9 本の話
リリーマリアはどうやら仕事を休みにして菓子を焼いて持ってきたらしい。ダーリアが落ち着いてから、リリーマリアは子供のような小さい体をひょこひょこ揺らして帰っていった。
ずいぶん優しくしてもらったなあとダーリアは思う。お菓子の出来は正直微妙だったものの。
昼ごはんに、黒パンに黒スグリのジャムを塗って食べて、ダーリアはさてなにをしようか、と考えていた。とりあえず少し休もう、と部屋に戻る。
ベッドに転がって天井を見て、きのうベルタラムの妻とマクシミリアンが話していたことを思い出す。ドワーフの家でヒュームが暮らすとなったら、そりゃあ天井の高さは問題になるだろうな、と思う。
王都にいたころはただただ恐ろしかった異種族も、当たり前に人として生きているのだな、とダーリアは考えていた。リリーマリアもベルタラムも、気性はやや荒いがいい人たちだ。
しばしぼーっと天井を見つめていると、誰かが要塞にやってきたようだった。
「こんにちはー! ベルタラムさんにお使いを頼まれてきました!」
ちょっとかすれ気味ではあるがヒュームの若い人の声だった。ダーリアはそっと声を聞く。
「ああ、ジャンヌさん。これは立派なにんじんだ。ありがとうございます」
「あの、アウルム人の、あたしと同じくらいの女の子がいるって聞いたんですけど、噂でおひい様とか言われてて、友達になっちゃいけない感じですかね?」
ジャンヌという少女は遠慮なくマクシミリアンにそう訊ねた。マクシミリアンが明るく答える。
「いえ? アウルム人も人間ですからね。でも本人の気持ちが大事です。友達になりたいかなりたくないかは本人が決めることですし、いまはきっと、ちょっと体調が追い付かないのではないでしょうか」
「やっぱりアウルム人のヒトがこういうガチ辺境にくるってことは、なにかあったんですか?」
「それも本人が言うのを待つべきです」
「マクシミリアンさんのケチ!」
「ケチで結構ですよ。ベルタラムさんにお礼を言っておいてください。おいしくいただきますので」
「はぁい。それじゃあまた」
ジャンヌという少女は元気よく帰っていった。
ダーリアは窓からそっと後ろ姿を見よう、と思って、ここの窓が板をはめたものであることを思い出した。見られないじゃない。
だいぶ楽になってきた。そろそろ夕飯の時間ではなかろうか。ここには時計がないので完全に腹時計による想像である。そっとベッドから立ち、ちょっと慣れてきた木靴を履く。
がたがた鳴らしながら台所に向かうと、恐ろしい量のにんじんが置かれていた。いやここはにんじんの名産地だ、この量はぜんぜん恐ろしくないのだろう。ヒュームが一人で運べる量だからだ。
「ああ、ダーリアさん。体調はいかがですか」
「おおむね元気ですわ。あの、……ジャンヌってひとが来ていたじゃないですか」
「ええ。ベルタラムさんのお家で暮らしている……南の属州の子ですね」
わざわざアカーテース属州というのを避けるマクシミリアンの気配りに驚く。
「いまのわたしではお友達にはなれないのでしょうか?」
うーん、とマクシミリアンは考えながらにんじんを刻んでいる。
「そうですねえ……文化とか教養の程度がぜんぜん違うから、話が全く合わないのではないでしょうか」
「話が全く合わない」
思わずしゃべる小鳥のていで反復した。そんなバカな。同じヒュームではないか。異種族のリリーマリアやベルタラムとも話せるのだから、ジャンヌと友達になれないわけがない。
「はい。ジャンヌさんは読み書きができません。だからダーリアさんが、これ面白いよ、と『金のりんご』を貸しても読むことはできません。ダーリアさんは、『金のりんご』の話ができる友達が欲しいのですよね?」
痛いところを突かれてしまった。
「たぶんジャンヌさんはくだらない雑談のできる友達が欲しいんだと思いますよ」
「くだらない雑談、ですか」
「はい。化粧の話であるとか、おしゃれの話であるとか、俳優のゴシップであるとか。ここにも二ヶ月に一度劇団がくるので。ダーリアさんはそういうのにあまり関心がないでしょう?」
「おっしゃる通りです」
ぐうの音も出ないのであった。
きょうもにんじんばかりの夕食を食べた。
「ダーリアさん、ダーリアさんは同じ年ごろの女の子を見ると怖くなるかもしれないんですよね」
