第3話
幼いころ、鬼島は蒼真に文字の読み書きを教える師だった。
だが十歳を迎えた日を境に、その役目は“武の師”へと変わった。
それ以来、彼は一日たりとも休むことなく蒼真に修練を課した。
「ふぅ……」
その訓練は、まさに地獄だった。
まだ十歳の蒼真に、鬼島は重い石を引かせ、木刀を何千回も振らせた。
力尽きて倒れようものなら、叱責か、あるいは体罰。
容赦はなかった。
夜ごと、蒼真は祈った。
――どうか、昔の優しい師匠に戻ってほしいと。
だが、その願いが届くことはなかった。
けれど半年が過ぎた頃、彼の体には確かな変化が訪れた。
筋肉がつき、重い訓練にも耐えられるようになった。
剣を振る腕にも力が宿り、倒れずに最後までやり遂げることができた。
「はっ!」
木の幹に向かって木刀を振っていると、背後から鬼島が歩み寄ってきた。
「まだ構えがなっちゃいねぇな。」
振り向いた蒼真の目に映る鬼島は、いつものように半ば壊れた鎧を身につけていた。
腰には、一度も抜いたところを見たことのない刀。
肩口は完全に破れ、内側が見える。
その姿はまるで、戦場を渡り歩いた侍のようだった。
以前、蒼真はその鎧と刀の出処を尋ねたことがある。
だが鬼島は、何も語らなかった。
「蒼真。その握り方じゃ、手首を壊すだけだ。敵に傷一つつけられねぇぞ。」
そう言うと、鬼島は蒼真の手から木刀を奪い取るようにして、前方の木に向き直った。
その瞬間、鬼島の瞳が変わった。
普段の穏やかさは消え、研ぎ澄まされた刃のような殺気が迸る。
ただの木を相手にしているはずなのに、蒼真の背筋がぞくりと震えた。
――スッ。
鬼島が木刀を構え、わずかに腰を沈めた。
「ふっ!」
ザクリ。
厚い幹を、一瞬のうちに断ち切った。
蒼真は目を見開いた。
木刀で――いや、木刀であの太い木を!?
バキッ――
木が傾き、地に倒れた。
鬼島は黙って木刀を蒼真へ差し戻した。
「武器はな、構え一つで変わる。
いくら鋭い刃でも、構えが悪けりゃ鈍器になる。
だが、鈍い剣でも構えさえ正しければ、鋭い刀にも勝ることがある。」
木に背を預けながら、鬼島は静かに言った。
「よし、今日は一日中“構え”を叩き込むぞ! 始めぇ!」
「は、はじめ……!?」
突然の号令に蒼真は慌てて構えを取り、木刀を振り上げた。
「最近、体もだいぶ持つようになったな。――じゃあ、一万回振れ。」
「い、いちまん!?」
「ああ。」
「師匠、いくらなんでもそれは――」
「やりゃできる。黙ってやれ!」
蒼真はため息をつきながらも、休まず木刀を振り続けた。
***
さらに半年が過ぎた。
剣を学び始めて、一年。
ヒュッ。
落ちてくる木の葉を、蒼真は一閃で斬り裂いた。
鬼島から学んだ剣術――それは決して優雅でも精密でもない。
だが、数多の戦場を生き延びた兵の技。
鈍い鉄塊のように見えて、実は中に刃を隠した“実戦の剣”。
「……よし。」
今日は蒼真の十一歳の誕生日だった。
彼はその祝いのための“ご馳走”を求めて森を歩いていた。
狙いはウサギでもシカでもない。
弓は持っていないし、彼らは見ればすぐ逃げる。
残るは一つ――イノシシ。
臭みは強いが、鬼島の酒を使えば十分うまく食べられるはずだ。
「さて……」
蒼真は森の奥へと足を進めた。
***
夕暮れ。
日が沈むころ、ようやく蒼真は小屋へ戻ってきた。
一年間、重い岩を持ち上げてきたおかげで、
大きなイノシシも肩に担ぐことはできなくとも、引きずって運ぶことはできた。
「さて、どう料理するかな……」
酒に漬けて焼くか、煮込んで汁にするか。
いくつかの料理法が頭に浮かんだが、
調味料も材料も限られている。
夜が来る前に、蒼真はイノシシの皮を剥ぎ、肉を切り分けた。
壺の一つはすぐに肉でいっぱいになり、
臭みを抜くために酒を使おうと、酒壺のもとへ向かった。
「……あれ?」
酒壺は空だった。
ついこの間補充したばかりなのに、
あの量を鬼島がどうやって飲み干したのか。
「また酒、買いに行かなきゃな……」
蒼真は小屋の中へ入った。
だが、鬼島の姿はどこにもなかった。
酒がなくなって買いに行ったのだろうか。
行くとしたら、森を抜けた先の小さな村だ。
考えながら室内を見渡すと、床の上に小さな袋が落ちているのが目に入った。
「……ん? 金袋?」
拾い上げて中をのぞくと、銅貨がいくつも入っていた。
「師匠、金も持たずに行ったのか……?」
蒼真は苦笑し、深いため息をついた。
「仕方ない……」
金がなければ、物は買えない。
蒼真は床の金袋を拾い上げ、
森を抜け、村へと駆け出した。
鬼殺し 極東エビ @arcadia9909
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