第1話

 ピピピッと目覚まし時計のアラームが鳴り、朝の起床時間を知らせる。

 ぼぅとした頭を必死に働かせて、俺はアラームを切ろうと腕を伸ばす。しかし、いつもは届くはずの場所に時計は無くて、バンバンと棚を叩いてしまう。

 どこにあるんだよー、と無理に腕を伸ばすと、ベッドから体を出し過ぎてしまい下に落ちてしまった。


「どわっ⁉︎」


 落ちた拍子に頭を打ってしまい、強制的に意識を覚醒させてしまう。

 くそー、二度寝したかったのに。

 俺は痛ってーと立ち上がると、床に落ちて未だに鳴り続ける目覚ましを停止させた。


「そうだった。寝坊しないように、目覚まし時計の場所を変えたんだった」


 昨日、自分でやった事を忘れてしまっていた。

 寝起きというのもあるが、これは恥ずかしいものがある。一人部屋で良かったとつくづく思う。


 部屋の中を見回すと、勉強机にベッド、ゲームとモニターが置かれている。壁には好きなミュージシャンのポスターと、中学の剣道大会で優勝した時の賞状を飾っている。


 その賞状には、箱宮創士はこみやそうしと俺の名前が記載されていた。


 中学で剣道は引退しており、今は帰宅部に所属している。

 何か部活に入部しても良いのだが、何故かやる気が起きなくて保留にしてしまっている。

 まあ、もう二年生なので、このまま帰宅部で終わりそうな気もするが。


 頭をかきながら自室を出て一階の洗面台に向かう。

 ふぁ〜と欠伸をして階段を降りていると、妹の理衣りいが洗面台に入って行くのが見えた。


「げっ」


「げってなによ、早い者勝ちでしょ。それに、お兄ちゃんは長いんだから後にしてよね」


「長いのは理衣も同じだろ」


「女の子は準備が多いの、女の子以上に使うお兄ちゃんがおかしいの」


「分かったから、早くしてくれ」


 しっしっと手を振って、トイレに向かう。

 時間はまだ六時を過ぎたくらいで、動き出すにはまだ早い時間だ。だから準備に焦る必要はない。なのだが、理衣は中学の制服を着ていた。

 どうしてだろう、何か学校であるのだろうか?

 トイレを出て、リビングに向かう途中で理衣に尋ねる。


「今日って朝練?」


「そうだよ。今年の吹奏楽部、顧問の先生変わってから成績上がってるから、もしかしたら全国行けるかもって、みんなやる気になってるんだ」


「そうか、大会って近いのか?」


「うん、来月だよ。それより邪魔しないでよ、準備終わらないでしょ!」


 はいはいと返事をして、洗面所を後にする。

 リビングに入ると、台所で母さんが朝食を作っていた。父さんはその横で、昨晩の残りと卵焼きを弁当箱に詰めている。


「おはよう」


「おはよー」


「おはよう。どうしたんだ、こんな時間から起きるなんて」


 俺がこんな時間に起きて来たのが珍しいのか、父さんが手を止めて聞いて来た。


「うん、昨日つむぎに遅いって怒られたから、早めに準備しとこうと思って」


「創士は、紬ちゃんに尻に敷かれてるな」


「母さんの尻に敷かれてる父さんには言われたくはないよ」


「ははっ、違いない。でもな、尻に敷かれるのも悪くはないんだぞ。母さんの尻は…あだっ⁉︎」


「馬鹿なこと言ってないで手を動かす。創士も先に食べといて」


「はーい」


 母さんの尻に叩かれる父さんを見て、相変わらず仲が良いなと思いながら冷蔵庫から牛乳を取り出す。

 こここっとコップに注いで、朝の一杯をいただく。

 牛乳を飲むと、身長が伸びるという言葉を信じて飲み続けていた。だが、最近そうでもないという情報を聞いて、飲むのを辞めようかとも考えている。

 でも、朝は牛乳というのが身に付いてしまっているので、辞められないんだろうなぁと諦めていたりする。

 コップをシンクに置くと、テレビのリモコンを取る。チャンネルを情報番組に変えて、朝のニュースを見る。

 昔は、この番組の占いが好きで見ていた思い出がある。


「そこ置いとくから、持って行って」


「はーい」


 テレビに向いていた視線を戻して、母さんが台所に置いていったおかずを運ぶ。ご飯と味噌汁は、自分でよそぐのが箱宮家のルールなので、シャモジを片手に炊飯器に向かった。

 ご飯と味噌汁を持ってリビングに戻ると、ニュースを見ながら朝食を始める。


『続いてのニュースです。昨夜未明、××道、ヤハタインター手前で、車両による火災事故が起こりました。詳細は分かっておらず、目撃者によると、男性が叫んでいるのを見たという情報があります。なお、火災事故による負傷者はいないもようです。この地域では、神様症候群の罹患者が頻発しており、多くの事故が発生しています。近隣にお住まいの方は十分に注意をして……』


