夜半の対話

異端者

『夜半の対話』本文

 その肌は、一度も日の光を浴びたことがないような白さだった。

 不健康にすら思える肌色が、蛍光灯の下に浮かび上がっている。その白いうなじが「食欲」をそそる。

 その少女は、蛍光灯の下、椅子に座って本を読んでいた。

「いつまで、眺めているつもりですか?」

 彼女は、本から目を逸らさず言った。

「気付いていたのか?」

 私は驚きを隠せなかった。

 見つかることは覚悟していた。だが、見つかって相手がこうまで冷静で居られるとは、考えたこともなかった。

 私の姿を認めた者の多くは畏怖いふの目で私を見た。そのはずだった。……少なくとも、今までは。

「誰かが立っていることは、分かっていました。……で、泥棒ですか? それとも……」

 少女は本のページをめくりながら言った。

 特に興味もない。その様子がそう言っていた。

「違う! そんな下賤げせんな者と同じにするな! 私は『吸血鬼』だ!」

 どうしたものだろう。よわい三百を超える私がほんの十四、五歳程度の少女に動揺させられている。

「吸血鬼?」

 そこでようやく、彼女は私を見た。しおりを挟みながら、本を閉じる。

 黒いコートに身を包んだ私を、疑いの目で見る。

「品格を言うならば、せめて屋内で土足はやめてください」

 彼女は私の足元を見て言った。

 確かに、私の足は革靴を履いたままだった。

「これは失敬。何分、この国の文化に疎いので……」

 私は慌てて靴を脱ぐと、壁に立てかけた。

「どこから、来たんですか?」

「窓から、吸血鬼はコウモリに化けて侵入できる」

「へえ……便利ですね」

 少女は平然としている。

 おかしい。何かがおかしい。少なくとも、今まで出会った人間はこうでなかった。

「私が……怖くないのか?」

「どうして?」

 唖然あぜんとした。

「私は、今からお前の血を吸って……殺す」

「それのどこが、怖いんですか?」

 言葉を失う。

 命知らずの蛮勇ばんゆうの者とも、対峙したことはあった。エクソシストやらハンターの類だ。彼らは死を「覚悟」して私に向かってきた。しかし、この少女は違う。

 覚悟ではない。もっとこう……自然に受け入れている。

「死が、怖くないのか?」

 気圧けおされている。この私が。

「私は、どうせ長くはありません」

 彼女は平然と答えた。

「私は生まれつき病気で、二十歳になるまでには死ぬだろうと聞いて育ちました」

 ああ……この病的な肌の白さは――妙に納得した。

「それで、私に今夜殺されても同じだと?」

 彼女は無言でうなづいた。

 私は言葉が続かなかった。こうまで自然に、受け入れられるものだろうか……。

「何を読んでいた?」

 とっさに出た言葉はそれだった。

 彼女は、ある詩集の名と作者を告げた。その作者には、私も覚えがあった。もっとも、翻訳された時に本の題名は少し変わってしまったようだ。

「その本は、私も別の言語版だが読んだ覚えがある」

「へえ……吸血鬼も本を読むんですか?」

「ああ、我々は人間と違って時間に限りがないからな……暇を潰すために、本を読んだり、様々な言語を学んだりする。今こうして話せるのも、その結果だ」

 私はようやく、彼女と対等になった気がした。いや、そもそも人間が優位になること自体、随分とおかしいのだが……。

「本を読むのは好きですか?」

「ああ、限られた時間の中で、人間が遺すものは興味深い」

 私は素直に答えた。

「永遠は……あるのでしょうか?」

 彼女は手にした本に目を落として言った。

 確かこの詩集では、永遠に続く想いについて熱く語っていた。

「人間には限りがある。永遠に続くものなど、ない」

 本当にそうだろうか?

