第4話

 登校してすぐ、HR前の朝の時間。


「ねえ」


 後ろの席から声がする。


「ねえったら」

 

 綾の声だ。

 元から声がでかい上にだんだん大きくなっていく。


「なんで無視する?」


 制服の後ろ襟を掴まれて引っ張られた。

 いにしえの暴力系ヒロインも真っ青である。

  

「ちょっ、静かに⋯⋯静かに」

「なに? なんなの?」

「沙希に言われたんだよね。あの女としゃべったら別れるって」

「クラスメイトで後ろの席としゃべらないって相当難易度高いけど。てかあの女って言われてんのあたし」

「なんで、ごめんだけど⋯⋯」

「いやいやムリでしょ、日常生活に支障きたすでしょ。なんで急にそんな事になってるの?」

「なんか警戒されてるんだよな。あの女と浮気してるんじゃないのとかって」

「はっ、ざまあ」


 綾は鼻で笑った。

 たぶんそういうとこが理由じゃないのか。


「ねえねえ、はるとはるとはるとーーー!」


 話しかけるなと言ったのにガンガン話しかけてくる。

 俺が前を向いたまま無視をしていても背中バシバシしてくる。


「朝ごはん何食べたー? あたしプリンー! と納豆ー!」


 クソボケをかまして俺に突っ込ませたいらしい。

 綾は敵でも味方でもなかったはずだが、ここに来て敵になった。


 俺がなにか機嫌を損ねることでもしたのだろうか? 

 思い当たるフシがない。いやなくもないか?


「無視すんなやオラオラオラ」 


 どすどす指で背中の秘孔を突いてくる。俺は綾を無視してスマホを眺める。

 しかし何やら周りからの視線を感じた。耳をすますと、


「あれヤバない?」

「今日もいちゃついてんなー」

「でもあいつ彼女いるんじゃないの?」


 クラスメイトのひそひそ声が聞こえてくる。

 そのうちに綾のだる絡みも止んだ。どうやら綾も注目を浴びていることに気づいたらしい。


 ちらりと後ろの席に視線を送ると、綾はなぜか国語の教科書を広げていた。

 目が合うなり、若干赤らんだ顔で睨みつけてくる。


 こっわ、と思って俺はスマホいじりに戻った。

 しばらくすると、とんとんと肩を叩かれた。

 またかよ⋯⋯と振り向くと沙希が立っていた。


「あれ、どしたん」

「英語の教科書忘れた」


 机から取り出して俺の教科書を渡してやる。

  

「ありがと」


 沙希はにこっと笑った。

 つい「かわえええええ!」と叫びたくなるぐらいかわいい。


 沙希はそのまま顔を近づけてキス⋯⋯ではなくこっそり耳打ちしてきた。

 目線はちらちら後ろの綾を向いている。


「⋯⋯しゃべった?」

「いや? しゃべってないよ? しゃべりかけられてるだけだから。俺はしゃべってはいない」


 ということにしておこう。

 沙希は満足そうに頷くと、「ばいばい」といって立ち去ろうとする。


「あれ? もしかして教科書忘れたの~? あらら~」


 後ろの綾が沙希を呼び止めた。

 沙希はというと、地面の石ころを見るような目で立ち止まった。


「どこ見てる? それ?」 

 

 綾が沙希の目線を指でたどる仕草をする。

 沙希はおもむろに手を伸ばして、綾の頭をぽんぽんした。


 たぶん「強がっちゃって可哀想に」みたいな意味だろう。

 ぽかんとした顔の綾を置いて、沙希は素通りしようとする。

 

「ねえ、ちょっと待ちなさいよ! あたしのこと無視しろって、どういうつもり?」


 やばい。

 沙希は綾に言い返すのではなく俺の席に戻ってきた。


「しゃべってるじゃん」

「いやそれはほら、ルール説明しないとわかんないじゃん?」

「別れ⋯⋯」

 

 あ、出る。すぐ出る。


「⋯⋯ぬ」


 別れぬ。

 なんとかセーフらしい。


「じゃあ、今からスタートね」

「うん、今から今から」

「ちょっと待って? その人に聞こえるぐらいの声でゲームスタートするみたいなノリやめてもらっていい?」


 綾が横から割って入ってきたが俺も沙希もガンスルーした。

 

「待って? ていうかこれってもういじめですよね? わかりました先生に言いまーす」

「いや鼻で笑われると思うぞ」


 あ、やべっ。

 つい綾としゃべってしまった。

 さすがに今のはアウトか、と沙希の顔色をうかがうと、

 

「⋯⋯ごめんなさい」


 沙希はいきなり綾に向かってごめんなさいした。 


「しゃべっていいから。ゆるして」


 沙希はふざけているわけでもなくガチなトーンだった。急に重ための沈黙になる。

 俺は慌てて声を張り上げた。 


「お、おいおい綾、なにマジに取ってんだよ! 沙希だってちょっとしたかわいい冗談だろ!」

「い、いやいやあたしもちょっとしたギャグだからギャグ! そんなことで先生に言うわけないじゃーんやだなー!」


 綾の笑顔がやや引きつっている。

 俺の笑みもたぶん引きつっている。


「ごめんね? 急に変なこと言って」


 綾のほうが一回り身長が高い。綾は沙希の目線の位置までかがんで笑顔を作った。

 沙希はこくんと頷くと、教室を出ていった。


「はぁ⋯⋯」


 沙希を見送った綾がため息をつく。

 やれやれ、と俺も綾に目線を送る。

 なにはともあれこれで一件落着⋯⋯。


「で、なんであたしが謝ってんの? 保護者の人、あたしに謝ってもらっていい?」

「ごめんね? ゆるして」

「許さぬ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る