綾香の過去

「なあ……綾香?」

「何?」

「……近くね?」

「そうかな? でもこうしてないと手元が見えないよ」


 あっけらかんとした表情で綾香はそう言った。

 もはや恒例となってしまった綾香との勉強会だが、俺も真面目というか何というか……一度もすっぽかすことなく、こうして綾香に会ってんだもんなぁ。


「……いやマジで近いって」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

「それはまあ……確かに」


 減る物は何もなく、逆に得る物の方が多い。

 こうして綾香に勉強を教わっているおかげで悪かった成績は良くなり、いつもテストを返される時は先生が信じられないって顔をしているくらいだ。

 俺からすれば、そんな顔を見ると成果が出てるんだなと嬉しくなる。


「……ま、感謝してるよ」

「え?」

「綾香のおかげで成績は良くなってる……勉強嫌いではあったけど、家で勉強してる時にこの時間を思い出してやる気が出る」

「……えへへっ、そっか」


 そう考えると綾香とのやり取りは俺にとってプラスしかないのか……てか感謝してるとは言っても、ありがとうとは伝えていなかったな。


「何だかんだ、今まで感謝してるとは言ってもこうはいってなかった……本当にありがとう綾香」

「あ……っ……うん」


 父と母の教え!

 感謝の言葉は必ず伝えること、これはずっと言われていたことじゃないか……まあ二人とも死んでるわけじゃないが。

 それから一時間ほど、みっちりと勉強を教えてもらった。

 普段なら途中でスマホを弄ったり他のことをしたくなるところだが、自分の時間を使って教わっている以上そんな不義理なことは出来ない……おかげで終わった頃には体がガチガチだ。


「あ~……今日も疲れたな」

「お疲れ様」


 天井に向かって腕を伸ばし、体を解す。

 そろそろ校舎から出ないといけない時間なのもあって、図書室に残っているのはもう俺たちだけのようだ。


「そんじゃ、先に帰れよ綾香。俺は少し遅れてから行く」

「……別に私は気にしないのに」


 俺が気にするんだよ。

 この学校において俺という存在はまあ、悪い意味で目立つ方が多い……だからそんな俺とは正反対に居る綾香とはいえ、何かしらの噂を立てられたら困るだろう。

 考えられる物としては綾香が弱みを握られてるんじゃないかとかな。


「じゃあ……また明日、天斗君」

「おう、また明日」


 何度か振り返りながら綾香は図書室を出て行った。


「いやはや……ほんと助かってるよ」


 おかげで今度の小テストも満点だなこりゃ。

 そろそろ良いかなと思い図書室を出ようとしたところで、やけに汚い黒板消しと、ゴミでいっぱいになったゴミ箱が目に入った。


「……ったく、掃除の時に綺麗にしとけっての」


 いかん……俺がやる必要はないのに、無駄に母さんに仕込まれた綺麗にしたい衝動が……うおおおおおおおおっ!