「地元じゃん……」


 発生した事故現場が近く、物騒な世の中になったものだと思う。


「最近、神様症候群による事故が多いな」


 どうか巻き込まれませんようにと願いながら、ご飯を口に運んだ。



 神様症候群。

 後にそう呼ばれる現象が最初に観測されたのは、アフリカの貧困地域だった。

 ある日、飢えている全ての人の前に大量の食料が現れたのだ。

 突然、目の前に現れた食料を前に、これは神が起こした奇跡だ! と誰かが叫んだ。誰もがその意見に賛同して、神に感謝して喜びを分かち合った。だが、この奇跡は一度きりで終わり、その後に起こる事はなかった。

 それに不満を持った者が、神にもう一度祈る。

 食料を下さいと、お腹いっぱい食べられる食料を下さいと。

 しかし、祈るだけで食べ物が現れるはずもなく、無駄な思いだけが垂れ流されるだけだった。


 ただし、一部を除いて。


 ほんの一握りの人物の前には、大量の食料が現れたのである。

 その人物達は、まるで魔法のように望むままに食料を生み出した。


 そして、彼らは言う。


『私こそが神に選ばれた存在だ』


 人々は彼らを崇め、まるで本物の神の使徒かのように奉った。


 その頃になると海外でも話題になり、調査チームが結成されて、この現象についての調査を開始する。

 どうやって食料が生まれるのか、どこから来るのか、突然現れた食料を見て、そのエネルギーは何なのかを調査した。


 その調査を進める過程で、更におかしな現象が発生する。

 人々の中に、空を飛ぶ者が現れたのである。

 その人物は未だ子供で、人々は彼を神の生まれ変わりだともてはやした。

 そして、本当の神のように崇め始めたのである。

 まだ子供だった彼は、周囲から言われるがままに神を演じた。それが正しいと思い込み、やがて子供も自身が神なのだと信じて増長するようになる。


 それを面白く思わなかったのは、使徒を名乗った者達だ。

 あの子供は神の敵だと宣い、信者を使い襲ったのである。

 幸い、子供は空に逃げて無事だったが、これがきっかけで大きな争いに発展する。

 所謂、内紛というやつである。


 大勢が武器を持ち、お互いの信者を攻撃したのである。

 争いが激しくなる中で、更におかしな現象が発生する。


 念じるだけで火を起こす人。

 願うだけで大量の水を生み出す人。

 触れるだけで大地を緑に戻す人。

 一定範囲にいるだけで、あらゆる傷を癒す人。


 様々な力を持った人物が現れたのである。


 調査チームは内紛から彼らを保護して、どうやってこの力を獲得したのかを調査する。

 すると、皆が口を揃えて言う。


『神様に強く願ったら貰えた』


 俄には信じられない話だが、事実として起きている。

 そして、その力を持った者達が内紛に加わったせいで、戦火は更に拡大してしまう。

 己を神様だと思い込んだ者達のせいで、多くの命が奪われてしまったのだ。


 だから神様症候群。

 己を神だと思い込んだ者達への、皮肉を込めて付けられた名前だった。


 この不可思議な現象は世界中に広がり、今では十万人に一人の割合で神様症候群の罹患者がいるとされている。



「創士も気を付けなさいよ。神様症候群の人、見つかってないみたいだから、近付かないようにね」


「分かってるって。出会しても、走って逃げるから大丈夫だよ」


 母さんが料理を持って、テーブルの上に並べていく。これで朝食の準備は完了である。


「理衣! 朝食の準備終わってるぞ!」


 洗面所にいる理衣に向かって声をかける。すると、「あと少しで終わるから、待って!」と怒り気味の声が返って来た。

 別に家は、全員が揃わないと食事を始めないという訳ではない。ただ、朝くらいはみんなで顔を合わせておこうという習慣になっているだけだ。


「もうっ、お兄ちゃんやめてよ! 声が大きいと隣にまで聞こえるんだよ!」


「あはは、分かってやってるんだよ」


「さいてー!」


 ぷりぷり怒っている理衣を揶揄って遊ぶ。

 それは、いつもの光景なので母さん達も呆れた様子である。