 言った後で自問する。

「いつかは、皆消えてしまうもの……ですか?」

 少女の顔が陰った。自身の死を思ったのかもしれない。

「ああ、遅かれ早かれ、人間は終わる」

 そうだ。人間は有限だ。無限には続かない。

 永遠に生き続けられる吸血鬼とは違うのだ。そう思ったところで、ようやく彼女より優位に立てた気がした。

「……だが、悪いものだとは思わない」

 私は何を言おうとしているのだろう。少女は次の言葉を待っている。

「この本のように、多くの国で翻訳されて、後世にも残っていくものも少なくない。それも時間と共に消えるのかもしれないが……それが悪いとは思わない。我々吸血鬼は、永遠に生き続けるから、後世に残すという発想がない」

 確かにそうだった。

 私は永遠の時間を潰すために、多くの本を読んだ。しかし、その中に吸血鬼が書いたと思われる本はなかった。なぜだろうと思ったが、その答えがそれだった。

「それは残す必要がない……ということですか?」

「ああ、つまるところはそうだろう。我々は永遠を得た……だが、その結果、何かを残すということを失った」

 私は遠くを見ていた。

 確かに、永遠には生きられる。それでも、どこかむなしいのはそのせいだろうか。

「それは、さびしくないんですか?」

「寂しい? ……私が?」

 またしても意表を突く言葉だった。

「だって、皆が終わっていく中で、自分だけが取り残されるんでしょう?」

 私は少しうなった。

「ううむ……確かに、言う通りだ。私だけが残ってしまう……」

 私は高貴な吸血鬼だ。……いや、だった。それが、こんな少女にその立場から引きずり降ろされた気がした。ただ、時代に取り残されるものになった気がした。

「しかし、お前は死ぬのだろう? それは、不幸ではないのか?」

 精一杯の反論。苦しまぎれの言葉だった。

「そうですね……私は、あなたが殺さなくても、あと数年しか持たないでしょう」

 そこで彼女は私の目を真っ直ぐに見つめた。

 それは静かだが、揺るぎないものだった。少女の気高けだかさをその視線に見た。

「それでも私は、大切な人に囲まれて、生きられるだけ生きたら幸せだと思います」

 はっきりとそう言った。その言葉は夜の静寂しじまに響いた。

 私はその視線から目を逸らした。少し前までは人間よりずっと強大だと思っていた自分が、今では矮小わいしょうな存在に感じられた。

 沈黙。

「……強いな」

 しばらくして、私の口から出た言葉がそれだった。

「死にぞこないの小娘が、私よりも強く感じる」

 正直な感想だった。

 吸血鬼の力を用いなくても、彼女を力でねじ伏せるのは簡単だろう。しかし、それは「勝った」ことにはならない。むしろ敗北感すら感じるかもしれない。

 おそらく、この少女は多くのものを遺すだろう。人々の記憶や記録に……。

 それと違って、私は何も遺せない。

 有限のか……永遠のか……優れているのは、どちらだろうか?

 分からない。

「お前を殺すのは、やめておこう……血を吸うのは、他の者で良い」

 私はそう言って、靴を手に開け放たれた窓の方を向いた。

 彼女を生かしておけば、その短い間に何かを遺す。それを取り上げたくない。

「待って!」

 彼女は少し慌てたように、本を手渡した。

「これは……良いのか?」

「この本はもう何度も読んでいるから……あなたに……」

 彼女の息が少し乱れていた。そこでようやく、こうして長く話すのも負担になっていたと気付いた。

 これまで平然としていたのは、彼女なりに虚勢きょせいを張っていたのだろう。

「ありがとう」

 私はそう言って本を受け取った。

 次の瞬間にはコウモリに姿を変えて、窓から飛び去った。


 また、余計な「しがらみ」を得てしまったな。

 夜の闇を飛びながら、私はその本のことを思った。

 獲物を探していると、ごくたまにだがこうして人間とのしがらみができてしまうことがある。

 その度に、私の隠れ家のスペースが狭くなっていくのだが……捨てる気にはなれない。

 それは限りある者たちが遺した、美しい「痕跡」なのだから。

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夜半の対話 異端者 @itansya

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