第2話
世界は、戦争の炎に包まれていた。
村という村には死者が溢れ、川は血で染まり、まるで黄泉の国のようだった。
それでも、人々は必死に生き続けていた。
少しでも長く、この世にとどまるために。
それは、蒼真も同じだった。
森の奥深くに建つ小さな小屋。
そこで蒼真は、一人の男と共に暮らしていた。
「ふあぁ~……」
朝早く目を覚ました蒼真は、大きく伸びをしながら外へ出て、空を見上げた。
どんよりと曇った空。
朝になっても夜になっても、それは変わらない。
まるでこの戦乱の世を映すかのように、
彼が生まれてから一度たりとも、陽の光が差したことはなかった。
――ガサッ。
蒼真は小屋の裏へ向かった。
そこには水の入った壺があり、近くに置かれたひしゃくで水をすくい、顔を洗う。
清らかな水ではなかった。
そもそも、この世に「清い水」など存在しなかった。
死者が井戸や川で腐っているこの時代に、
澄んだ水が残っているはずもない。
それでも、森の中を流れる細い小川から泥を濾し、ようやく汲んできたものだった。
だが、蚊が産みつけた卵からボウフラが湧き、口をすすぐと気味悪く残ることもあった。
それでも、この水があるだけありがたい――
そう思えるほどに、この時代は荒れていた。
だが、まだ十歳の蒼真には、そんな感覚はわからなかった。
「ふあぁ~……」
入り口からもう一人の男があくびをしながら現れた。
髪を適当に束ね、裂けた衣の隙間から、皮と骨ばかりの身体が見える。
「おはようございます、師匠。」
その男の名は鬼島(きじま)。
蒼真の父であり、師でもあった。
だが、蒼真は彼を「父」とは呼ばない。
いや、呼べなかった。
鬼島は、自分が父と呼ばれることを嫌っていた。
蒼真が言葉を覚えた頃、彼は言った。
――「俺のことは“師匠”と呼べ。」
なぜそう言ったのか、蒼真は今でも知らない。
もし本当に“父親と呼ばれたくなかった”のだとしたら――
自分の心は、きっと耐えられなかっただろう。
だから、怖くて聞けなかった。
「よく寝たか?」
「はい、師匠!」
鬼島は腹を掻きながら壺へ歩み寄り、ひしゃくで水をすくって一気に飲み干した。
そして、満足げにげっぷをひとつし、蒼真を見下ろす。
「飯は?」
「今すぐ作ります!」
蒼真は小屋に戻り、手際よく炊事を始めた。
十歳といえば親の手伝いをする年頃。
彼は当然のように、鬼島の食事も用意した。
「今日のおかずは?」
「今日は……梅の漬け物ひとつだけです。」
「ひとつだけ? この前のタケノコはどうした?」
「それは師匠が酒のつまみに全部食べちゃったじゃないですか!」
「ははっ、まさか。あんなにあったタケノコを俺が全部食ったって? それはちょっと――」
蒼真は呆れたようにため息をついた。
「本当か?」
鬼島が信じられないといった目で問うと、蒼真は小さくうなずいた。
「……まあ、男ならそのくらいは食わねばな。」
そう言って鬼島は小屋に戻り、木の床に寝転がった。
蒼真はかまどに火を入れ、飯を炊き、膳を整え、師の前に置いた。
今日の食事は、醤油の小皿と梅の漬け物、そして米のない雑穀飯。
「いただきます!」
蒼真は飯を一口かきこみ、梅の漬け物を口に含んだ。
飯を噛みながら、漬け物を舌の上で転がし、少しでも長く味わう。
食べ終えればもうおかずはない。
醤油だけでは腹を満たせないことを知っていた。
鬼島も同じだった。
二人は漬け物を口の中で転がしながら顔を見合わせ、静かに笑った。
食事を終え、片付けを済ませた蒼真は、入り口に立てかけてあった木刀を手に取った。
「では、先に外に出ています。」
「ああ。」
鬼島が蒼真に“師匠”と呼ばせるもう一つの理由――
それは、彼が蒼真に剣を教える師だったからだ。
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