虚空列車
エイミー
虚空列車
「お客さんお客さん!もう看板ですよ」
「んん…?あ、あーすまん…早急に出ていく」
店員の若い男の子に軽く肩を叩かれ、起こされた。疲れて居酒屋で寝てしまっていたようだ。
んんっと伸びをしつつ机に手をついて立ち上がった。そんで、鞄の中から財布を取り出して、ちょっと多めに、お代としてその子に渡した。
「ごちそうさま」
そうとだけ言って店から出ていった。あっ、ありがとうございました!と元気な声で言われる。
閉店までなんて大変なこった。大学生くらいの子だったから、勉強も大変だろうに。
きっと何か夢があって、それに向かって頑張っているのだろう。希望があっていいな。
「あっ、そういや時間…」
大分寝ていた気がして、鞄の中のケータイを探索する。…お、あったあった。えっと、今の時間は。
「…えっ」
終電まであと10分。思わず声が出てしまった。目が醒める。
今から走れば間に合わないこともないが、そんな気力はもう残っていない。
…仕方ない。今日はこの辺りで夜を越そう。駅の近くまで行けばビジネスホテルでも何でもあるだろ。
そう思ってとぼとぼと歩き始めた。そんなに飲んでないのに、酔いが回って頭痛がする。くそ、酒弱いと色々面倒なんだよ。
ところで、携帯を見たときに、何件かラインの通知が来ていた、が、今は返信する気も起きない。
先日、最愛の妻を亡くした。彼女はまだ27。夭折ってやつだ。
多分、葬儀だとか、遺産だとか、そういう類の手続きの話だろう。前々から向こうの家族の方…もといお義父さん、お義母さんたちとは仲が良くて、ちょくちょく連絡を取り合うくらいだった。
若くして妻を失った自分を甚く心配してくれているようで、妻が亡くなったと知った日―昨日だけど、それからずっと痛心の電話だったり、ラインだったりを送ってきてくれている。それと、これからについてだったり。
自分たちだって娘を失ったはずなのに、俺の心配ばかりをしてくれるだなんて、人が良すぎるんだよ。
あいつのことを想ってやれとも思う。
…いや、想ってないわけないか。ましてやそんな人たちが。
俺との電話の中では一切悲しさを感じさせないが…きっと誰にも知られないところで、寂しく、泣いているに違いない。
考えれば…言うまでもないことだ。人が、身内が、いや、家族が死んで、悲しくないわけがない。
…彼女は前途有望の漫画家だった。昔から、結婚した当時から絵が上手くて、時折俺の似顔絵を描いてくれたりした。
ただ、やってるのが少女漫画だったってのもあって、なんというかイケメンすぎて、どうも俺には似ても似つかないようだった。ただそれでも当然、嬉しかったし、今でも自分の部屋に飾ってある。
少し前に子供向けの雑誌で賞を貰って、近いうちに連載も決まっていた。そんな中での事故だった。
車に跳ねられたのだ。完全に向こうの責任で、悪意は無かったそうだ。というのも、その相手が凄く人相が良く、妻がICUに入っていたとき、俺が事故を知って駆けつけると、あの方の旦那様ですか、と、何度も何度も泣きながら謝罪された。本人曰く、突然、車が何かに操られたかのように暴走し始めたらしい。
当然赦せる訳無いのだが…お互いに気の毒だった、のを憶えている。
…彼女との日々は幸せそのものだった。妻は未来ある漫画家、かたや俺は取り柄もないサラリーマン。でも、それでも一緒にいられるだけで楽しかった。
彼女を亡くした今、生きる意味を失いつつある。
「ん…!?あれ終電か…!?」
駅まで歩いて行くと、ホームにまだ、いつも乗ってる電車が停まっているのが見えた。
俺が時間を見間違えていたということか…?どちらにせよ、ラッキーだ。小走りで駅まで急いで、改札を抜けて、電車に乗り込んだ。
少し走ったから疲れて、空いている席に座り、一息つく。するとすぐに電車の扉が閉まった。
危ない。もう少し遅かったら折角のチャンスを逃す所だった。
今日はもう疲れた。家帰ったら早く風呂入って早く寝よう。明日休みなのが救いだ。だから遅くまで飲んでいたのだけれど。
本当に疲れた…少し仮眠を取っていくか。
そう思って目を閉じる。ほら、電車も今に発車して…。
「ガタンッ」
「うおっ!?」