「創士もいい加減にしなさい。理衣、お父さんが送ってくれるみたいだから、そんなに焦らなくても大丈夫よ」


「本当! ありがとう、お父さん!」


 弁当を詰めている父さんに抱き付く理衣。

 その衝撃で具材を落としそうになっているが、父さんが怒る様子はない。

 理衣が通う中学校までは、徒歩で三十分近く掛かるので、この送迎はかなりありがたいだろう。なら、俺も送ってよとも思うのだが、それは口にしなかった。


 理由は、先約があるからだ。


「俺も準備しとくかな」


「紬ちゃんには、かっこいい所見せておきたいもんね」


「うるさいんだよ」


 一言多い理衣にデコピンして洗面所に向かう。

 鏡に映った顔を見て、俺はあらゆる角度を試して確認する。


「今日もかっこいいな」


 キリッとした二重瞼、鼻筋の通った主張し過ぎない鼻、整った薄い唇、太くはないがはっきりとした眉、その全てがバランス良く配置されており、一般的に見ても間違いなくイケメンだろう。

 これだけの造形ならば、自画自賛しても良いはずだ。


 少しだけ伸びた髭を剃り、ムダ毛の処理を行う。それから洗顔をして化粧水、乳液を付けて、髪のセットに取り掛かる。

 ワックスを手に取り、ふんわりナチュラルに見えるように髪を整えて行く。中学までは坊主だったので、こうして髪をセット出来るのが楽しくてたまらない!


「良いぞ、俺。今日もイケてるじゃないか」


「お父さん、男の人ってみんなああなの?」


「少なくともお父さんは違ったな、創士だけじゃないか」


「私、あんなお兄ちゃんを持って恥ずかしいよ」


「そう言うな、思春期だからで許してやれ」


 洗面所の扉が少しだけ開いており、俺の姿を覗いていた二人が何か言っているが余計なお世話だ。

 あいつが、俺をかっこいいと思ってくれるなら、それで十分だからだ。


 とりあえず洗面所の扉を閉めて、髪をセットした。


 その後、学校の準備をして制服に着替える。

 時計を確認すると、おしっと気合いを入れて、玄関に向かう。すると、タイミングよくチャイムが鳴り、待ち人を知らせてくれる。


 俺は玄関のドアを開いて、その先に待っている人物と対面した。


「創ちゃんおはよう」


「おはよう紬、今日も綺麗だね」


「ありがとう、創ちゃんもかっこいいよ」


 その言葉を聞いて、ふっと髪を掻き上げる。

 理由は、とても嬉しかったのを誤魔化すためだ。


 彼女の名前は神園紬かみそのつむぎ、近所に住んでいる俺の幼馴染だ。

 意思が強そうなぱっちりとした瞳、綺麗に通った鼻筋、小ぶりな唇が艶やかに照らされ、それらが整った輪郭に黄金比で配置されている。

 間違いなく美人な幼馴染だ。


「じゃあ行こうか」


「うん。あっ、その前に、美和子さんおはようございます」


「おはよう紬ちゃん、今日も創士をよろしくね」


「はい」


「よろしくじゃない、俺がよろしくしてあげてんの」


「ふふっ。そうだね、よろしくね創ちゃん」


「……おう」


 悪戯っぽく笑う紬から目を逸らして返事をする。

 因みに、美和子は母さんの名前だ。


「美和子さん、行ってきます」


「行ってらっしゃい、創士も紬ちゃんに迷惑かけないようにね」


「俺は子供か!」


 誰が、いつ、どこで、紬に迷惑を掛けただろうか。


「そんな記憶は一切無いな」


 そう、迷惑を掛けた事なんて……。


「昨日、寝坊したのは?」


「あれは……お前に構ってもらいたかったからじゃないか」


 紬に顔を近付けて、キリッとした顔で言う。

 だが、そんな事で紬は動じたりしない。それどころか呆れた目で俺を見るのだ。


「はいはい、遅れるから早く行こうね」


 それからそっぽを向いて行ってしまった。


「……脈無しなのかなぁ」


 紬の後ろ姿を見て、俺は肩を落としながら後について行く。

 そんな俺の後ろ姿を見ていた母さんは、


「どっちもどっちね」


 と呟いたとかいないとか。



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