乙女翼の下に
五月皐月
プロローグ
『乙女翼の下に。』
太陽のような礼も今日はその手が冷く僕の首にのしかかる。暖を求めて学ランの襟を固く締めた、律儀な学生姿の影はいつもより黒に近い。それでも首のあたりが温まらないから、肩が上がり、背が丸まり、歩き方まで人間じゃなくなる。友達という友達もいないおかげで、今日もバレずに済んだけど、来週には衣替えがあって、晴れた気分にはなれない。
狭すぎる制服から解放されて余裕のあるパーカに着替えると安堵のあまり膝から崩れる。しばらくそのまま、姿見に映る自分と目を合わせるだけの勇気が湧いてくるのを待つ。存在するはずもない解決策は考えるだけ無駄だから、その間ただただ床を凝視することに徹する。あらゆる思考を放り出す。
玄関が開く音がする。時間がない。恐る恐る首を回すと鏡の中に何の変哲もない僕が座っていた。顔はまだ侵食されていない。相変わらず居座る、背中の異物も黒いパーカに完全に外見から排除される。現状が何も改善されていないにもかかわらず、今度は腰から崩れる。
晩飯だけを居間で済まし、風呂にも入らず、する気になれない宿題を言い訳に自室に引きこもった。やる事もなく、すぐベッドに倒れる。天井の白さが憎い。
静かな教室のドアを開けた途端、僕の体内に根を回す全ての筋肉が針に固定された糸のように、力が入らなくなり、形だけを維持させられる。
早朝の誰もいない教室の窓際に、日差しを受けて少しだけ虹色を滲ませた白い翼を、生えた女性が半身を窓から乗り出すように立つ。軍服の実用重視したズボンと靴とに、背中を露わにするフリルの入ったホルターネックという誰にでも見覚えのある、翼乙女の正装を着ている。
「逃げないのか」と振り向きざま表情という表情もない顔つきで冷酷な言葉を投げつける。テレビに映された通り、強膜も虹彩も区別がつかなくなるほど、何の感情も読み取れないほど、黒い。翼の間を流れる髪の毛も、耳あたりに生える羽たちも同じく、黒い。みんなの日常を守るために命をも捧げる、天使と言ってもいい存在だと分かっていても、その外見は人の肌を借りた化物のようで針を抜かれた僕は一斉に崩れる。
「おっと。危ないよ、乙女」怪物は速やかに僕の身体を抱くように支えてくれる。覗き込んでくる、月も星もない夜空を切り取った、目に光を吸い取られるように視界が狭くなる。最後に見たのは何かが割れるような微笑。
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