発車したと思ったら、突然電車の車体が大きく、酷く揺れた。まるで、宙に浮いた様な。
衝撃で身が投げ飛ばされ、腰を打ち、車内の床に倒れ込む。
痛ってて…。
何か空中に浮遊するような感覚がする。明らかにおかしいと思って、慌てて立ち上がる。
急いで状況を把握しようと窓の外を見る…なり、その光景に息を呑んだ。
目前に広がるのはいかにも非現実な光景。
電車が…宙に浮いている。
「な…なんだよこれ」
車窓から外を覗くに、この列車は空を進んでいる。夜空を泳ぐ流れ星とは、真逆の方向へ。上へ、上へと向かっているようだった。
ここではっとなった。俺が呆気に取られすぎていたからかもしれないが、他の乗客は。普通なら、これが夢でもない限り、離陸のときは焦っていたから目もくれていなかった他の客が、悲鳴のひとつ上げるはずだ。見れば、ぽつ、ぽつと人自体は乗っていた。俺と同じくらいの年の奴らから、中には高校生までいる。
…が、誰一人、この状況に狼狽えていない。それどころか、みんな、死んだ様に、幸せそうな顔で眠っていた。
「どういうことだよ…」
宙を行く列車に、この混沌とした光景。上に昇っているからだろうか、次第に呼吸も苦しくなってきたような気がする。
空の果ては暗いと言う。まだ状況が飲めていないが、第六感が、この列車は確実に「終点」まで向かっているのだと悟らせた。
「そうだっ、運転席…っ」
これを運転してるのは誰だ。幸い、列車の進むレールの勾配は急ではない。ちょっとずつ、終わりに向かっている雰囲気がある。
俺は急いで運転席まで向かった。
「えーっとこれがこうで…んー?難しいですね…」
息を切らして運転席まで行くと、そこではいかにも怪しげな女の子が運転のための機械を弄っていた。
「はあっ、はあ、お、おい、お前!」
肩で息をしながらその子に向かって叫ぶ。
「えっ、ええっ!?に、人間…あーっ、ちょっと待っててくださいね…?」
彼女は驚いた様子で一瞬こちらを振り返り、また操作に戻った。
「あ…自動操縦…。これ押せばいいのかあ…」
呼吸を整えながら、不審げに見つめていると、運転席からその子が降りてきた。
「いきなりお前だなんて失礼ですね…なんですか?」
白い髪とは対照的に、真っ黒、漆黒とでも言おうかという様なマントを纏って、俺の方を見据えていた。
「この列車はなんなんだ!どこへ向かっている!?」
「この列車?あの世ですよ」
あの世。当然のようなその言い草に気が引けた。
「私は死神のカノン。まあ死神なんて言っても全然下っぱなんですけど…えっと、現世で人間の魂を集めているんです」
「死神…」
俺がどこへ向かっているかは何となく察しがついていた…が。
見ると、彼女の後ろの運転席から、大きな鎌が壁に立て掛けているのがちらっと見えて、ぞっとした。イメージ通りの…
「ふざけんな!俺を殺そうとしてるってことか!?」
「まぁまぁ落ちついてくださいよ…この列車の中には死にたい人しかいないんですよ。お兄さんも、何かあったんでしょ?だから、今ここにいる」
俺が、彼女が少し怖くなって押し黙っていると、そのまま続けられた。
「…ああー、奥さん亡くしたんですね。可哀想に。でも大丈夫。このままここにいれば、きっとまた会えますよ」
「…」
俺が言葉を失ってただ彼女を見つめていると、カノン、はその隙につけ込むように、にやっと笑った。
「この電車はね、虚空列車っていうんです。死にたい人を誘って、あの世へ連れて行く。ご存知かと思いますが…それが死神のお仕事。ここにはたくさんの自殺願望が詰まってる。軽い希死観念とか、そんなゆるいもんじゃないんです。ほら、あの人はギャンブルで自己破産。あの人は障害故の職場でのいじめ。あの人は学生なのに、彼女の望まない妊娠。あの人は匿名掲示板、SNSでの誹謗中傷、あの人は殺人の自責ーっ」
カノンはまるで昏睡状態の乗客を、一人ひとり指差しながらそう言っていった。
「可哀想ですねー。みなさん普通は、飛んだり、切ったり、吊ったり、痛くって苦しい思いをして死ぬ。でも…ですよ」
途端カノンは胸元からナイフを抜き出し、俺の右腕を切りつけた。
「っ…!?痛っ…!」
傷つけられた腕から血が流れる。熱い。熱い…!
