ!?」

「隆之うるさー」

「いやいやいや、ひとり足りないじゃん!?」

「えっ?」

「しゅーちゃんは!?」

「あ」

しん、と車内が静まり返った。

さぁ、っとシロの顔が青ざめる。

「お……置いてきちゃいました」

「……マジか」

……引き返すべきだろうか。

けれども引き返せば今度こそ、野次馬や救急隊員から足止めを食らってしまいそうだ。

「……あいつなら、中にはいないはずだ」

後部座席からリクがぽつりと呟いた。

「そうなのか?」

「うん、多分、だけど……今朝、店から出ていくのを見た。だからまだ、外にいると思うから……大丈夫」

大丈夫、という割には、浮かない声色だ。

「なんだぁ。そうだったんですか……良かったぁ」

シロは胸を撫で下ろしたが、すぐにはっ、と息をのんだ。

「迎えに行ったほうがいいですよね、隆之様」

「そうだな……」

迎えにいきたいのは山々だが、ひとだかりのあるあの状況でしゅーちゅんを見つけられるかどうか、自信がない。

いや、それどころか突然しゅーちゃんが出てくれば、人々は余計にパニックに陥ってしまうかも……。

「もう少し落ち着いてから、迎えにいこう。俺もしゅーちゃんは大丈夫だと思う。ゴキ……は人類が滅亡しても生き残るって言われてるし。朝逃げていたのも、ちゃんと危険を察知したからなのかも」

「マジかー、それなら火事が起きるって教えといて欲しいよなー」

ピィはぷー、と頬を膨らませた。まぁまぁ、とちゅちゅが宥める。

とにかく俺たちは、一旦遠くへ行かないといけない。

遠くへ、遠くへ……誰にも見つからない場所へ。

……ん?

「あれ……そもそも俺たち何で逃げてるんだっけ……?」

「わぅ? 逃げてるんですか、隆之様?」

「あぁ……確か誰かが遠くへって……そうだ、リク!」

「あ?」

振り返ると、気だるげにリクが首を傾げた。

「お前、だよな……逃げろって言ったの。何でだ?」

前に向き直り、ミラーでリクを確認する。

リクは伏目がちにポツリと呟いた。

「……サイレンの音がしたから」

「サイレン?」

「サイレンは……ご主人様を連れて行った音だ。みんなが……バラバラになる」

微かにリクの目は潤んでいた。

ご主人様……兄を、連れて行ったサイレンの音。

あの音を聞いて、事件を思い出したのか。

サイレンは兄を乗せて、二度と戻ってこなかった。

そうかリクも、あの日の事件で心が傷ついたままなんだ。

「まあ、どちらにせよ、あそこには帰れないよなー」

「ええー……。俺たちどうすればいいんですか? お外は嫌ですー……」

ため息をつき、リクが肩をすくめる。

「そうだ、隆之様がお泊まりしているところに連れて行ってくれればいーじゃん!」

ぺしぺしと後部座席からシートを叩いて、催促してきたのはピィだ。

「あー、ホテルか……ペット可のところもあるんだろうけど」

犬、猫、インコにヤモリ……全てを受け入れてくれるところがあるだろうか。

そもそも金が無い。

狭い俺のアパートに詰め込むわけにもいかないし……しばらく、みんなで一緒に過ごせる場所はないだろうか。

……そうだ!

