第2話 剣と魔法と罪の記憶
木漏れ日の中で、怜はただ呆然と立ち尽くしていた。
目の前に広がるのは、静まり返った森。
鳥の声も、風の音も戻ってきた。けれど、あの二人の冒険者の姿は、どこにもない。
灰となって、消えてしまった。
「……俺が、殺したのか?」
自分の手を見つめる。
指先には、まだかすかに灰が残っていた。
たしかに、彼らに刃を向けられた。だが、触れたわけでも、殴ったわけでもない。
それなのに、消えてしまった。
胸の奥が熱い。
灰色の紋章が脈打つたびに、心臓の鼓動と重なって疼いた。
「……こんな力、いらない……」
怜は唇を噛みしめた。
だが、ここで立ち止まっていても仕方がない。
生き残るには、この世界のことを知らなければならない。
そう思い、怜は森を歩き始めた。
* * *
森を抜けると、小さな村があった。
石造りの家々、畑、井戸。どこか中世ヨーロッパ風の景色。
そして、遠くに見えるのは――巨大な城壁に囲まれた都市。
異世界。
その言葉を、怜はようやく現実として受け止めた。
村の入り口にいた老婆が怜に気づき、訝しげに眉をひそめる。
「旅の方かい? 見ない顔だねぇ」
「あ、ああ……森で道に迷って……」
「まあ、無事でよかったねぇ。この辺りは魔獣が出るんだよ」
老婆は気さくに笑い、怜にパンと水を分けてくれた。
久しぶりに口にする食べ物の味に、胸が熱くなった。
「ありがとう。助かります」
「おや、随分と礼儀正しいねぇ。旅の人は荒っぽいのが多いのに」
そう言って笑う老婆に、怜も少しだけ笑みを返した。
けれど――そのとき。
「おい、婆さん! その男から離れろ!」
怒鳴り声が響いた。
見ると、村の若者たちが槍や斧を持って駆けてくる。
「また出たぞ、“灰印(はいじるし)”のやつだ!」
怜は息を呑む。
若者の視線の先――それは、自分の胸。
服の隙間から、淡く光る灰色の紋章がのぞいていた。
「ま、待ってくれ! 俺は――!」
「黙れ! あの印は呪われ者の証だ! 人を灰に変える魔の力を持つって聞いた!」
「やめて! この人は何も――!」老婆が叫ぶが、若者たちは止まらない。
怜の胸が再び熱くなった。
恐怖と怒りが入り混じる。
もう、誰も灰になってほしくなかった。
(……逃げろ!)
怜は反射的に村外れへ駆け出した。
背後で怒号が響く。
石を投げられ、足を取られながらも走り続けた。
* * *
夕暮れ。
森の奥に、朽ちた祠があった。怜はそこに身を潜め、息を整える。
この世界では、“灰印”は忌まわしき力として恐れられている。
その理由は分からない。だが、現実に自分が人を灰に変えたのだ。
人々の恐怖は、当然だった。
「どうすればいいんだ……」
怜は拳を握りしめた。
灰の力を制御できなければ、また誰かを消してしまう。
そのとき――。
「……大丈夫?」
背後から声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、一人の少女だった。
年の頃は十六、七。
茶色の髪をひとつに結び、軽装のレザーアーマーを身につけている。
腰には短剣が二本。目は琥珀色で、怜をじっと見つめていた。
「誰だ……?」
「こっちが聞きたいわよ。森の中でうずくまってるなんて、怪しいったらない」
少女は腰に手を当て、少しあきれたように笑う。
その軽い調子に、怜は緊張を解いた。
「俺は……天城怜。訳あって、この世界に来たばかりなんだ」
「この世界に来たばかり? ……まさか、異界人(いかいびと)?」
「異界人?」
「別の世界から来た人のこと。めったにいないけど、たまにいるの。神殿が“召喚”ってやつをやるから」
少女は腕を組み、ふむ、と唸る。
「でも、あんた召喚服もないし……自分で来たってこと?」
「たぶん……そうだ」
「ふうん。まあ、あたしも変な奴には慣れてるけど」
そう言って笑う少女は、手を差し出した。
「リリア。あたしは盗賊――というか、自由人。困ってるなら手を貸すよ」
「盗賊……?」
「そう言うと聞こえが悪いけど、弱い人からは盗らないわよ。貴族とか、腐った商人とかね」
リリアは悪びれもせず笑った。
だが、その笑顔の裏に、どこか悲しげな影が見えた。
「で、怜。あんた、その胸の印――“灰印”ね。隠した方がいい」
怜は驚いた。
「知ってるのか?」
「そりゃあね。王都じゃ、あの印を持つ者は処刑される。理由は知らないけど、“世界を壊す”って噂があるの」
世界を壊す。
その言葉が、怜の心に重くのしかかる。
だが、リリアは続けた。
「でも、あたしは信じない。人の噂なんて当てにならないし。
それに、あんたの目――誰かを救おうとした人の目をしてる」
怜は息を呑んだ。
この世界に来て初めて、誰かが自分を信じてくれた気がした。
「……ありがとう、リリア」
「どういたしまして。ま、助けるって言っても報酬はもらうけどね」
「報酬?」
「そう。パン一個でもいいけど?」
リリアはいたずらっぽく笑った。
怜も思わず笑い返す。
その夜、二人は祠で焚き火を囲んだ。
リリアはこの世界のことを少しずつ教えてくれた。
この世界〈アル=アリヤ〉は、いくつもの王国と魔族領に分かれており、
人々は神殿が定めた「秩序」と「魔力の輪」に従って生きている。
だが最近、神殿の魔力が不安定になり、世界中で異変が起きているという。
「だから、あんたみたいな“異界人”が現れるのかもね」
「異界人……俺みたいなの、他にも?」
「うん。三年前、王国に“勇者”って呼ばれる異界人が召喚されたって聞いた」
「勇者……」
「神殿の加護を受けて、魔王と戦ってるらしいけど――最近、姿を見ないんだって」
リリアの言葉に、怜はふと胸の紋章を見た。
灰色に脈打つそれは、まるで“勇者”とは正反対の存在のように思えた。
(俺は……この世界で、何者になるんだろう)
火の粉が夜空へ舞う。
星々が瞬くその下で、怜は決意した。
――この力を、呪いではなく“意味”に変える。
* * *
夜が更けたころ。
リリアは眠りにつき、怜はひとり祠の外に出た。
月が、灰色に輝いている。
その光の下、怜は胸の紋章にそっと手を当てた。
「俺が、この世界を壊す力を持つとしても……」
小さく息を吸う。
「守るために、使ってみせる」
その瞬間、灰色の光が月に呼応するように淡く脈打った。
風が吹く。
木々がざわめく。
その音がまるで、世界が彼の誓いを聞いたかのように、静かに響いた。
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