榊原銀次の決意
クサフグ侍
第1話
俺の名前は榊原銀次。特異事象調整局、保護課所属だ。
まあ、こんな肩書きを口にしたところで、世間の誰も知らんだろう。表向きは環境庁の外郭団体勤務。名刺にもそう印刷してある。けど実際は、世間に存在を知られてはいけない裏稼業だ。
俺たち特調の役目は、異世界や超常の存在と、現代日本の間で起きる摩擦を調整すること。要は、両方が暴れないように宥めて、何とか折り合いをつける仕事だ。
だが、これがまあ、簡単にいくわけがない。
上層部は「国民の安全を守れ」と声高に叫ぶが、現場に丸投げするばかり。かといって現場は現場で「人手が足りない、予算が足りない」と泣きついてくる。挙げ句の果てに、異世界やら神やら精霊やら、人間の理屈が通じない相手まで相手にしなきゃならん。胃が痛くならないわけがない。
俺の所属する保護課の仕事は、特に「人」に寄り添うことだ。超常現象に遭遇し、日常が非日常に変貌してしまった人々。
彼らをどうにか保護して、日常に戻す。あるいは戻れなくても、せめて生きていける環境を整える。そういう裏方の雑務を、俺たちは担っている。
だがな、現実は綺麗事だけじゃ済まない。
被害者は、しばしば精神的に追い詰められている。夢を見たのか、狂ったのか、嘘をついてるのかと、周囲から疑われ孤立していく。俺たちはそれを必死にフォローするが、世間の目を完全に塞ぐことはできない。
それでも、放っておけないんだ。助けを求めてる人間が目の前にいるのに、背を向けるなんて俺にはできない。
まあ、その甘さのせいで、上からは「情に流されるな」と釘を刺され、現場からは「もっと踏み込んでやってくれ」と責められる。結局、俺はいつも板挟みだ。
だけどな、それでいいと思ってる。誰かがその板挟みを受け止めなきゃ、全部崩れちまうんだ。
俺たち保護課の仕事の一つに、異世界から戻った帰還者を守り、支えることがある。だが、守りきれなかった人間の方が、実際には多い。
思い出すのは半年前の事件の記憶だった。
健太が消えたのは、ある雨の夕方だった。
いつも通りの帰り道、商店街を抜けたはずが、家には一歩も戻らなかった。
家族は必死に探し、警察に通報したが、手掛かりは何一つない。
学校は「家出の可能性」と報告し、クラスメイトは困惑したまま日常を続けた。
ただ一人、異常の兆候を見抜いた者がいた。
特異事象調整局。通称「特調」。非公開の政府組織であり、オカルトや異世界に関わる現象を扱う。
保護課に所属する榊原銀次は、失踪者リストに目を通しながらつぶやいた。
「既に行方不明になって半年か。事前の兆候も、事件後の形跡も皆無。これは、ただの家出じゃねえな」
異世界転移の可能性。榊原の直感は当たることが多かった。
彼は家族への聞き取りや現場調査を進めつつ、警察と連携し、世間に騒ぎが広がらないよう注意深く動いた。
ある日、健太は突然、駅前の公園で発見された。
体は無傷だったが、目は異様に澄み切り、言葉の端々には現実離れした響きが混じる。
「剣を振るったんだ。仲間と旅をしたんだ」
家族も学校も、半信半疑だった。誰も彼の話を真剣に受け止められない。
そんな中、榊原だけは少年に向かって言った。
「君の話は否定しない。俺は信じる」
その一言に、健太の肩は震えた。
だが、彼を待っていたのは、容易ならぬ「現実」とのすれ違いだった。
帰還から二週間。健太は学校に戻った。
しかし教室に足を踏み入れた瞬間、空気が変わるのを感じた。
「おい、来たぞ」
「異世界の勇者さまだ」
ひそひそ声が背中を刺す。
授業中、中世ヨーロッパの話題が出たとき、思わず口が動いた。
「騎士団は、槍を主力にしてたはずです」
教室は静まり返り、先生は苦笑しながら咳払いした。
「本にそう書いてあったのかもしれないが、今は授業を進めよう」
背後で笑い声が弾けた。
「やっぱり本物の騎士団と旅したんじゃね?」
健太は唇を噛み、ノートを握りしめた。
家でも状況は変わらなかった。
母は必要以上に優しく声をかけ、父は新聞をめくりながら「普通に戻れ」とだけ言った。
「信じてくれないじゃん」
「信じたいよ。でも、剣とか魔法とか、急に言われても」
母の困った笑顔が、健太をさらに追い詰めた。
夜、榊原が部屋に訪れた。
「今日も、何かあったな?」
「誰も信じてくれない。僕は本当に行ってきたのに」
榊原は黙ってうなずき、静かに言った。
「普通の人間には理解できない。それでも俺は信じるし、守る。君の味方はここにいる」
健太は少しだけ微笑んだ。
しかし、それは脆い光だった。孤独の重みは日に日に積もっていった。
榊原の胸には、不安が影を落としていた。このままじゃ、いずれ心が壊れてしまう。
数週間後のある放課後。
榊原は学校からの呼び出しを受け、慌てて校舎へ向かった。
「生徒が、屋上で!」
駆けつけると、風にあおられた制服がフェンスの向こうで揺れていた。
そこに立っていたのは健太だった。
「やっと帰ってきたのに。僕は、もうどこにも居場所がないんだ」
榊原の心臓が凍りつく。
「やめろ! こっちへ来い!」
健太は涙を浮かべて笑った。
「榊原さん、あなたが信じてくれたこと、本当にうれしかった。だけど、それだけじゃ、生きていけなかった」
榊原は必死に言葉を探す。
「まだ終わりじゃない! 君の居場所を作る。俺が、絶対に!」
しかし、少年は小さく首を振った。
「ありがとう。でも、もう疲れたんだ」
風が吹いた。
榊原が伸ばした手は、空を掴む。
世界が崩れる音がした。
その夜、榊原は報告書を書きながら、手を止めて頭を抱えた。
「守りきれなかった」
異世界から帰還した少年を、この世界は受け入れられなかった。
彼を救えると信じていたのは、自分だけだった。だが、それは重荷を一人に背負わせることにしかならなかった。
榊原銀次は痛感した。特調の役割は、ただ「監視」や「処理」をすることではない。
彼らの「心」と「生きる場所」を守ることだ。
ペンを強く握り直し、報告書に最後の一文を書き込む。
「次こそ、絶対に守る」
それが、銀次に課された新たな誓いだった。
それ以来だ。俺はどんなに無茶だと言われても、帰還者の話を最後まで聞くと決めた。信じてやれる存在が一人でもいれば、まだ救いはあると信じたい。
もちろん、俺一人じゃ足りない。異世界の現実を知る人間の数は圧倒的に少ない。だからこそ、あの少年のような悲劇を繰り返さないために。今、俺は新しい帰還者に接触しようとしている。
上からは「協力者を確保しろ」としか言われてない。だが俺にとっては違う。
これは命令じゃない。あの少年に果たせなかった約束を、次こそ果たすための仕事だ。
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榊原銀次の決意 クサフグ侍 @kakurega
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