Ep.4 —異邦の鉋、継ぎ接ぎの方舟


トウホク州・センダイ郡・ワカバヤシ区] 「李建築工務店(RI BUILDERS)」

語り手:リ・ジャンウ(48歳 / 宮大工棟梁 / 朝鮮系ニホニーズ)


トウホク州の冬は、物理的な重さを持って訪れる。 南のクレーやウサカで見られるような、アスファルトに触れた瞬間に黒い染みになって消える湿った雪ではない。鉛色の空から、音もなく降り注ぐ白い粒子が、時間そのものを埋め尽くすように降り積もっていく。


センダイ郡の郊外、ワカバヤシ区の田園地帯。 見渡す限りの雪原の中にポツンと建つ、巨大なトタン張りの作業場は、その雪の重みに耐えながら、静かに呼吸をしていた。屋根の雪が時折、自重に耐えかねてズズッ、と低い音を立てて滑り落ちる。それが、この世界で唯一の時計のようだった。


引き戸を開けると、外のマイナス気温の冷気を切り裂くように、強烈なヒノキの香りが鼻腔を突いた。 まるで森そのものを濃縮して瓶詰めにしたような、清冽で、どこか神聖な匂い。その奥から、灯油ストーブの上で何かが煮える生活臭と、微かに鼻を刺すアルコールの匂い——穀物を発酵させた安っぽい密造酒の匂いだ——が漂ってくる。


作業場の中心、樹齢数百年はあろうかという巨大なケヤキの丸太の前に、その男はいた。


リ・ジャンウ。 身長180センチを超える巨躯。何層にも着込んだ厚手の作業着の上からでも、岩のような筋肉の隆起が見て取れる。 刈り上げた頭と、無精髭に覆われた顎。その風貌は、港湾地区にいれば間違いなく荷役労働者か、あるいは地下格闘技のファイターに見えるだろう。


だが、その節くれだった巨大な指先には、顕微鏡手術を行う脳外科医のような繊細さで、一本のノミが握られていた。 彼は、私の気配に気づいているはずだが、呼吸すら止まっているかのような静寂の中で、木材の表面を薄皮一枚分だけ削り取っていた。


数分後、彼は満足げに息を吐き、ノミを置いた。そして、ゆっくりとこちらを向いた。


(手近な布で額の汗を拭い、鼻を鳴らす)


ここまで来るのに、検問(チェックポイント)はいくつあった? 三つか? ……へっ、やっぱりな。今日は特に厳しかっただろう。


州警察(トルーパー)の連中も、雪が降ると精が出るんだよ。視界が悪くなると、南からの密輸業者が動くと思ってる。奴らの頭の中じゃ、雪嵐は密輸のカーテンコールみたいなもんだからな。 他の地域の車——特にクレーやトコ(旧東京)のナンバープレート——がトウホク州に入ると、彼らの目の色が変わるのがわかったかい? トランクの裏から座席の詰め物、スペアタイヤの中までひっくり返して、「不純物」を探そうとする。麻薬犬みたいにな。


彼らにとって、南から流れ込んでくるものは、ドラッグだろうが、違法なサイバーパーツだろうが、あるいは「多様性」という名の新しい思想だろうが、全てここトウホクの平穏を乱す「ノイズ」でしかない。クソ食らえだ。


俺みたいな、いかにもなツラをした男がトラックを運転してると、必ず止められる。 『荷台に何を隠してる?』ってね。


俺は黙って、荷台のシートをめくって見せるんだ。 そこにあるのは、キソ山脈の奥で切り出されたばかりのヒノキやケヤキの巨木だけ。密輸品を隠す隙間なんてない。木の匂いが全てを圧倒してるからな。 彼らは鼻を鳴らして、『……木か。行け』と言う。


ここでは人種なんて関係ない。州の人間(保守派)か、特区の人間(よそ者)か。分断線はそこにある。俺たちのような、州の外と内を行き来する人間は、常にその線の上で綱渡りをさせられている気分さ。