 汚れた物があれば綺麗にしたいが、俺は面倒くさがりでもある。

 この相反する気持ちがせめぎ合う中……俺は結局、綺麗にすることにした。


「……お」


 鼻歌を口ずさみ、黒板消しの掃除をする俺が窓ガラスに反射している。

 ほんと体が立派になったよなと思いつつも、そんな俺がこうして大人しく掃除をしている姿はまあ……自分で言うのもあれだがちょい面白い。


「さ~てと、これで終わりだ」


 それから黒板消しを掃除し、ゴミ箱に溜まった物も掃除した。


「人の捨てた物を拾えば、それは自分の幸運を拾うって言葉があるくらいだし……まあゴミ箱に関しては違うかもだけど、やっぱこうすると機嫌が良くなるぜ」


 やることは済んだので、今度こそ帰るために図書室を出た。

 そうして下駄箱に着いた時、まさかの人影が俺を待っていた。


「あ……天斗君」

「……何してんの、綾香」


 そこに居たのは既に帰ったはずの綾香だった。


「待ってたの……遅かったね?」

「……なんで待ってたんだ?」

「途中まで一緒に帰りたいなって……思ったの」

「……………」


 それで待ってたのか……。

 てか一緒に帰りたいって言われたの何気に初めてだ……こんなに嬉しいというか、めっちゃ恥ずかしいんだけど。


「……確かに人は少ないが」


 グラウンドから響く部活動の声くらいか……それならまあ、誰かに見られて噂されるようなこともなさそうだが。


「ダメ……?」

「……ダメじゃない」


 上目遣いでの言葉に、俺は頷かないわけにはいかなかった。

 こうして俺は綾香と一緒に学校を出たわけだが……まさか、こうして彼女と一緒に帰ることが結果的に良かったのだと知ったのはすぐだった。


「それであの漫画はね……あ」


 楽しそうに趣味について話をしていた綾香が足を止めた。

 何だと思い彼女の視線の先を辿ると、そこに居たのはこれまたヤンキー風な見た目の男だった。

 見るからに気性が荒そうだが、体格に関しては俺と大差ない。


「綾香、どうした」

「……………」


 綾香は体を震わせ、俺の背後に隠れた。

 これは……何かあるなと思いそれ以上聞くことはしなかったが、既に綾香の姿は目の前の男に認識されており、ニヤリと笑いながらこっちに歩いてきた。


「誰かと思えば音無じゃねえか」

「っ……」

「おいおい、せっかくの再会だってのに冷たくねえか?」


 こいつ……ニヤケ面がやけにムカつくな。


「てか、誰だよこいつ」

「……中里君には関係ない」

「だから冷たいじゃないか。元カレに対してよ」

「っ!」


 元カレ……そのワードに綾香が体を震わせた。

 俺も少し驚きはしたが、あまりにも信じられないというか……絶対にないだろうとしか俺は思えない。

 仮にそういう関係があったとしても、これこそ何かしらの事情があるに決まってる。


(……見た感じ、綾香はこいつを嫌そうに見てる……となると俺がするべきことはここから綾香を引き離すことだな)


 背後に隠れた綾香の肩に手を置き、そのまま男……中里の横を通る。

 だがもちろんそんな俺たちに詰め寄ってきたのだが、俺は顔面にこれでもかと力を入れて……思いっきり睨み付けた。


「あ?」

「っ!?」


 なんだぶっ殺すぞ、そんな意味も込めて睨んだが効果はあったらしい。


『いいか天斗、こいつは敵だと思ったらこれでもかと睨んでやれ。相手よりこっちの方が上だと思わせるんだ――そう瞬間的に見せるだけでも相手は怖気付き、まさかこいつは自分より強いんじゃないかと思わせることが出来るからな』


 これは父さんの言葉……ほんと、うちの両親は揃って変だわマジで。

 だがそんな両親の言葉と育て方が俺の中で生きているのも確か……これに関しては助かってるよ。


「ま、待てよ……」


 しかし、まだこいつは言いたいことがあるようだ。

 ある意味で喧嘩に発展すればそれはそれで楽だけど、そうすると学校側に何かあるかもしれんし……まあ今は取り敢えず綾香を庇うことだけ考えよう。


「綾香とお前の間に何があったかは知らん。本当に付き合っていたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない……でも、そうだとしたら必ず事情があると俺は思ったぜ?」

「天斗君……」


 あ~あ、そんな情けない声を出すんじゃねえよ。

 ここはお姫様みたいに男の陰に隠れてりゃいい……特に俺みたいな高校デビューに失敗して友達の少ない哀れな人間の背中にな。


「まあでも、人を見た目で判断しちゃ良くないんだがな……現に俺みたいなのと綾香は仲良くしてるし」

「そ、そんなことないよ! 天斗君は凄く優しくて良い人だもん! 中里君とは全然違うから!!」

「お~、そいつはありがとなぁ」


 よしよし、元気が出てきたみたいだ。

 基本綾香は大人しすぎるほどで、こんな風に大きな声を出せる時は元気だってことも分かっている。


「つうわけで、さっさと先に行かせてもらうぞ? これ以上何か言いたいことがあるなら俺に言いやがれ――おら、言ってみろよ」

「っ……うざってえ」


 そう言い捨て、中里は去って行った。


「いやぁ、父さんの教えとこの見た目で良かったぜ」

「……ぷふっ」


 ちなみに、案外本来の俺が小心者ということを綾香は知っている。

 クスッと面白そうに笑った綾香だったが、彼女は小さく呟いた。


「……ありがとう、天斗君」

「いいってことよ」


 日頃、勉強を教えてくれるお礼みたいなのもあるしな。

 完全に元気を取り戻した綾香と一緒に歩みを再開させてすぐ、彼女はさっきのことに関して口を開いた。


「付き合った段階で彼氏彼女って言うなら……間違ってはないの」

「ほう……?」

「中里君は中学の同級生で……慎をイジメてた」

「……ふ~ん? 何となく察したわ」

「凄いね……まあ、幼馴染の慎を見捨てたり出来なくて……それで慎にちょっかいを出さないでって言った」

「うん」

「中里君は面白がって、その条件として付き合うことを強要してきたの」


 なるほどなぁ……やっぱそういうことだったのか。

 つうかこの話、まんまあいつらが話してた漫画の内容というか……そういうことが現実にあるもんなんだな。


「それでも二週間くらいだったから……飽きたって言って止めることになったし、それからは何もなかったんだよ」

「そうか……本当にそれだけだったのか?」

「え? うん……本当にそれだけだったよ?」


 ……まあ、中学生でそういうことは流石にないか。


「ちなみにそれ、徳井とくいは知ってんのか?」

「慎は知らないよ。全然言ってないし、イジメられなくなってホッとしていたよ」

「……それはそれでどうなんだろうって思うけどな」


 既に済んだことだし、これ以上は止めておこうか。


「何はともあれ、何もないなら良かった」

「えへへ……心配、してくれるんだ?」

「ただの他人ならいざ知らず、勉強を教えてくれるくらい仲良くなった相手のことだぞ? それくらいは普通だろうがよ」

「……ほんとに、優しいね天斗君」


 その後、しっかりと綾香を家の近くまで送り届けた。

 別れ際も特に何か引き摺っている様子も無さそうで、本当に元気な様子だったことに安心した。

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