「ほら、そんなことしたら痛いですよ?もう十分苦しんだのに、その上に痛い思いをして死ぬ。そんなの、そんなのヤじゃないですか」
流れた血が車内の床に滴る。ポタポタと、止まらない。
なんなんだ、こいつ…。初対面で、死神とか言って、いきなり切りつけて来るとか…っ。
殺される。そう思って逃げようとしたが、足が竦んで動かない。
「だから私が助けるんです!現世にいても意味の無い人間たちを、あの世へ送り届ける。あー、体はまだ生きてはいますから命だけ奪わせて頂きますが…それはとーっても心地いい死。安楽死ですよ。あ、でも、その後が天国か地獄かってのは、生前の行い次第ですけどねー」
カノンは俺を傷つけたナイフを床に捨てた。カランと音を立てやがて静止した。血が滴って動かないナイフはちょうど、殺された人間のよう。彼女に圧倒されて腰が抜けそうになる。
「そんなっ…、未来ある人間の命を奪って、許されると思っているのか…?」
「え、未来」
カノンは少し不思議そうな表情をして、俺の方へ寄ってきた。
「いやいやー、まだ生きたいと思ってる人間は、ここにはいませんよ。最近は色々厳しくてですね…あ、死者の裁きは閻魔様がやるって、有名な話ですけど、今それやってる人がその…異常に〝生き物〟に優しくてね。健全…とでも言いましょうか、そういう人間なんて殺したら、私の方が危ないですよ。あーでも、『異常』ですので、私たち死神は結構目付けられてて…でもこの役割を途絶えさせるわけにはいかないので、今じゃ隠れてやってるんですよー。まあ、悪く言えば反社ですケド…でも、死にたい人からすればヒーロー」
カノンは俺の横をゆらりと通り過ぎながら、耳元で囁いた。
「生きる意味、ほんとにありますか?」
その言葉にドキッとした。彼女はそのまま後方へゆく。
確かにそうだ。唯一の生きがいが、妻を亡くした今。生きる意味はあるのだろうか。子供がいるわけでもない。なら、働く意味はあるのだろうか。特筆できる趣味も無いし、金の使い道はせいぜい生きるための食費、家賃、ライフライン。
これから30年超、別に楽しくもない仕事をする。なんのためにだ?そう思うと未来が暗くなって襲い掛かる様だった。幸せな生活は金一つでは存続しない。
…ああ、妻の裁判。でも、勝てると判っている法廷を、どうして開く必要がある?手にした金で妻を取り戻すことができるはずも無い。
列車の進む音が、より一層大きく、喧しく頭に響く。ガタガタと揺れる車内は、不安を増幅させる。
俺の生に意味は無いのか…?
