ロシアで踊る巨人TikToker
バックヤードの机で、来月のシフト表と睨み合っていると、パーテーションの向こう側から、聞き慣れた声の応酬が聞こえてきた。
チャラくて明るい、人気No.1講師の加藤蓮の声。
そして、きゃぴきゃぴと弾むような、中学一年生の鈴木結愛(すずきゆあ)の声。
結愛は最近入塾したばかりで、TikTokでキレキレのダンスを投稿している、ちょっとギャルっぽい女の子だ。社会が、絶望的にできない。
「はい結愛、じゃあこの問題ね。『グリニッジ天文台はどこの都市の郊外にありますか?』」
「あ、それ! 覚えたよ! イギリスの首都の……」
「お、いいね。首都の?」
「イタリア!!」
俺は椅子からずり落ちそうになる。ツッコミどころが渋滞を起こしている。まず、イタリアは国だ。首都じゃない。そして、イギリスの首都はロンドンだ。イタリアは、もう、かすりもしていない。首都の概念から、まず教える必要があるのかもしれない。
「んー、惜しい! イタリアもヨーロッパだけど、正解はロンドンね。イギリスの首都、ロンドン」
「あー、そっちか! 」
蓮のポジティブな指導に、俺は心の中で合掌した。こういう女子扱わせたら、蓮はウチでピカイチだ。
「じゃあ次! 『ロシアの国土面積は、日本の約何倍でしょう?』」
「えー、めっちゃでかいやつでしょ? うーんと 2000倍!」
「おー、でかいってイメージは完璧。でも、それだと地球からはみ出ちゃうかな。答えは約45倍ね」
「マジ!? 45倍?でかすぎじゃん!?」
今、自分が2000倍って言ったことを、彼女はもう忘れたのだろうか。その記憶力の潔さが、逆に羨ましい。
「でもさ、この地図はメルカトル図法って言って、北極とか南極に近くなるほど、実際より大きく描かれちゃうんだよ。ほら、こっちの地図と比べてみ?ここの、グリーンランドなんかさ…」
おお、やるな、蓮。こういうところ丁寧なんだよな
「へー、そうなんだ! てことはさ、ウチがロシアに行ったら、でっかくなるってこと!? やば! 私、モデルさんみたいに身長高くなりたいんだよねー!」
え、え? 全然理解してないぞ、その解釈は。
俺は思わずペンを取り落としそうになった。人間が大きくなったら、それはもう怪獣だ。怖いだろ。
「あはは、結愛がでっかくなったら面白いな。じゃあ、次行こうか」
ウソだろ、蓮。そんなに軽く流せるのか。このスルースキルは、真似したくても絶対に真似できない。
「このグラフ見て。世界の主なエネルギーについて。日本は火力、カナダは水力の割合が大きいよね。じゃあ、フランスの主要なエネルギーは、何でしょう?」
蓮が問題を読み上げる。
よく出るやつ。フランスは原子力。
がんばれ結愛。
「あ、わかったかも!
……パン!」
俺は、飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになるのを、必死でこらえた。
どういうことだ??
…なるほど理解した。ある意味では、間違っていない。フランス人の主食。日々の活動の源。エネルギー。
でも、そういうことじゃないだろ。
蓮がどうやって軌道修正したのかはわからないが、やがて授業終了のチャイムが鳴った。
しばらくして、蓮が「おつかれーっす」とバックヤードに入ってくる。
「……お疲れ。大変そうだったな」
「あ、聞こえてました? いやー、結愛、マジで逸材ですよ。俺の想像の斜め上を毎回ぶち抜いてくるんで、飽きないです」
「だろうな。……あの子、次のテストいつだっけ?」
「社会は、明日っすね」
蓮はそう言うと、屈託なく笑った。
そうか、明日か。がんばれよ、結愛。
俺は作りかけのシフト表に視線を戻したが、頭の中では、メルカトル図法のせいで巨大化した結愛が、フランスパンを片手にロシアの大地を闊歩する姿。
……いや、ロシアだから、ピロシキか?
ダメだ。俺も相当、疲れてるらしい…。
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