……ところで驚いた顔をしてるな。 無理もない。「州一番の宮大工」を訪ねてきたのに、出てきたのがこんなコリアンの大男だったからな。 名刺を見て、もっと枯れたニッケイの老人を想像していたんだろう? 白い作務衣を着て、静かにお茶を啜ってるような仙人みたいな爺さんを。


残念ながら、そういう「絵になる」枯れた職人はみんな引退したか、寿命で逝っちまった。 今、この国で一番「ニホンの神様」の家を直すのが上手いのは、俺たちみたいな「渡来人の末裔」なんだよ。皮肉な話だろ?


(彼は作業台の上のカンナ屑を払った。その手つきは、我が子の頭を撫でるように優しい。胸元の『RI BUILDERS』のロゴの下には、ハングルで『魂(コン)』と小さく刺繍されている)


最近のクライアントである神主さんたちについて聞きたいか? ああ、彼らは立派だよ。たいてい都会の大学を出たエリートだ。経営学修士(MBA)を持ってる神主だっている。 彼らはiPadを出して、英語で書かれた図面を見せながら、スマートに説明しようとするんだ。


『ミスター・リ、このピラー(柱)にはレインフォース(補強)が必要でして……最新の耐震基準をクリアするために、カーボンファイバーを巻き付けたいのですが』なんてね。


彼らはニッケイのエリートだが、実際の神社の構造なんて何も知らない。 そもそも「日本語(Old Japanese)」の建築用語なんて、とうの昔に忘れてしまっている。 木が呼吸していることも、季節によって動くことも知らない。彼らにとって神社は「観光資源」であり、維持管理すべき「資産」でしかないんだ。 カーボンファイバー? 木にそんなものを巻いたら、湿気が逃げなくて芯から腐っちまう。木を窒息させる気か?


だから俺は、黙って図面を指差し、こう言うんだ。 「そこは『大斗(Daito)』と『肘木(Hijiki)』で組んで、『通し貫(Nuki)』で固めましょう。釘も、カーボンもいりません」


完璧な、古い職人言葉でね。 神主はポカンとして、それから慌てて姿勢を正す。「し、失礼しました、棟梁」って。 この国じゃ、自分の国の神様の家の直し方を知ってるのは、俺たちみたいな「物好きな職人」だけになっちまった。


IDカードの色や血筋じゃなくて、技術(スキル)だけが、俺の正当性を証明してくれる。 俺がノミを振るえば、そこに「ニホン」が立ち上がる。 俺が手を止めれば、それはただの材木に戻る。 痛快だと思わないか?


ルーツについて? ええ、隠すことじゃないよ。俺のじいちゃんは、ピョンヤン(平壌)から来た難民でね。 朝鮮戦争の時だ。あの半島が、北と南に引き裂かれて燃え上がっていた頃。 じいちゃんは北の凍てつく大地を歩いて南下し、そこからボロ船に乗って、あてもなく日本海を漂流した。 エンジンも止まって、水も尽きて、死体と一緒に転がっていたところを、このトウホクの漁船に拾われた。 流れ着いたのが、この海岸だったんだ。


じいちゃんは無口な人だったが、酔うとよく言っていた。 『ジャン、俺はな、故郷のテドンガン(大同江)の氷の上を歩いて逃げたんだ。 泥は足を絡め取るが、氷は俺たちを支えてくれる。 だから俺は、冷たくて、硬くて、嘘をつかない素材が好きなんだ』


じいちゃんは最初、港で解体業をしてたんだが、手先が異常に器用だった。 廃材置き場から拾ってきた木切れで家具を作り始めて、それが評判になって、やがて小さな建具屋になった。 親父がそれを継いで、俺の代でなぜか「宮大工」に……笑えるよな。 解体屋(壊す仕事)から始まって、今は神様を直す仕事をしてんだからね。


