第2話「北の果てへ」
王都を出てからどれほどの日数が過ぎただろうか。
豪華絢爛だった王都の街並みはとうに消え、馬車の窓から見える景色は日に日に荒涼としたものに変わっていった。手入れの行き届いた街道はいつしか獣道になり、豊かな緑は姿を消して灰色の岩肌と枯れた木々が広がるばかり。
エルナが乗せられたのは、罪人を護送する檻のような馬車だった。最低限の食料と水だけを与えられ、誰とも言葉を交わすことは許されない。付き添いの兵士たちの視線は冷たく、まるで汚物でも見るかのようにエルナを扱った。
最初こそ涙が止まらなかったが、今はもう枯れ果ててしまった。ただ馬車の揺れに身を任せ、ぼんやりと外を眺めるだけの日々。時折遠くで聞こえる魔獣の咆哮が、ここがもはや人の住む領域ではないことを告げていた。
「着いたぞ。降りろ」
乱暴な声と共に馬車の扉が開かれる。眩しい光に目を細めながら外へ出ると、突き刺すような冷たい風がエルナの体を叩いた。
目の前に広がっていたのは、想像を絶するほど寂れた村だった。石と粗末な木材で建てられた家々はどれも古びており、今にも崩れそうだ。畑らしき場所は黒く痩せた土がむき出しで、作物の姿はどこにもない。村を歩く人々は皆痩せこけ、その顔には生気がなく絶望の色が濃く浮かんでいた。
ここが北の辺境。私の新しい……終のすみか。
「おい、お前が例の偽聖女か」
背後からかけられた声に振り返ると、体格のいい熊のような男が立っていた。村のまとめ役なのだろうか。その目には深い疑念とわずかな敵意が宿っている。
「我々は聞いているぞ。お前が王都で大罪を犯し、この地に流されてきたとな。迷惑な話だ。ただでさえ食うに困っているというのに、厄介者の口が一つ増えるとは」
男の言葉に、周りに集まってきた村人たちがおびえながらも非難するようにうなずく。彼らにとって王都から送られてくる人間は、いつも厄介事の種でしかなかったのだろう。
「お前に与える家は村はずれのあの小屋だ。食いたければ自分で何とかしろ。だがこの土地で食い物を育てるのがどれだけ難しいことか、すぐに思い知ることになるだろうさ」
男が指さしたのは、今にも朽ち果てそうな小さな廃屋だった。壁には隙間が空き、屋根も半分崩れかけている。雨風をしのげるかさえ怪しい。
エルナは何も答えず、ただ深々と頭を下げた。反論したところで彼らの警戒心を煽るだけだと分かっていたからだ。
護送の兵士たちはさっさとエルナを置き去りにし、忌々しげに舌打ちしながら王都の方角へと引き返していく。完全に一人になったエルナは、ゆっくりと自分に与えられた小屋へと歩き出した。
村人たちの視線が背中に突き刺さる。歓迎など、誰もしていない。
小屋の中は埃とカビの匂いが充満していた。床には枯れ葉が積もり、隅には蜘蛛の巣が張っている。ベッドと呼べるものはなく、かろうじて人型を保った藁の塊が転がっているだけだった。
外へ出て小屋の裏手に回る。そこには石ころだらけの小さな空き地があった。これが今の彼女に与えられた世界のすべてだった。
『ここから、始めよう』
絶望的な状況に、不思議と心は凪いでいた。失うものはもう何もない。ならば、できることをやるだけだ。
エルナは冷たい土の上にひざまずき、そっと両手を地面につけた。そして目を閉じ、意識を集中させる。
「――聖なる光よ、この地に恵みを」
彼女の体内から温かな光が溢れ出す。それは王都の誰もが「役立たず」と蔑んだ、地味で優しい「育成」の力。光はエルナの手のひらを通じて凍てついた大地へと静かに、しかし確かに流れ込んでいく。
すると、奇跡が起きた。
カチコチに凍っていた黒い土が、ふわりと柔らかく解けていく。石ころだらけだった地面から、小さな緑の芽がいくつも顔を覗かせ始めたのだ。それはどんな厳しい環境でも育つという、生命力の強い野草の芽だった。
それは本当にささやかな、小さな奇跡。
だが、この不毛の地で十数年ぶりに見る命の息吹だった。
遠巻きに様子をうかがっていた村人たちが、息をのむのが分かった。彼らの目に映る光景は、信じがたいものだったに違いない。
エルナは芽吹いたばかりの双葉を、愛おしそうに指でなぞる。まだ何も終わっていない。ここから、自分の本当の力が試されるのだ。
冷たい北の風が、エルナの頬を撫でた。それはこの土地からの最初の挨拶のように感じられた。
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