ハーブティーをすすってダーリアはふむ……と考える。
「でもいつまでも怖いままじゃいけない、とは思いますわ」
「そうですか。実はベルタラムさんに、ジャンヌさんが読み書きを覚えるのを手伝ってもらいたい、と言われていたんです。でも本人にその意志があるか確認していませんし、その話より前にダーリアさんが来ましたし……」
マクシミリアンはしばらく、口を見事なへの字に曲げて考えている。
「ダーリアさんがいいのであれば、近いうちに話を聞いてみようと思うのですが。もちろん無理に会えとは言いません。隠れていたって大丈夫です」
「……わたしは、友達が欲しい……です」
「無理しなくていいんですよ。怖いのは想像できます。ダーリアさんに無理に友達をつくるように勧めたりはしません。ジャンヌさんとダーリアさんは、たぶん見てきたものがぜんぜん違うので」
ジャンヌという子はアカーテース属州から来た、という。アカーテース属州は王国軍とアガット国軍、つまりアカーテース国軍を名乗る勢力に分かれて凄惨な戦いが続いていると聞いた。
あの明るく話す女の子も、戦争から逃げてカリュプス属州にやってきたのだろう。
もしかしたらダーリアを嫌うかもしれない。
お茶を飲んで、お湯を浴びてから寝ることにした。
お湯を浴びたあと、部屋の窓をガコンと外してみると、凄まじい星空が広がっていた。大きな明かりがないので、空の星は恐ろしいほど輝いている。
それだけでなく、カリュプス属州は空気もきれいなのであろう。
王都ドムスではこんな星空、望むべくもない。
次の日、ダーリアはずいぶん早く目を覚まして、さっさとニワトリの玉子を集めにいった。ニワトリをさっとカゴに入れて、玉子を拾ってエプロンのポケットに入れる。
次に犬たちを放す。犬たちは楽しそうに外に飛び出していった。
マクシミリアンの姿がないと思っていたら、少ししてから戻ってきた。
「すみませんね、朝から留守にして。ダイアウルフの群れが出たというので、倒しに行っていました」
「ダイアウルフ」
「ええ。普通の狼よりおっかない、魔族に分類される生き物です」
「犬たちを放したんですけどまずかったでしょうか」
「大丈夫ですよ。ダイアウルフは犬には近寄りませんから」
ダーリアは理性で安堵したが、感情が追い付かなかった。
きょうも、頭の中が少しざわざわする。端的にいって具合はあまりよくない。同じ不安がぐるぐると回る。
「僕は朝ご飯を食べ終わったらベルタラムさんのところに行って、ジャンヌさんに読み書きを勉強するか聞いてきます。そうですね、食器を洗っておいてもらえますか?」
「やってみます」
二人でにんじんと玉子の朝ご飯をやっつけて、マクシミリアンは要塞を出ていった。ダーリアは、さて食器というのはどう洗ったものか、と考える。
とりあえずこびりついた油分を洗い流し、海綿にせっけんを含ませてゴシゴシとこすり、せっけんを洗い流す。思ったより簡単だ。カゴに並べておく。
二十分も経たないうちにマクシミリアンが帰ってきた。帰ってくるなり、マクシミリアンは本箱をゴソゴソやり始めた。そして「くまさんのおさんぽ」という絵本をひっぱり出した。
「その絵本、どうするんですか?」
「ふふふ。ジャンヌさんはぜひ読み書きを勉強したいそうですよ。ダーリアさんが読書家だと言ったら、『あたしも本を読めるようになりたい!』と」
野太い声のマクシミリアンが小鳥のような声のジャンヌのモノマネをするのがおかしくて、ダーリアはちょっとだけ顔が緩んだ。
現状のダーリアは、なにかに集中すると具合が悪くなってしまうので、読書はできない。おそらく王都の医者の出した薬は、ひとつのことに集中しないようにする薬なのだろう。
でも「金のりんご」のストーリーは完璧に頭の中に入っている。
ジャンヌと本の話が出来たら楽しかろう。
その日も昼ごはんまでダーリアは布団にくるまって過ごそうと思っていたが、マクシミリアンが「にんじんを村の外に売るときの箱を直すのを手伝ってほしいと言われているのですが、見学だけでもしませんか」と誘ってきたので、ただ寝るよりはと行くことにした。
次の更新予定
ままならぬ令嬢、辺境で生き直す 金澤流都 @kanezya
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