「こんなときこそ、キャンプだな!」

「キャンプ??」

シロが首を傾げる。

「外でお泊まりするんだよ」

「外で!? わぅぅぅ! 楽しそうですねー♪」

早速俺はカーナビでキャンプ場を探した。

思った通り、都会から離れたのもあり、すぐに見つけることができた。

キャンプ場に到着すると、俺はガラガラの駐車場に車を停めた。

車が停まるなり、リク、ピィ、ちゅちゅ、きーちゃんは外へ飛び出し、各々駆け回っていた。

「あんまり遠くに行くなよー」

一応俺は声がけをし、車を降りた。

傍にはぴったりとシロがくっついている……この距離感にも慣れてきた。

「んー、んー」

シロは口に咥えた何かを、俺に押し付けた。

それは、シロがビルから降りてきたときに咥えていたノートだった。

「俺にくれるのか?」

シロはこくこくと頷いた。

くっきりとさらの歯形がついたノートの表紙には、カラフルなマーカーで「アニマルメイドカフェの仲間」と書かれていた。

「隆之様、めくってください」

「あぁ」

スクラップブックは、アニマルメイドカフェで飼われているペットを紹介した冊子だった。

動物たちの写真には、それぞれ名前があった。

舌を出してイーッと大きく口を開けたゴールデンレトリバーの写真にはシロ。

両耳を尻尾をピンと立て、クールなたたずまいの黒猫の写真にはリク。

仲睦まじく並んだ青と黄のインコの写真には、ピィとちゅちゅ。

そして、たるんだ皮膚にデン、と大きなお腹、図体の割にはつぶらな瞳の大きなヤモリの写真には、きーちゃん。

それらは初めて見る、人間ではない彼女たちの姿だった。

「これは廉様が作ってくれたものなんです」

「廉?」

「とってもとっても人気者だった、執事です。……ご主人様がいなくなった日、廉様も怪我をしてしまって……それからお会いしていないんですけどね」

さらは懐かしそうに、目を細めた。

そうか。廉は刺された怪我をした執事か……。

写真を一枚一枚、指でなぞってみた。

「皆、幸せそうだな」

写真を見て、心の底から出てきた感想だった。

撮られた側も、そしておそらく、撮った側も。

きっと幸せだったはずだ。

「大切なものなので、無くしてしまわないよう、持ってきたのです。……隆之様、これを預かってもらえますか?」

「えっ、俺でいいのか?」

「はいっ、俺はわんこなので、持ち歩けないのです。だからっ、ぜひっ、隆之様にお願いしたいのです」

シロはウインクしながら、ペロッと舌を出した。

「わかった」

アニマルメイドカフェの思いが詰まった冊子は、ずっしりと重たかった。

その思いを受け止め、冊子をリュックサックの一番奥にしまったのだった。

「今度はしゅーちゃんも仲間に入れてあげないとな」

「……はっ!? 本当だ! しゅーちゃんの写真が一枚もない!」

「ゴキ……居候は普通、録らないもんな」

「隆之様、いつしゅーちゃんを探しに行きますか?」

「そうだなぁ。今すぐ火事場を漁ると妙に思われそうだし……もう少し落ち着いてからだな。それまでは……」

俺は車に積んだ荷物を探った。

年季は入っているだろうが、まだあれが使えるはずだ。

「あっ、あった」

すっかり土埃をかぶっていたが、目的の物はちゃんとトランクに積まれたままだった。

「何ですか? それ」

「テントだよ。一時期、ひとりキャンプに凝ってたんだ」

「てんと?」

「あぁ。これが家になるんだ」

「えええ!? どういうことですか?」

「まあ、見ればわかるよ。皆で使うには、ちょっと狭いかもしれないけど……まあ、少しの間なら大丈夫だろ……おーい、リク、ピィ、ちゅちゅ、きーちゃん」

声を掛けると、皆は揃って俺の方に戻ってきた。

俺はテントを担いだまま、キャンプができる開けた場所まで向かった。

日がかなり傾いてきている。

幸い平日ど真ん中でシーズンも外れているせいもあり、キャンプ場に人気はなく、貸し切り状態だった。

ズボラな俺でも使いやすい、投げるだけで開くことのテントを設置すると、殊の外シロが食いつき、目を輝かせた。

「すごいっ、すごいですーっ! 一瞬でお家ができちゃいました! 本当にお家だったんですね!? 隆之様、これは何の魔法ですかー!?」

「大袈裟だな……魔法なんかじゃないよ」

開いたテントに俺は倒れ込んだ。

「わー、俺もっ!」

隣にシロが並ぶ。

「楽しそうだな、シロ」

「楽しいですよっ、だって、みんなで外に一緒にお泊りですもんっ」

目を閉じるとテントの外で騒ぐリクたち声が、はっきりと聞こえた。

食べ物はどうしよう、いつしゅーちゃんを迎えに行こう、そもそも……もうあのビルには戻れないかもしれない。

そうなったら、シロたちをどうすればいいのだろう。

考えるべきこと、するべきことはたくさんあった。

しかし体はぐったりと疲れており、休息を欲している。

閉じた目を再び開く気力はなく、睡魔に身を任せて、俺は深く深く眠ってしまった。

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