「ふふ、やっとわかったようですね」
カノンのため息にも似た呟きが背後から聴こえる。
その声が背筋に響き、何か、ぞくっとするものを感じた。
徐ろに、カノンの方へ振り返る…その最中で、俺はこの列車が翔んだと知ったときくらい、もう一度、驚きと動揺で、息を呑んだ。
「…高山?高山じゃねえか!おい!!」
カノンを見ようとする眼を止め、他の乗客と同じ様に座席で眠っていた男に大急ぎで駆け寄る。
高山。妻を殺した、あの車の運転手。張本人。
「なんでお前がこんなとこにいんだっ、起きろ!!」
肩を掴んで、凄いスピードで揺さぶる。
「んん…?ここは天国か…?」
「何バカなこと言ってんだ!寝ボケてんじゃねえ!」
無理やり両手で顔を横から挟むように掴んで俺と目を合わせさせると、高山はハッとしたように目を覚ました。
「えっ…、川田さん!?どうしてここに…」
「それはこっちのセリフだ!お前っ、自殺しようとしてたってことか!?」
そう問い詰めると高山は目を見張って、すぐ、俺からその目を逸らした。
「…そうですよ」
「ふざけんな!責任から逃げるつもりだったってことか!?」
「ちっ、違います…!ただっ、桜さんを殺してしまったと分かってから、とても生きた心地がしなかったんです…!人の命を奪った人間が、何故、こんなにのうのうと、生きているのだと思って、だから今日、電車に飛び込もうと思って駅に来た…桜さんを殺した罪には、もうこれしか無いと思って…!!そうしたらあの女の子に…
『お兄さん今死のうとしてる?私が鉄道自殺よりずっといい死に方、教えてあげるよ』
って誘われて…気づいたらここに…」
高山はカノンの方へ目を向け、そう零した。桜というのは亡くなった妻の名前。こいつも故意ではない、即ち過失だと言ってたが、死のうとしていたなんて。
「ふざけんなよ!!まだ桜の葬式だって…!葬式…だって終わってないのに…」
身勝手だと思い怒りが爆発しそうになっていた、とき。ふと、というか恐らく必然的に、そう、言葉がつっかえた。
そうだ、葬式。まだ死んだ桜を弔ってすらいない。
その事実が、俺に、どこか使命感とも取れる感情を植え付けた。
「おい、帰るぞ高山。2人でだ」
「え、でもどうやって…」
俺たちの成り行きを黙って見ていたカノンの方を振り向く。
「生きる理由ができた。妻の葬式だ。だから帰してくれ。こいつと2人でだ」
カノンは狼狽えた顔をした。威圧感が喪失する。
「え、で、でも私にもノルマとかあるし…」
知らんわそんなもん。取り乱しているのか、敬語でかつどこか見下すような口調が乱れている。
「お、お葬式終わったら、そのあとは?どうせまた虚無感に苛まれて、死にたく…」
「知らんわ!そのときはそのときだ、そうなってから考えればいい。とにかく地上への戻り方を…っと」
カノンを問い詰めて責めて、出口を聞き出そうとした矢先、だ。自分で見つけてしまった。
列車の壁に付いている、非常用ドアコック。それを思いっ切り手前に引く。するとすぐに、扉が開くようになった。力任せにこじ開ける。
「お、お兄さん危ないって!」
「行くぞ高山」
「は、はい!」
カノンの制止を無視して高山の腕を引き、そのまま開いた扉から、2人で列車の外に飛び出した。
列車とは反対に、重力の方向へ落下していく。
「あっ………、逃がしちゃった…」
そう言った彼女の声が最後に聞こえた気がした。
身体が宙から落ちる様な感覚と共に目が覚める。
気づけば自宅のベッドから転落して、床に体が転げていた。
仰向けのまま、右、左と辺りを見回す。なんだか不思議な感じがする。
夢だったのか…?
今自分が自分の家の天井を眺めているのがどこか奇妙で、ゆっくりと、床に手を着いて立ち上がる。
「痛っ!」
床に着いた右腕に激痛が走った。
よろけそうになって慌てて左で着き替えて、立ち上がった。
緊張しながら右腕を見てみると、そこには確かに、カノンに切りつけられた痕が残っていた。
「夢…じゃない」
血は止まっている。が、その痛みが、列車の中の光景を鮮明に映している様だった。
そのあと高山に電話し、何か変わったことがなかったか訊くと、
「変な夢を見た気がするんですけど…よく覚えていません」
とだけ言っていた。
実は俺も…と言い出そうか迷ったが、やめておいた。あんな奇怪で異様な体験を共有したいとは微塵も思わない。俺自身も、思い出したいとも思わなかった。
あの列車、そしてカノンは、一体、本当に何なのだったんだろうか。悪い夢だったのだろうか。
夜遅くまで飲み歩くのはもう辞めようと思った。
終
虚空列車 エイミー @Amy_DMpoke
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