第3話 公園の子供たち

気がつくと、私はまた――あの奇妙な公園に立っていた。

 目の前には、あの時と同じ噴水。水は枯れ、底には砂と落ち葉が堆積している。けれど、どこか少しだけ違う。

 空気の密度が、前よりも重く感じられた。


 「……あれ? 私、前にもここに来たことがある気がする」


 つぶやいた声が、自分の耳に遠く聞こえた。

 陽の光が頭上から斜めに降り注ぎ、空は異様なほど澄み渡っていた。太陽は真上を少し過ぎ、影は短く、地面には枝葉の影が網目のように揺れている。

 時間は――おそらく午後二時か三時。

 それなのに、空の色は少し冷たく、どこか午後というよりも“夢の中の昼”のように見えた。


 風が吹いた。

 けれど――音がしない。

 木の葉が確かに揺れているのに、ざわめきは消えていた。代わりに、胸の奥にだけ、かすかな“振動”が伝わってくる。まるで、音が空気ではなく身体を通して響いているような、不思議な感覚だった。


 今日は休日なのだろうか。公園にはいくつかの人影が見えた。

 ベンチで本を読んでいる若い女性。

 老犬を連れてゆっくりと歩く老夫婦。

 芝生の上にレジャーシートを広げ、弁当を囲む親子連れ。


 一見、なんの変哲もない午後の風景――そう見える。

 だが、よく目を凝らすと、その一つひとつがまるで「完璧な演技」のようだった。

 笑い声の間、頬を上げる角度、腕を振るタイミング。すべてが妙に整いすぎている。まるで、どこかの誰かの“記憶”を忠実に再現した映像を見ているような、そんな違和感。


 しかも音が、くぐもっている。

 笑い声は遠くから聞こえるはずなのに、厚いガラス越しに聞くように、ぼんやりとした“響き”しか届かない。

 それでも、不思議なことに――感情だけは伝わってくる。

 楽しさや安らぎ、そしてどこかに潜む寂しさまでも、空気の粒の中に色として漂っていた。


 私は自然と足を高台の方へ向けて歩き出していた。

 再び、あの“軽やかさ”を感じられるのではないかという期待。

 それと同時に、二度とあの感覚には触れられないかもしれないという不安。

 そのふたつが胸の奥でせめぎ合っていた。


 ――そのとき。


 「まてー! こっちだー!」


 子どもたちの声が、公園の奥から突然響いた。

 思わず足を止め、声のする方へ顔を向ける。

 そこには、6人の子どもたちがいた。

 小学校低学年ほどの男の子が4人、女の子が2人。

 カラフルなTシャツに短パンで駆け回る姿は、夏の昼下がりそのもののようだった。


 だが――何かがおかしい。


 鬼の男の子が「いーち、にー、さーん……!」と声をあげると、他の子どもたちは同時に走り出した。

 その動きに、ズレがひとつもない。

 息も、足音も、タイミングも完璧。

 まるで、あらかじめ誰かがプログラムしたような動き。

 誰も転ばず、笑い声も決まった間隔で響く。

 不気味なほど“整った”鬼ごっこだった。


 私は息を呑み、声を失ったまま立ち尽くした。


 その瞬間――

 ひとりの小さな男の子が、突然、木の幹に向かって駆けだした。

 そして、そのまま何のためらいもなく登りはじめたのだ。

 枝をつかみ、足をかけ、リズムよく登っていく。

 その動きは、あまりに軽やかで、まるで重力が存在しないかのようだった。


 「……うそ……」


 思わず声が漏れた。

 少年は5メートルはある木のてっぺんまで登ると、ためらうことなく、向かい側の高台へ向かって――飛んだ。


 飛ぶ、というよりも、“滑空”だった。

 風の流れに乗る鳥のように、ゆるやかに、しかし確実に宙を舞う。

 音は一切ない。

 ただ、少年の身体だけが重力の制約を抜け出し、静かに着地した。

 足音も、息づかいも、何ひとつ聞こえない。

 けれど確かに――彼は、そこに降り立った。


 次の瞬間、他の5人の子どもたちも次々と木に登り、同じように宙を舞った。

 6人全員が同じ角度で、同じ動きで、空中を滑る。

 まるで、見えない“糸”に操られているかのようだった。

 誰も笑っていない。叫んでもいない。

 ただ、淡々と、“不可能な行為”を当たり前のように繰り返していた。


 私はその場に立ち尽くした。

 膝が震え、心臓が喉元までせり上がる。

 息を吸うことすら忘れていた。


 「この世界では……重力が違うのか?」

 いや、違う――。

 以前、私が感じた“あの軽さ”は、錯覚ではなかった。

 私の身体が変わったのではない。

 この世界の“ルール”そのものが、地球とは違っているのだ。


 ぞくり、と背中に冷たい感覚が走った。

 風でも寒気でもない。

 それは、まるで“誰かに見られている”ような感覚だった。


 次の瞬間――

 言葉ではない“何か”が、私の脳に直接届いた。


 「次は、お前の番だ」


 空気が、凍りついた。

 視線を上げると、高台の上に立つ少年が、こちらを見つめていた。

 無表情で、瞬きひとつせず。

 その目は、まるで私の“内側”を覗き込むように、静かで、深く、そして恐ろしかった。


 私は一歩、後ずさった。

 全身の毛穴が開き、世界が遠ざかるような感覚に包まれる。

 空の色がゆっくりと変わりはじめていた。

 青が灰に沈み、光が鈍く濁る。

 風が止まり、木の影が歪み、世界がわずかに傾いたように見えた。



 ――この世界は、ただの夢なんかじゃない。

 ここには、確かに「意志」がある。

 見えない法則が動いている。

 そしてその法則は、私を“試している”。


 曇りゆく空の下で、私は息を潜めた。

 6人の子どもたちは、もう動かない。

 ただ静かに、こちらを見ていた。


 その沈黙の中に――

 私は、確かに聞いた気がした。

 この世界の“心臓の音”を。

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