差別? いや、そんな単純な話じゃない。 もちろん、「コリアンに神社の修理ができるか」と言う奴はいたさ。 「神聖な場所に、キムチの匂いを持ち込むな」と面と向かって言われたこともある。 そういう時は、黙って仕事で見返すしかなかった。拳で殴り返すより、完璧な仕事で黙らせるほうが性に合ってたからな。


でも、今のニホンの現状を見てくれ。 ニッケイの若者は、みんなこういう「汚い・きつい・危険」な仕事を嫌って、都会に行っちまう。 エアコンの効いたオフィスで、NEXISの端末を叩いて、きれいな英語を喋って、スマートに暮らしたがる。 「木屑まみれの仕事なんてダサい」「伝統なんて金にならない」ってね。


彼らが軽蔑して捨てていった伝統技術を、俺たちみたいな「余所者」が拾って、必死に油を差して磨いてるんだ。 建設現場を見てごらん。 鳶職、左官、大工。 現場を仕切っているのは、コリアン系、インドシナ系、あるいは南米系の連中ばかりだ。 俺たちは「技術を食った」んだ。 生きるために、誰もやりたがらない技術を、貪欲に腹に収めた。それが今、俺たちの血肉になってる。


俺の師匠——頑固な純ニッケイの爺さんだったが——は、死ぬ間際によく言っていた。 『ジャン、ええか。ニホンの建築はな、元々お前の先祖(渡来人)が大陸から持ってきたもんや。 だからお前が上手いのは当たり前なんや。 血の中に、木の組み方が刻まれとるんやろ』


まあ、俺をやる気にさせるための方便だったんだろうけどね。 俺の先祖は北の貧農だから、法隆寺を建てた工人と繋がりがあるわけがない。 でも、俺はその言葉が好きだった。 俺がここにいるのは歴史のエラーじゃない。遠回りをしたが「里帰り」したんだって思えるからな。


(再びノミを手に取る。今度は刃先を布で拭い、光にかざして確認する)


今手がけているのは、トコのスミダ地区にある神社の修復だ。ええ、あのスラム街のど真ん中にあるやつさ。 毎朝4時、俺は軽トラに道具を積んで、センダイを出発する。 これが面白いんだ。 ハイウェイを南下して、州境(ボーダー)を越える瞬間がね。


トウホク州側は、静寂な雪景色。時間は重たく、ゆっくり流れている。 でも、州境のゲートを越えると、世界が一変する。 トコ特別行政区。旧東京の残骸の上に築かれた、巨大なスラムと工場の街。 空の色からして違う。スモッグとネオンが混ざって、一年中紫色をしてる。 道端にはハオシャオの屋台が湯気を上げ、スピーカーからはチャンポン語のラップが大音量で流れてる。


そんで俺のような大男が、トウホクナンバーの軽トラで乗り付けると、地元のヤクザ・・・じゃなくて自警団の連中が寄ってくる。 腕にはタトゥー、腰にはナイフ、目つきは飢えた狼そのものだ。 彼らは俺のトラックを見て、警戒する。 「おい、田舎モン(カウボーイ)。何の用だ? ここは観光地じゃねえぞ」


彼らは、俺を「州から来たよそ者」として見る。 トコの人間にとって、州の人間は「遅れた人間」「閉鎖的な人間」だからな。 でも、俺が黙って窓を開けると、荷台からヒノキの香りが漂い出す。 スラムの腐臭と排ガスを切り裂くような、清冽な森の匂いだ。


すると、彼らの表情が変わるんだ。 鼻をひくつかせ、俺の顔と、荷台の木材を交互に見る。


「……なんだ、いい匂いじゃねえか。神社の修理か?」


俺が頷くと、彼らはニカっと笑って、バリケードを開ける。 「なんだ、職人かよ! 早く言えよ! 終わったら一杯奢るぜ!」


彼らにとって、俺は「コリアン」でも「トウホク人」でもない。 「俺たちの街の、ボロい神様を直してくれる男」になる。 技術(スキル)だけが、俺のパスポートなんだ。 ここでは、肩書きもIDも通用しない。ただ「いい仕事をするかどうか」。それだけが評価基準だ。 ある意味、クレーのオフィス連中より、よっぽど純粋で、信頼がおける連中さ。


