銀色の雨にうたれて

澪葉流

銀色の雨にうたれて

雨が降る。銀色の、細い、まるで私の心を突き刺すような雨が、音もなく降りしきる。私は傘を持たない。否、持つ気すら起きなかったのだ。東京の、名も知らぬ裏通りを、ただふらふらと歩く。びしょ濡れの外套は重く、私の肩に、まるでこの世の全の罪を背負わせるかのごとくのしかかる。なぜ歩くのか? わからない。わからないのだ。けれども、歩かずにはいられない。この雨に打たれ、ずぶ濡れになって、まるで自分が消えてしまうかのように感じたくて、歩いているのかもしれない。


私の名は、仮に陽一としよう。名など、どうでもいい。二十七歳、仕事はない。いや、あるにはあるが、ろくなものではない。場末の酒場で酌をしたり、怪しげな原稿を書き散らして糊口をしのぐ。そんな生活だ。親は遠い故郷にいるが、もう何年も会っていない。会うのが怖いのだ。私の顔を見れば、母は泣くだろう。父は黙って首を振るだろう。そんな目に遭うくらいなら、この雨に打たれているほうがまだましだ。


昨夜、ふとしたはずみに、私は一人の女と口をきいた。浅草の、電灯の薄暗い飲み屋だった。彼女は、私と同じように、どこか壊れたような目をして笑っていた。名前は聞かなかった。聞く必要もなかった。彼女は言った。「あなた、雨の匂いがするわね」と。その一言が、私の胸に、なぜか鋭い刃のように突き刺さった。雨の匂い? 私はそんなもの、嗅いだこともない。けれども、彼女の言葉は、私がずっと感じていた何かを、ずばりと抉り出した気がした。私は、雨だ。降りしきる、冷たい、誰にも愛されぬ雨なのだ。


私は歩く。雨は私の髪を、頬を、唇を濡らす。銀色の雨は、まるで私の存在を溶かしてしまうかのように、静かに、執拗に降り続く。私は思う。生きるとは、こんなにもみじめなことなのか。愛されず、求められず、ただ雨に打たれて、消えてゆくことなのか。けれども、どこかで、私はそれを望んでいるのかもしれない。消えること。誰の記憶にも残らず、ただ雨と一緒に流れ去ること。それが、私の唯一の救いなのではないか。


路地の果てに、小さな神社の鳥居が見えた。赤い鳥居は、雨に濡れて、まるで血を流しているように見えた。私は立ち止まる。祈るべきか? 何を祈るのか? 神など、いるはずがない。いたとしても、私のような者を顧みるはずがない。私は笑った。笑いながら、泣いている自分に気づいた。雨は、私の涙を隠してくれる。銀色の雨は、私のすべてを、そっと、そっと洗い流してくれるのだ。

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銀色の雨にうたれて 澪葉流 @kiryudown

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