老人と海と、僕の腹痛
浅内 丈翔
第1話 出発の時
2025年8月28日 午後7時。準備は万端。忘れ物はなし。
ノースフェイスの大きなリュックサックを背負った僕は、新宿駅に向かう。今回のメンバーは里美と小栗。小栗とはよく旅行に行っていたけど、里美とは初めて。別に好きなわけじゃないけど、女の子と旅行するってだけで、少し緊張する僕がいる。
行き先は瀬戸内芸術祭が行われている直島、豊島、そして犬島。まずは岡山で夜行バスで向かい、そこから市営バスで宇野港まで行き、フェリーに乗り換える。
完璧な行程。スマホのメモ帳には、最短ルートのみならず、遅れた時のルートも数パターン書いてある。詰まるところ、完璧だ。
出発前に夜ご飯を食べようと、僕たちは少し早く新宿に集まった。これが旅行の醍醐味の一つでもある。旅行気分に当てられて、思わず財布の紐も緩むし、この食事はまだ序章に過ぎない、そう考えるだけでワクワクする。
僕たちは新宿の高島屋で落ち合って、近くの中華料理屋に入る。
里美は文化服装学院に通っているので、新宿はいわばホーム。東京に不慣れな僕と小栗は、田舎者丸出しで辺りをキョロキョロする。そんな僕たちをみて里美は意地悪な顔でニヤつく。慣れないものは仕方がない。
卓について、とりあえずビールを頼む。僕と小栗は、夜行バスで寝れないタチなのだ。ビールの力を使って深い眠りに落ちようという算段だった。
運ばれてくる料理は、どれもこれも美味しい。そしてちょっぴり高い。仕方ない。ここは日本の中心、大都会新宿だ。
会話は微妙にぎこちない。全員、旅行気分で浮かれているのと、男女というイレギュラーな状態に、そこはかとない違和感を抱えている。それでも僕たちは中高6年間を共にした仲である。そんなイレギュラーでもそれなりに乗りこなすことができる。
お酒が入り、だんだんと楽しくなってくる。
しばらくすると、満腹中枢が刺激され、計画通り眠気がやってくる。
僕たちは、ささっと勘定を済ませ、バスターミナルに向かう。歯磨き粉を買ってトイレで歯磨き。僕はこの瞬間が一番嫌いだ。尿素と大便の匂いに包まれた空間で口を開けて歯を磨くという行為は、どうも受け入れ難い。
端でだべっていると、僕たちのバスがやってくる。中は思いの外ゆったりとしていて、快適そうだった。4列シートなのが残念だったが、僕たちは貧乏学生なので、贅沢は言っていられない。浮いた分は旅先で美味しいものに使おう。これが僕たちが話し合って出した結論だった。
成り行きで乗り込んだので、僕は窓側に。その隣に里美が座って、通路を挟んで反対に小栗が座る。隣に力士でも来ないかなと、淡い期待をしていたが、なかなかどうして、小栗の隣は空席だった。僕は心の底からガッカリする。こんなことなら、反対に座るんだった。隣が女子というのはどうも落ち着かない。
もちろん間にカーテンがあるので、プライベートは担保されているのだが、迂闊に靴を脱ぐことができない。僕はとても足が臭い。もちろん臭くない時もあるのだが、基本臭い。おじいちゃんも、お父さんも、みんな臭い。最悪の遺伝である。
僕が初めてデートに行く時、普段はあまり干渉してこないお父さんが、「座敷の店は予約するなよ」と真顔で言ったくらいには、僕の一族の足枷なのだ。
隣が小栗なら、「クセェから履け」と言ってネタに出来るのだが、里美だとそうもいかない。今回は靴を履いたまま我慢するしかなさそうだ。
そんなことを考えていたら、発車のアナウンスが鳴った。僕は後ろを振り返る。トイレはないタイプ。まぁ、今のところは全く問題ないので、大丈夫だ。
先に紹介しておくと、僕はお腹が弱い。サッカーの試合中に腹痛に襲われ、ハーフタイム中にトイレに篭り、僕抜きで後半が開始してしまったり、模試の監督中に腹痛に襲われ、こっそり抜け出してカンニングし放題な状況を作ってしまったり、女の子との初めてのディズニーランドで、入場待機の時間いっぱいトイレに篭って、一人で並ばせてしまったことだってある。エントリーシートとやらは書いたことがないが、もしも自分の短所を書く場所があれば、真っ先にお腹が弱いところと書くだろう(実際塾のバイトの面接ではそう言った)。だから、トイレの位置は常に把握していなければならない。どのトイレが綺麗で、ウォシュレットがついているのか、よく行く場所近辺のトイレはあらかた記憶しているのだ。
今回は、ない。僕に出来ることは、お腹が締め付けられないようにズボンのボタンを外し、サービスエリアでしっかりと降りてトイレに行くことだけだ。慢心は、ない。
僕はイヤホンを耳に嵌めて、ふかわりょうのポットキャストをつける。
オチのないよくわからないトークと共に、僕たちを乗せたバスは、岡山に向かって、ゆっくりと動き出した。
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