(急にコポコポ・・・という音とともにふわっと部屋の中にアルコールの匂いが立ち込める。どうやらストーブの上の薬缶のようだ)


それかい? 鋭いな。お茶じゃない。 これだよ。「ピョンヤン・ソジュ(平壌焼酎)」。 もちろん、本物じゃない。じいちゃんが記憶を頼りに密造していたレシピを、俺が再現したもんだ。 トウモロコシとドングリで作った、安くて、強烈な酒だ。


一口飲むと、食道が焼けるように熱くなる。工業用アルコールかと思うくらいにね。 でも、その後に、雪解け水のような甘さが残る。 都会に行けば、洒落たカクテルや、高いウイスキーがいくらでもあるだろう。 でも、俺にはこれが一番だ。


作業が終わった後、凍えた体でこれをあおる時……俺は自分が何者かを思い出せるんだ。 俺はニッケイでもない、ただのコリアンでもない。 「木を削って生きている男」だとね。


それに、こいつはハオシャオによく合う。 特に、九龍シティ(トコのスラム街)の屋台で売ってる、羊肉と唐辛子をたっぷり入れた激辛のやつにね。 熱い肉を食らって、冷たい酒で流し込む。 その瞬間だけは、この国のややこしい歴史も、将来の不安も、全部胃袋の中で溶けてなくなる気がするんだ。 胃袋の中じゃ、国境なんて関係ないからな。


(作業台に置かれた、複雑な形状の木片を組み合わせる。「継ぎ手」の技法だ。二つの異なる木材が、吸い付くように結合する)


なぜ「木組み」にこだわるのか? ……釘を使わないのは、それが「最強」だからだ。 現代の建築では、ボルトや金具で固定するのが一般的だ。 安くて、早くて、誰でもできる。 でも、釘や金具で固定してしまうと、そこに応力が集中して、木が割れるか、金具が疲労破壊を起こす。


ニホンは地震が多い。台風も来る。 建物全体が生き物みたいにギシギシと揺れて、力を逃がさなきゃいけないんだ。 木と木をパズルのように組み合わせて、摩擦と圧力だけで持たせる。 これなら、揺れれば揺れるほど、継ぎ手が締まって強くなる。 「柔よく剛を制す」ってやつさ。


今のニホン社会を見てみろ。 IDカード、居住区制限、NEXISによる管理。 まるで、違う形の人間たちを、法律という「釘」で無理やり固定しようとしているみたいだ。 「異物は排除する」「規格外は認めない」。それが彼らのやり方だ。 一見、強固に見えるよ。でも、実は脆い。 想定外の力が加わったら——例えば戦争や、大災害が起きたら——ポッキリ折れるか、バラバラになるだろう。


俺たち宮大工は、違うやり方を知ってる。 違う形の木同士を、どう組み合わせれば倒れないか。 ねじれた木には、ねじれた木を合わせる。硬い木には、柔らかい木を添える。 お互いの「癖」を見極めて、噛み合わせるんだ。 それが「木組み」であり、この多民族国家ニホンに必要な「構造計算」なんじゃないかな。


(彼は窓の外を見る。雪が激しくなっている。彼の瞳に、ある記憶が蘇る。それは雪ではなく、叩きつけるような雨の記憶だ)


……その強さが証明された夜の話をしようか。 先月のことだ。忘れないよ。 季節外れの大型台風——「タイフーン・ハナ」が、トコを直撃した。 あの街のインフラはボロボロだから、排水ポンプが故障して、スミダ地区の低地はあっという間に泥水に飲み込まれた。 俺は神社の補強作業で現場に残っていた。


暴風雨の中、住む場所を失った人々が、高台にある神社に駆け込んできたんだ。 最初は数人だったが、すぐに数十人、百人となった。 インドシナ人、フィリピン人、クルド人、南米系、そしてホームレスのニッケイ老人。 言葉も宗教もバラバラな、ずぶ濡れの連中だ。 彼らが持っていたのは、ビニール袋に入れたわずかな家財道具と、怯えきった子供たちだけだった。


外は地獄だった。 看板が手裏剣のように飛び交い、トタン屋根が紙くずのように舞っている。風速は50メートルを超えていただろう。 神社の屋根も悲鳴を上げた。築100年の木造建築だ。 猛烈な風圧で瓦が飛び、柱が軋み、建物全体が嵐の中の木造船のように揺れ始めた。 「ギギギ……ミシッ……」 木と木が擦れ合う音が、まるで巨獣の唸り声のように響く。


みんな、恐怖で震えていた。 子供は泣き叫び、大人たちはそれぞれの言葉で——アッラーに、キリストに、ブッダに、あるいは先祖の霊に——祈り始めた。 「崩れるぞ!」「逃げろ!」誰かが叫び、パニックになりかけた。 出口に殺到しようとする群衆。それを押し留めようとする若者たち。


俺は怖かった。 正直に言うよ、足が震えていた。 自分が直した継ぎ手が外れるんじゃないか、と。 自分の未熟さが、こいつらを殺すんじゃないか、と。 計算上は耐えられるはずだ。でも、自然はいつだって計算を超える。


でも、建物は耐えた。 昔の職人が組み上げ、俺が汗水垂らして補強した「木組み」は、風に逆らわず、しなやかに揺れながら、衝撃を受け流していた。 柱が傾き、梁が唸るが、決して折れない。 まるで、建物自体が意志を持って嵐と格闘しているようだった。


停電した暗闇の中で、俺は叫んだ。 じいちゃん仕込みの、汚い北の訛りのハングルでね。 腹の底から声を絞り出した。


『ケンチャナ!(大丈夫だ!) この船は沈まねえぞ! 俺が作ったんだ! 文句あるか!』


暗闇に俺の声が響いた。 雷鳴よりも大きく、風よりも太く。 すると、不思議なことが起きた。 みんなが顔を上げて、俺を見たんだ。 言葉は通じなくても、意味は伝わった。 このコリアンの大男が、この揺れる建物の真ん中で、柱に手を当てて仁王立ちで「大丈夫だ」と言っている。 その物理的な事実に、彼らは縋ったんだ。


誰かが歌い始めた。 70年代のニホンの流行歌だ。「上を向いて歩こう・・・」みたいなやつだったかな。 最初は一人の老婆の震える声だった。 それが、隣のベトナム人の青年に伝染し、フィリピン人の母親に伝染し、やがて大合唱になって、嵐の轟音をかき消していった。 言葉もリズムもバラバラだったが、それは確かに一つの「歌」だった。


俺は柱に手を当てて、その振動を感じていた。 木の振動と、人々の歌声の振動が、一つになっていた。 軋む音は、もう悲鳴じゃなかった。 それは、船が波を越える時の、力強い呼吸音だった。


その時、思ったよ。 ああ、俺は「神社」を直してたんじゃない。「箱舟」を作ってたんだな、って。 ニホンの神様も、コリアンの俺が直した社に、多国籍の難民が詰め込まれて、下手くそな歌を歌ってるのを見て、苦笑いしてただろうね。 「随分と賑やかになったもんだ。ま、これも悪くない」って。


(ジャンウはノミを置き、真新しい瓦を一枚手に取る。それは伝統的な黒瓦ではなく、廃材をリサイクルして焼いた、少し不揃いな灰色の瓦だ)


ニホン、とは何かだって? そうだな……。 「まだ完成していない家」みたいなもんかな。


土台は古いけれど、柱は継ぎ接ぎで、屋根はまだ葺き終わっていない。 住んでる人間は勝手気ままで、大工の言うことなんて聞きやしない。 隙間風は吹くし、雨漏りもする。 学者先生たちは「失敗した実験国家」だの「モザイク国家」だのと言って、顔をしかめる。


でも、誰も出て行こうとはしない。 なぜなら、外はもっと寒いからだ。 ここには少なくとも、屋根がある。壁がある。 そして、俺たちみたいに、それを支えようとする馬鹿な職人がいる。


完成なんてしないのかもしれない。 永遠に修理し続けて、継ぎ足し続けて、最初の形なんてなくなってしまうかもしれない。 でも、それでいいんだ。 倒れなければ、それでいい。


俺はこの灰色の瓦を葺く。 純粋な漆黒じゃない。色んなゴミが混ざって、焼かれて、固まった、汚れた灰色だ。 でも、俺にはこの色が、虹色に見えることがあるんだ。 油と泥とネオンと、人々の汗が混ざった、今のニホンの色だ。 綺麗じゃないけど、頑丈で、温かい色だ。


(彼は湯呑みの底に残ったソジュを飲み干し、ふう、と息を吐いた。白い息が、薄暗い作業場の天井へと昇っていく)


……雪が止んだな。明日は晴れるだろう。 アサクサの現場で「上棟式」があるんだ。 依頼主のボスから、お供え物のリストを渡されててね。 酒と塩……じゃなくて、このソジュと、ベトナムの揚げ春巻きを用意しろって言われてる。


まったく、神様も胃もたれしそうだよな。 でも、それがこの国の「祭り」なんだ。


(ジャンウは立ち上がり、巨大な背中を伸ばした。その視線は、雪に覆われた静かな庭の向こう、遠く南にある喧騒の街へと向けられていた)




(※1) トウホク州(Tohok State) 列島北東部の管轄州。農業・林業主体の保守地域。本土決戦において唯一地上戦を免れた地域であり、今なお伝統的な寺社仏閣が現存している。他地域からの流入者や文化(ノイズ)を警戒し、州境検問を厳格化している。一方で、ジャンウのような「確かな腕を持つ職人」に対しては、出自を問わず敬意を払う古い気質も残る。


(※2) トコ特別行政区(Toko SAD) 旧東京圏を再編した特別行政区。多民族・貧困層が密集する国内最大のスラム兼工場地帯。既存の宗教施設は、本来の宗教性よりも地域コミュニティの「避難所」「自治拠点」としての機能が優先される。


(※3) 朝鮮系ニホニーズ(Korean-origin Nihonese) 朝鮮半島に出自を持つニホン市民。戦中戦後の混乱期に流入した層がルーツ。現在は建設・運送・飲食等で強固な基盤を持つ。伝統文化の継承者が減少したニッケイ人に代わり、彼らのような「技術を食った」層が文化の担い手となる逆転現象が見られる。


(※4) ピョンヤン・ソジュ(Pyongyang Soju) 北朝鮮・平壌地方で作られる蒸留酒。トウモロコシやドングリを原料とする独特の香りと、高いアルコール度数が特徴。ニホンでは正規ルートでの入手は不可能だが、北朝鮮系難民コミュニティの間で密造酒として流通している。その強烈な味は、故郷を失った者たちの「痛み止め」として愛飲されている。


(※5) 木組み(Kigumi) 釘を使わず木材を接合する伝統技法。ジャンウの語りでは、法とIDによる強引な統合(釘打ち)に対する、異質な個性を活かした「柔軟な社会構造」のメタファーとして機能している。


プロフィール ナガセ・メイ (Mei Nagase) 台湾・高雄出身。国立成功大学社会科学部卒。日台言語・文化財保存協定(KIOKU)のアーカイブ調査員を経て、『Common Tide』編集デスク兼ライターに。ニッケイ3世の視点から、港湾都市の「隙間」にある生活と食文化を記録する。オールド・ヒロ在住。週3で屋台に通うハオシャオ愛好家。

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